熊の話(7)

撃ち取ったのは、鈴木幸美さんという農家の
おじさんである。本村には鎌倉さ んという
熊取りの名人もいた。熊を発見したとき、
名人の鎌倉さんは、恐れる色もなくずん
ずんと熊に近づいていった。鎌倉さんは
旅館の経営者でお金もあるから連発銃を
持っている。当時はたしか五連発くらいまで
許可されていたのではないかと思う。

クレー射撃に夢中になった頃、私もレミントンの
連発銃を持っていたが、今は連発は三発まで
しか許されていない。後は薬室の下から一発
ずつ押し入れなければならないのである。

鎌倉さんは性能の良い連発銃を持っているし、
二十頭近くの熊を取った経験が あるから度胸も
据わっている。彼はどんどん、どんどん熊に
近づいていった。熊は怒ったのであろう。うなり声
を発すると共に両手を挙げて立ち上がった。

平素 このような場合鎌倉さんは、その大きく
開けた熊の口の中に弾丸を撃ち込むという
のである。凄い。こうすると、顔に傷が付かず
熊の皮が高く売れるのである。 幸美さんは、
熊を目の前にしてがたがた震えた。結局彼は
熊に向かって三発発射 した。

幸美さんの持っている鉄砲は村田銃である。
引き金を引いたら、一発で薬室は空になる。
これで熊に挑むのは危険きわまりない。しかし
幸美さんは冬の農閑期など、シール(アザラシ
の皮)つきのスキーで山野を歩き回り、ウサギ
やイタ チなどを、狩りしていたから、目にも
とまらぬ早業で村田銃の弾を詰め替える。

それはもう、うっとりするほどの名人芸である。
だから彼は、熊に向かって三発も連射することが
できたのである。鎌倉さんは、その勇敢な接近も
空しく、幸美さんに先を越されてしまった。 熊が
捕まって、協力した人々でお祝いをすることに
なった。丸太を×印に組み、これに熊を立った姿で
縛り付け、その前で記念撮影するというのが当時の
習慣であった。

私は、この記念撮影に参加することはできなかったが、
後に熊の肉で 「すき焼き」をするときにお呼ばれする
ことになった。そのとき、晩秋の熊はま ことに旨いと
いうことを知ったのである。結局熊の足を一本頂いて
教員住宅に持 ち帰った。北海道の冬は寒いから
冷蔵庫など要らない。その熊の足は、春になる まで
私の栄養を支えた。かちかちに凍った熊の足を、
まさかりでたたき割り、その砕けを溶かして肉鍋に
するのだから豪快である。

その8に続く…

 

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