人は何故キレルのか(2)

見れば聡明そうな「若き父」である。

しかし私は気になった。

ポケットから手を出させるときに
「転ぶと危ないから」などと理由を
説明しなければならないもので
あろうか。

いや、無論説明はして良い。その方が
説得力を増すであろう。

しかし、そのような理由を 説明しなければ、
ポケットから手を出せと指導できないもので
あろうか。

息子は父を無視 し、ポケットに手を入れた
まま押し通した 「こら、お父さんがポケットから
手を出せと言っているんだ。さっさと出さんか」
そう言って、一発ひっぱたいてやろうかとも
思ったが、他人の子にそういうわけにも行かぬ。

「そうか、ああいうふうに育った子どもが、やがて
高等学校に入ってくるのだな」

そう思いつつ私はケーブルカーの山頂駅に
向かった。 ポケットから手を出させるのに説明
などいらぬ。

お父さんが出せと言ったら、さっさと 手を出せば
よいのである。

しかるに現代の親は、そこでくどくどと理由を述べ、
説得を試みる。

そこには相手を理解させ、納得させるのでなければ
「教育」を行ってはならない。 規範意識は、子どもの
内面から、子ども自身の力によって芽生えさせるので
なくてはなら ないとの理念が潜んでいる。

だが幼児期から、小学校三年生くらいまでの発達段階
では、 判断力そのものがまだ定着していないのだから、
教育には問答無用の要素もなくてはなら ない。

人間としての基礎を身につけさせる、それが躾けと言う
ものである。

 

その3につづく…

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