似顔絵1 - コピー (2)オミクロン株による感染拡大は、学校においてもその対応や判断に苦慮します。まずは生徒たちが安心して学校生活が送れること。できうる感染対策をしっかり行うということに尽きるでしょう。

あと10日で入試期間が始まります。こちらも安心して受験生を迎え入れられるように体制を組んでおかなければなりません。受験生はもちろん、ご家族の方は本当に神経を使う日々が続いておられることでしょう。くれぐれも無理をなさらないように願います。

さて、そのような時期ではありますが、〖ほりしぇん副校長の教育談義〗の連載はできうるかぎり継続させていきたいと思います。第29話は前回の続きです。重松清の『千羽鶴』を中学生はどのように受け止めたか。印象的なフレーズを抜き出し、何を感じたかを書いてもらいました。教室では顔には出さないように必死に平静を装いますが、心の中はドキッとすることの連続でした。是非、前回に引き続き生徒の書いた文章を読んでいただきたいと思います。

前回のブログ (第28話)国語の授業『千羽鶴』(重松清)①生徒と協同で読む

(中学校副校長 堀内)

 

《わたしは『みんな』って嫌いだから。『みんな』が『みんな』でいるうちは、友だちじゃない、絶対に》 F.Aさん

この作品の中で使われる『みんな』とは、周りに合わせ、不必要に気を遣う、『友だち』とは言えない集まりのこと。それなら、『友だち』とは何か。単純に考えればその逆で、一人一人が自分を出すことができて、無駄な気も使わない……そういうことになるし、あながち間違ってはいないと思う。

私は、周りに合わせることも不必要に気を使うことも、できないしやりたくもない。小学生のころはとにかく友達は多ければ多いほど良い、むしろクラス全員仲が良ければいいのにーなどと常々思っていたが、中学に入るとグループというものができたり、他人を『ハブる』などといったこともいくつか目にするようになった。

みんなの仲が良くて、友達がたくさんいるのが一番良いんだろうという考え方は変わっていないが、今はそれよりも、信じることのできる『友だち』というものが一人でもいれば幸せなことだと思えるし、中身のある友情なら多ければ多いほど良いと思っている。ただでさえ何かが他人とズレている私にも、そう思える人がたくさんいる。それは本当に幸せなことだと思う。

人間誰しも嫌われたくない気持ちはあると思うし、みんなと仲良くなりたい気持ちもわかるから、西村さんへの共感はできる。だからこそ恵美ちゃんの考えも徐々に理解できるようになった。行動や言動、生い立ちはまったく違っても、どこかしら西村さんと通じる自分が私にはあるのかもしれない。

 

 

《「いなくなっても一生忘れない友だちが、一人、いればいい。」》   S.W.さん

私は、いる。一生忘れない友だちが。自分でもすごく不思議だ。だって、中学三年生(世間でいう“年頃”)の人の中で『一生忘れない友だち』がいる人は本当に少ないと思う。でも、大事な大切な友だちがいたとき、何でも乗り越えることのできる魔法のチケットを手にしたことと同じではないだろうか。その人がいるから、がんばれる。恵美ちゃんもきっと由香ちゃんがいるから、足が悪くても、学校で嫌われていても、一人でもあんなに強く自分を保っていられるのだと思う。私も同じだ、と思った。大事な存在があるから、人にとやかく言われようと自分を変えない。その人は受けとめていてくれるから。

ところで、一緒に行動しているからといって友だちとは限らない。私はそれを中学校で学んだ。小学校にいたときとは違う、複雑な友だち関係。ある夜、メールが来た。もうずいぶんと前のことだが、はっきり覚えている。私のことを“みんな”嫌っていて、学校では話しかけないでという内容だった。行動を共にしていた人からだった。《『みんな』が『みんな』でいるうちは、友だちじゃない》……。恵美ちゃんの言ったこの一言に、私はそんなことを思い出していた。恵美ちゃんの言っている『みんな』のことと私に来たメールの『みんな』は同じだ。存在をにごし、なおかつ一致団結性を強調する、便利な言葉だ。そして、人を傷つける言葉。やっぱり、その時の心の支えになったのは『一生忘れない友だち』の存在だった。相手が私のことをそういう風に思っているかは正直、わからないけれどそれは関係ない。ただ、私にとって大事な存在。それだけのことだと思う。

話はだいぶ変わるが、授業中「西村さんマジウザイ。理解できない。」という言葉をよく耳にした。わからなくもないが、そういう人もいるのかと認めてほしい。理解はできなくても。西村さんを認めてくれないのは、私を認めてくれていないように感じてしまう。他者を認めることができない、の『他者』の中に、私も含まれているのだから。

誰もが「千羽鶴」を読んだ後に考えることは、友だちとは何なのか。また、親友とは何なのか、だと思う。結論を出すことはできないだろうけれど、私の中で何かを感じた。

 

 

《「いじめのいちばん怖いところはなんですか? 体験者として教えてください。」 誰かに訊かれたら、こう答えるつもりだ。 「性格を変えられちゃうところです」と》   T.M.さん

「変わること」を恐れる西村さんに対し、私は―どうして変わってはいけないのだろう―と疑問を感じた。たしかに、西村さんはいじめという辛い経験をしたことによって、自らの意志に反して変わらざるを得なかった。この「反して」の部分があることで、西村さんは変わることを拒み、変わってしまった事実を認められずにいる。仕方のないことだと思う。けれど、そのせいでいじめにあっていた時の自分から抜け出せないでいるところをみると、どうしてもじれったいような気持ちになってしまう。

