「ダンスをやりたいのですが」と、瀧野川女子学園に問い合わせをする人がどうも増えているようですので、この辺でダンス部の紹介をいたしたいと思います。

ダンス

「ライオンキング」「キャッツ」「コーラスライン」をはじめ、長年にわたり多くのミュージカルを公演し、日本の演劇界トップとして時代を牽引し続けている劇団四季。

その劇団四季で20年以上にわたりダンサーを務め、何度もダンスキャプテンを任せられた経験も持つ小松陽子さんを講師に迎えて活動しているのがダンス部です。

タンス部

小松コーチの人生は、少しドラマチックですので、長くなりますが、ご紹介したいと思います。

タンス部

小学生の頃、モダン・創作ダンス・ジャズダンスなどを経験し、面白みを感じるようになった小松コーチは、舞台で食べてゆきたいと夢を抱きました。

高校生になって、「本場でバレエを観に行け」と言う当時の先生からのアドバイスに、ユーゴスラビアに渡り、オーディション受けてバレエ団に入りました。

18歳から19歳の年に2年ほど、ユーゴスラビアのバレエ団にて、プロとして月5回公演に出演していました。

東洋人は一人だけ。周りは皆、セルビア語で、踊りしかやることがないから自主練習を繰り返しました。

一番辛かったのは退屈で、10時から始まるレッスンで一日は終わり。
何もないところだったので、バレエの練習しかすることがなかったそうです。

やがて、日本人の友達ができて、カップラーメンを食べるのが幸せで、くじけそうになったら、国に電話や手紙を書きました。
そのほかの空いた時間は、少ない友達に会ったり、日本語の本を読んだり、ラジオで音楽を聴いたりしていたそうです。

タンス部

しだいに、マイムだけで終わってしまうバレエでは、自分を表現しきれないと感じつつあった小松コーチは、内戦が始まったユーゴスラビアからハンガリーに行き、同じくバレエ団のオーディションを受けました。

見事合格し、晴れて入団かと思いきや、担当が亡命してしまいました。

すでに、バレエより芝居に挑戦してみたいとの思いが強まっていた小松コーチは、これを機に帰国し、準備期間を経て、劇団四季に研究生として入り、基礎演技、セリフ、歌、踊りを一年学びました。

翌、四月に初舞台を踏み、ファミリーミュージカルに出演するようになりました。

タンス部

ライオンキング、キャッツ、コーラスライン、李香蘭など、誰でも知っているような、錚々(そうそうそ)たる大舞台に立ち続けました。

無我夢中で舞台に立ち続けた小松コーチが、ようやくお芝居ができると思ったのは、ライオンキングのハイエナの役でした。

ライオンキングは、オープニングから出演し続け、フライングダンサーからフロアダンサーを任されていた小松コーチは、20代後半になって、ダンスキャプテンを任されるようになりました。

ダンスキャプテンは、先輩が他の演目に行った時に任されるそうです。

さらには、キャッツでもダンスキャプテンを任されました。

舞台に立つのは、おおよそ40人ほどで、半分はダンサーです。

その出演ダンサーをまとめるのがダンスキャプテンなのです。

タンス部

ダンス稽古を見る立場として円熟した小松コーチは、最大、年に359ステージに出たそうです。

ライオンキングは、衣装を着ながら歩くのが大変だそうです。

年下の劇団員や研究生が苦労しているのを見て、その時、自分が支えなきゃと思いました。

コーチとしての思いが芽生えました。

小松コーチの先輩も、「目の表情も骨で目を大きく開く」などと細かいことから教えてくれました。

その時思ったそうです。

「私が学んだことを後輩に伝えていかなきゃ」

タンス部

その後、小松コーチは、どのようないきさつで瀧野川女子学園のダンス部のコーチに就任したのか、こちらにインタビュー記事がのっています。

ダンス部の動画もあります。

LD

 

ダンス部は、あかつき祭エンディングにて、バトン部、軽音部とユニットを組んで、大声援を受けました。

タンス部

広報が、ダンス部の練習に見学に行った時も、

「自分を見て、自分の目は、お客さんの目だから」と、大舞台にたった経験ならではのアドバイスをしたり、「ジャンプは、つま先から下りる。どんどんと音しないように」と、バレエ経験者ならではの教え方をしていました。

  • ダンス部ではホッとする場をつくりたい
  • 恥ずかしがらずに個性をどんどん出して行ってほしい
  • 卒業しても人と協力しながら力強く生きていってほしい

タンス部

願いをこめて教える小松コーチは、今、「教えることも含めて、色々なものに挑戦している時期」、生徒たちとともに成長中です。

【クラブ紹介】チアダンス部

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