特攻隊員は何故死んだのか(3)

 

これが東京大空襲の真実である。ハーグ条約は
非戦闘員に対する攻撃を禁じている が、予め
退路を遮断した後に爆撃を加えるなどは、残虐
といわれる近代戦争にもその例を見ないもので
ある。

サイパン島は1944 年 7月9 日 日本軍全滅の後
アメリカ軍に占領された。 その際、米兵に辱めら
れることを潔しとせず、多くの日本人女性が崖の
上から身を投じた。その場所は今も「万歳クリフ」と
いう地名として残っている。

翌年(昭和20 年)  2月に硫黄島が、栗林中将以下
の将兵の徹底抵抗、全滅という激戦の末占領された。
敗れれ ばここを基地にして同胞への爆撃が行われる
ことを熟知する彼らは、最後の一兵まで戦ったのである。

事実米軍は、ここを基地に東京大空襲を行った。
8月6 日、広島、次いで 9日長崎に原爆が投下された。

その残虐さを、最前線の兵士達は、つぶさに耳にして
いたに違いない。自分たちの同胞が米軍の手によって
灼かれ殺され辱められようとしている。兵士達がそう自覚
したとしても、決して無理なことではあるまい。そのような
危機意識の中で、若者達は愛する者を守るという強い
使命感を抱いて死地に赴いたのではあるまいか。

その4につづく…

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