3月14日に、中学3年生が卒業していきました。
在校生たちのつくる実行委員会が、卒業式を心地よい、あたたかな空気をつくり出していました。
 

 
みんな、卒業、おめでとう。
 
みんなの後ろに掛かっているのは「第30回中学卒業式」。つまりみんなは中学の、30回目の卒業生でもある。そして今年は自由の森学園が生まれて30周年の年度。自分のいる学校、自分のいた学校として、在校生と卒業生とが出会う場面がたくさんあったのだと思う。
 
自由の森がどうやって誕生したのかを調べたり学校とは?を考える、森の時間のチームもあった。一緒に動いていく中で、自由の森のルーツを初めて知った人もいるし、私自身も思いを新たにすることがたくさんあった。
 
創立者の遠藤豊は、1回目の入学式で「学ぶということは、決してできあいの知識をたくさん貯め込むことではありません。そうではなくて、自分自身を絶えず乗り越えながら、自分自身を絶えず打ち壊しながら、 自分の中に新しい世界を作っていくこと。新しい考えを生みだし、新しい考えをつくり出していくこと、そのことが学ぶということの中身です」と語っている。
 
この間の学発では、いろいろの発表を見せてもらったり、そのあと中3の人たちの何人かと話をしたりした。
 
一度は「授業」から遠ざかったりしたこともあるけれど、そうではなくて自分たちでつくる授業の楽しさや大変さ、大切さに気がついて、授業の場に戻っていった経験の話。こういう話は、この学校を卒業した人からもよく聞く言葉だ。
 
この学校にやってくる前に、みんなは自分で自分のことにいろいろの縛りをかけていたように思う。全部がほどけたわけではないと思うけれど、これまでの間にいろんないらないものが外れていったり、実はどうでもいいことなんだと思えるようになったりしている。
いろんなことに悩み、考えたんだろうと思う。
 
いちばんむずかしいのは、自分と向き合うこと。自分にとっての不都合が誰のせいでもなく、自分自身の問題になっていく。このことが、遠藤さんが言っている「自分自身を絶えず乗り越えながら、自分自身を絶えず打ち壊しながら」じゃないかなと。
みんなは時間をかけて、だんだんとそんな「じぶん」になっていっているように思う。
 
学習発表会があったのは3月11日。学発の結びでもすこし話をしたけれど、4年前のあの日以降、地震が生んだ大きな破壊は、いまの時代を生きている人たちの価値観さえ、揺らがせているのだと思っている。やがてはどこかに収束するのだろうけれど、いろいろな「正しさ」に対する「安心」だとか「安全」への信頼が揺れ、壊れた施設と制度を守ろうとするしがみつき方に本当に失望したり、あきらめてへこむのではなく、新しい価値観を探ろうと、いろいろな人が自由の森学園の教育を確かめに来てくれているようにも感じる。
 
「教育」に対する考え方について、人が育ったり生きていくために必要なものとして「学校」という場がどうあるべきなのかを、私自身が想像し直さなければならない4年間でもあった。その根っこになっているのは、この学校にいる人、ここをつくっている人、ここを卒業していく人の表情や姿、それまでの関わり方にある。正しい教育の姿というのではなく、この学校の確からしさをここにいる人たちが映し出しているから。
 
とにかくさ、みんな、好きだわ。
 
次の3年間を、たっぷり「自分をつくる」時間にしてください。
卒業、おめでとう。

おわり。

 

中学校長 中 野   裕

ページ
TOP