創立者下田歌子は、現在の岐阜県恵那市岩村で、岩村藩校教授の長女として生まれ育ちました。
5才で和歌、俳句を詠み、7才で漢籍(漢文で書かれた書物)を読むことができました。
聡明で、強い勉学の意思がありながら、当時、女性は藩校で学べませんでした。
女性も学べる場所が欲しいという思いが募りました。
明治4年、16歳の時に、故郷に別れを告げ、東京に旅立ちました。その時に詠んだ歌が「綾錦」の歌です。
綾錦 着て帰らずば 三国山
またふたたびは 越えじとぞ思ふ
「志を遂げることができないならば私は二度と故郷には戻らない」、この時、少女は大きな志を抱いておりました。
女性の教育機関を作ることです。
この28年後、1899年(明治32年)に本校を創立します。若い少女の大きな志が本学園、本校の原点です。
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