人は何故キレルのか(4)

しかし「キレル人間」の犯罪的行為、
没価値的行為を、脳科学の成果で、
脳における病理現象の研究で、説明
できるものであろうか。

「そんな病変なら、俺の脳には数々あり
そうだわな」講演を聞きながら私は苦笑
した。

私も、どちらかと言えば「キレヤスイ」人間
である。

しかし、さしたる間違いもなくここまで生きて
きた。

それは親の躾け、先生方の躾けのおかげで
あったと思う。 「脳の病変」などは、そもそも
それ自体個性だと言えるのではないだろうか。

同じよう な病変、同じような「空洞」を持っている
としても、人は高度に個性的な存在である。それ
まで身につけた様々な生きる姿勢や礼儀作法、
自己抑制力によって、人はそれぞれ危機を乗り
越えて今日に至っているのである。

脳科学の成果は尊いがそれに跪いてはならぬ 。

教育学が 特に現場における教育実践が脳科学に
拝跪するようなことがあってはならぬ。

戦後「欲求不満」という心理学用語が教育現場を
風靡した。子どもの非行、没価値的行為は、その
抱く欲求が充たされないところに本当の原因がある。
それを充たしてやること なしに、一方的に叱りつけた
のでは、子どもは一層悪くなる。

かくして、子どもの内面か らひとりでに芽生えるものに
過剰な期待を寄せ、教え込んでいくことにアレルギー
的警戒心を抱く戦後教育の潮流が形成されたのである。
我々は「脳科学の成果」をめぐって、再 び同じ過ちを
犯そうとしているのではないだろうか。

その5につづく…

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