大東亜戦争開始直前、アジア、アフリカの
ほとんどすべては白人列強の庶民地で
あった。

例えばスマトラ島を支配していたのは
オランダであった。スマトラ島北端の港町
バンダ・アチェには十六歳から住んでいた
ある老人から直接聞いたが、ここでの
オランダの支配は、残忍きわまりないもの
であった。

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男子の多くが性病で鼻骨が露出したまま
労働に携わっていても、衛生教育ひとつ
しなかった。

様々な毒虫に刺されて化膿し、人々が血や
膿を流して働いていても、薬一つ与えなか
った。

その一方、オランダ人だけは完璧に衛生的な
環境を作り、その中で文化的な生活をエンジョイ
していたと言う。

そのためであろう、日本軍が入ってきたときの
歓迎ぶりは、まさに地鳴りがするほどのもの
だったそうである。

やがて日本軍は敗退するが、その後には再び
オランダ軍が戻ってきた。人々はこのオランダ軍
と戦ってインドネシアの独立を勝ち取るのである。
このような実情は、アジア、アフリカ全体に
共通する傾向だったに違いない。しかし、
いかに過酷に支配されようと、これら植民地に
抵抗らしい抵抗は存在しなかった。

「白人はアジア人など猿と同じだと考えている」と
小学校時代に教わったが、真相はこれに近いもの
だったのではないだろうか。

その無力なアジアの一角に、白人の心胆を
寒からしめる「抵抗勢力」が出現した。日本は
開戦劈頭(へきとう)、ハワイを急襲して米太平洋
艦隊を撃滅し、イギリスの不沈艦プリンス・オブ・
ウェールズを撃沈した。

日本のと戦いに勝利した後、アメリカ占領軍が、
この極東の危険国家を、軍事的にだけでなく
精神的にも武装解除しようと考えたとしても
不思議はない。

そこから、占領軍による我が国の伝統文化へ
の全面否定が開始された。家政学や家庭科に
おける、父や母を敵とするかのような気負いも、
この延長上に位置づけられるものなのである。

 

 

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