特攻隊員は何故死んだのか(4)

 

展示を見て回っているうちに、私は驚くべき事実を知った。

その中のある中佐は、 特攻出撃の日に二十九歳であった。
彼は中隊長である。隊長であるから彼は部下を特 攻隊員と
して死地に送り込まなくてはならない。

出撃者を見送る度に彼は 「俺も必ず 、 後で行くから」と語った
そうである。 しかし彼は飛行機を操縦することができない。

そこで、複座戦闘機の後ろに乗って 出撃することを嘆願したが
許されない。三度目は血書を認めて嘆願したがやはり駄目で
ある。

さりとて簡単に操縦技術を身につけられるものではない。

そこで彼は猛勉強の末、モールス通信の技術を習得した。
そして通信兵としてパイロットの後ろに乗り 特攻出撃したの
である。

彼は中隊長であるから、事前に家族に会うことができたの
かも知れない。彼は死の決意を若妻に語った。その妻は
夫の覚悟を知ると、三歳と五歳の子と一緒に1月の荒川に
身を投じて、夫の出撃の前に自ら命を絶った。

その遺書には「私たちはひと足お 先に行って、あの世で
お待ちしております。ですからあなたは、後のことは一切
気に せずにお役目を果たしてください」とあったと言う。

出撃を明日に控えての、亡くな った幼子二人と妻への
遺書も読ませてもらったが、私にとっては衝撃的な体験で
あっ た。

 

司令官であった板垣纏中将も特攻出撃している。もうひとりの
司令官大西滝次郎中将は、敗戦を知ると同時に官邸で割腹
自殺している。

「若者多数を殺した俺には、楽に 死ぬ資格はない」と言い残し、
介錯を拒否して、苦闘六時間の末、血の海の中で絶命 したと
言う。

特攻隊に関し、六十年後の今日、様々な見方があることであろう。
それぞれ尊い意見であろうが、戦争という限界的緊張状態の中で、
愛する者達を守ろうとする自覚の中にあえて死を選んだ数千の
人々があったことを忘れてはならないと思うのである。

<完>

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