暗記の大切さ (10)

 

歴史に名高い吉田松陰は、幼い頃
叔父玉木文之進の厳しい指導を
受けた。

文之進は松陰の兵学教育に当たった
のであるが、山鹿流兵学、免許皆伝の
人物であった。

玉木文之進は自宅で松下村塾を開いた
人物である。松下村塾は松陰が初めに
開いたものではなく、叔父 玉木文之進の
創出になるものだったのである。

この玉木文之進の教育は、甘えや妥協を
許 さない、極めて苛烈、厳格ななもので
あった。 玉木文之進の厳しい薫陶を受け、
松陰は11歳になったとき、藩主毛利敬親
の前で講義 をすることになった。

彼は山鹿流『武教全書』戦法篇を朗々と講じ、
その講義は、藩主を はじめ居並ぶ重臣たちも
目を見張るほどのものであったという。

その日から「松本村に天才あり」と松陰
(大次郎)の名は萩城下に知れ渡ることに
なる。

 

その11につづく…

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