NHK連続ドラマ「花子とアン」が大好評のうちに放送を終了しました。

 

ご承知のように、お話は「赤毛のアン」の翻訳者・村岡花子の出世物語です。

主人公が学んだ“修和女学校”のモデルとなったのは“東洋英和女学院”です。

この東洋英和の第1期卒業生が、本校の創立者・大江スミ先生です。

本校の挨拶が『ごきげんよう』であることも、このことに起因します。

 

村岡花子さんは、昭和30年12月、東洋英和の同窓会新聞(東光)に寄稿しています。

以下に、その一部を抜粋させていただきます。

 

「東京家政大学に学ぶ若い人たちに招かれてあの学校へ行った。

あの学校の創立者で初代の校長は故大江スミ女史である。

<中略>

大江スミ女史は東洋英和の第一回の卒業生であり長い間、

私たちの同窓会の会長であった。

私は大江先生が、ご自身で創められた学園の卒業生たちのつどいに対して

「光塩会」の名を与えられた心を偲んだ。

「なんじらは世の光であれ」「地の塩であれ」

とキリストが弟子たちに教えたその言葉である。

それは婦人だけの言葉ではないが私たちとしてみれば、

女性こそは社会を照らす光であり、くされをとめる塩であるべきだと思う。

大江先生はむかし、私たちの東洋英和でそれを学ばれたがゆえに、

みずからの教え子たちに向かっても、同じ理想を示されたのだろうと思う。

<中略>

大江先生もまた私の恩師の一人である。

先生は女高師から英国へ留学された。

帰国後、女高師と東洋英和と両方で教えられた時の教え子の中に私も交じっていた。

掃除の仕方、料理、洗濯、すべてみな新知識としての科学的なやりかたは

先生から教えられた。」

 

10月にはBSでスピンアウトドラマが放送され、また主演の吉高由里子さんの紅白司会も決まり、

当分のあいだ「花子とアン」熱は冷めやらないようです。

 

1910年東洋英和本科卒業写真

 

1910年東洋英和本科卒業写真
前列左から5番目:大江スミ先生
同中央:ブラックモア校長
3列目左端:村岡花子さん
同右端:柳原白蓮さん

 

 

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