私はこのプログラムに参加することを希望したとき、かなり不安でした。正直、希望したことを後悔したことも何度もありました。その理由は、やはり英語を話す自信がなかったということだと思います。結局、私はそんな不安を抱えたまま、ミレースクールの子との一週間の生活を迎えることになりました。

第一印象、人をこれで判断するのは良くないと思いますが、やはりこれは大切だと思います。私はバディの子に笑顔で挨拶をしました。今思うと私はミレーの子達と過ごした一週間は、いつも以上に笑顔でいられた気がします。それはもちろん、彼女たちが楽しませてくれたということもありますが、私にとって相手に対し笑顔でいるということは、ひとつの礼儀だと思うからです。相手が自分と話している時、表情によっては相手を不安な気持ちにさせてしまうかもしれません。しかし笑顔だったら、きっと相手も話しやすいし、多少は楽になるのではないかと思います。実際に、ミレーの子達も笑顔でいてくれたので、私も積極的に接することができました。
ミレーの子達と一緒に生活する日々は、私にとって、数年間の立教英国学院での生活に新しい風が吹き込んできたようで、とても新鮮で魅力的でした。しかし、彼女達は普段の私達の生活の忙しさに驚いていました。ミレースクールの話を聞いてみると、生活はもちろん、他にも設備や食事など様々な点で違いがありました。私はミレースクールに行った時、かなりの衝撃を受けることを覚悟しましたが、彼女達と過ごした一週間により、今はその気持ちが期待に変わりました。
私のバディだった子はとてもフレンドリーで、いつもなら私は自分から喋らなきゃと焦ってしまうのですが、向こうからも沢山喋りかけてくれたので、会話をかなり盛り上げることができました。少し日本語を教える機会もありましたが、彼女が私に英語を教えてくれた量のほうがはるかに多いと思います。
ミレースクールの子達は日本が大好きで、日本語を一生懸命に勉強しているようでしたが、やはり、かなり難しいらしく、自国の言葉が日本語である私たちがうらやましいと言っていました。私にとっては多くの世界で使われる英語が喋れる彼女達のほうがうらやましいと思いました。
この一週間で、私は、英語に前より自信が持てるようになっただけではなく、彼女達が日本の魅力について沢山語ってくれたため、改めて日本語の美しさ、人柄の良さ、文化の素晴らしさに気づき、日本人であることを誇りに思えました。
春には、私がミレースクールに行きいろいろなことを吸収しなければなりません。私がこのプログラムに参加した理由は、主に英語が喋れるようになりたいということでしたが、今は、それ以上に一人の生徒としてミレースクールに通い、新しい環境で、人との関わり合いや発見により自分を成長させるということです。もう語学の勉強のためだけではありません。私は今回の一週間での経験、これからの一週間での経験を無駄にせず、日々精進したいと思います。

(高等部1年生 女子)

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