特攻隊員は何故死んだのか(2)

 

帰りの車中色々考えたが、はたと思い当たることが
あった。

当時我が国はアメリカ との戦争の末期である。この
戦争をどのように評価するにせよ、我が国が戦争の
まっ ただ中にあったという事実である。

東京大空襲が行われた。昭和20年3月9日22:30
警戒警報発令、2機のB29 が東京上空に飛来して
房総沖に退去したと見せかけ、都民が安心した10日
00:08に第一弾が投下された。

東部軍管区司令部はまだ気付いておらず、当然ながら
空襲警報も鳴らない。00:15空襲警報発令、それから
約二時間半にわたって波状絨毯爆撃が行われた。

各機平均6 トン以上の焼夷弾を搭載した344機の B29の
大群が、房総半島沖合から単機または数機に分散して
低高度で東京の下町に浸入した。

B29の先発部隊が江東区・ 墨田区・台東区にまたがる40k㎡の
周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁 を作り、
住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った。

その後から約 100万発( 2,000 トン) もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾
やエレクトロン(高温・発火式)焼夷弾が投下され 、逃げ惑う市民には
超低空のB29から機銃掃射が浴びせられた。

折から風速30m の強風が吹き荒れて火勢を一層激しいものにし、
火の玉のような火の粉が舞い踊り、強風に 捲かれた炎が川面を
舐めるように駆け抜け、直接戦争とは関係の無い一般市民は
次第に迫ってくる火の壁の中を逃げまどいながら、性別も判らない
ような一塊の炭と化すまで焼き尽くされた。

 

その3につづく…

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