私も、小学生のときに何度も友だちとの関係でもめたが、今はもう引きずっていない。あの時はくやしくて、辛かった。でも、あの時、自分の中で何かが変わったから、今の自分があるのだと思う。何が変わったのかは、具体的には言えないが、確実にどこかが変わった。ふと思いかえした時に、あのとき何もおこらなかったら……と考えると、今の自分はいなくなってしまう気がする。辛かったけれど、そのおかげで成長を伴う変わり方ができたのだ。

恵美ちゃんだって、辛い経験をした中で、由香に出会った。自分が変わったことを受けとめ、周りの目を気にすることなく自分の気持ちに素直に生きていられるのは、由香の存在があるからだろう。由香のようにどんな変化をしても受けとめてくれる人がいたから、恵美ちゃんの変化は成長へとつながったのだと思う。西村さんには、この受けとめてくれる人が近くにいなかった。私の場合はお母さんだったが、西村さんのお母さんは、娘がいじめられたことを悲しむだけで、お母さん自身もいじめのことをひきずっている。これが、西村さんを苦しめているのかもしれない。改めて、自分を受けとめてくれる人の存在の大切さを感じた。

 

 

《「わたしは『みんな』って嫌いだから。『みんな』が『みんな』でいるうちは、友だちじゃない、絶対に」》  Y.T.くん   

この文章が心に引っかかった。小学校では、この「みんな」を「友だち」と低学年の先生は呼んでいたが、その頃から少し引っかかっていた言葉である。「友だち」とはそもそもどの程度の関係でそう呼べるのか。たとえば誰々と誰々が「友だち」の関係だといわれても、それを聞いたものは二人の仲を正確にわかるわけではない。せいぜい二人がいくらか友好的かそれ以上である、ということしかわからない。

近くの公園のトイレに弟の小学校の頃の子どもたちのレリーフが何個も飾ってあるのだが、そのうちで一つ興味深いレリーフがあった。右下の方に題名であろう「始業式でできた初めての友だち」と書いてあって、中央では少女が「友だちにならない?」ともちかけ、相手の子が「イイヨ!」と言っているのだが、そのレリーフを見たとき、何というか変な気持になった。そもそもそんな風に持ちかけて認められたら「友だち」なんだろうか。

何の本だったかは忘れたが、「友だちは突然友だちになるのであって、突然友だちにならなければ、友だちではない」というようなことを読んだことがある。其のとおりだと思った。なんというか、友だちって形式ばってつくるものではないだろうな、とは思う。

最後に、西村さんは前の学校の「みんな」を憎んでいるが、「みんな」の中には自分の行動がイヤで本当はしたくなかった子もいたはずだし、手をさしのべる勇気はないけど、西村さんを助けたいと思った子もいたであろう。後遺症は西村さんの「みんな」の見方のせいだったのかもしれない。……といっても、だれかそばで見守ってくれる人がいないのでは無理である。

 

《「いなくなっても一生忘れない友だちが、一人、いればいい」》   I.M.さん

この文章は、読んだままの意味だと思う。ただ、言いかえるなら、「表面だけの付き合いの友だちなら要らない」という意味にもなる。心に人間関係で嫌な思い出がある人には、この文章の言っていることはとてもよくわかるし、逆に人間関係で失敗したことがなくて上手に他人と合わせてこられた人には、実感がわかないと思う。

私は七年生のある時期、一人でお弁当を食べていたことがあった。気がつくといつのまにか声をかけてもらえなくなっていて、自分から話しかけてもみんなの反応が前と違っているのに気づいた。この状況は、生まれてすぐ日本を離れ、小学校入学のときに六年ぶりに帰国した頃となんだか似ているなと思った。みんな誰かと一緒にいて、違うことをしたり話したりする人を遠ざける。西村さんは、一人が嫌だから必死でみんなと仲良くして、楽しそうに見えるようにしたかったのだと思う。でも、自分の気持ちをおさえて、他人にあわせてばかりだと心が苦しくなってくる。

そんな私に姉が「中一の頃は自分の居場所をつくるために仲間を作る。自分を守るために平気で人を傷つける。良かったね。早くそんな目に会って。きっとこれからは他人の気持ちを気づかってあげられるよ。私も色々あったから。」と話してくれた。なるほどものは考えようだと思い、それからとても気持ちが楽になった。

七年の時の彼女たちは、きっと自分たちの居場所を守ったんだと思う。私は苦しかったけれどそんな経験をしたからこそ帰国した時も今回も大切な友人ができた。恵美の言った「一生忘れられない友だちが一人いればいい」というセリフは私にはとてもとても共感できる。

 

《言葉はナイフだった。》   A.R.くん

私は小学校六年生の後半にイジメにあったことがある。その時、私はイジメられていることに気付かなかったが、ある友達の一言で私はイジメられていると感づいた。周りの友達に話しかけても、みんな「ふーん、あっそ、よかったね」としか言わなかった。私は、とてもショックを受けた。もっとひどかったのが、私が触れたもの、触ったものを「きたない」だとか「きもい」だとか言われ、とても傷ついた。しまいには、私が買ったおみやげがゴミ箱に捨てられてあった。私は何もしていないのに、なぜイジメられたのか考えた。特に思いつくことはなかった。でも、自分がイジメにあって気づいたことがあった。私も、イジメられる前は友達に「バカ」や「死ね」など何も考えずに言っていた。私は友達を嫌になると同時に自分も少し嫌になった。

「きみの友だち」を読んで、西村さんと自分がとても似ていることに気づいた。文中での「負けたくない」などぴったりあてはまる。私はもう、だれもイジメたくないと思った。

 

 

『千羽鶴』という作品を語ることをとおして、生徒が自分を語っていることに気づかされます。中には自身のいじめ体験もあります。これらの文章を教室で交流したく、生徒に「印刷して、みんなに配っていいかな?」と聞きました。すると、ほとんどの生徒が「全然いいよ!」と答えます。外に向かって表現できるということは、すでに過去のできごととして自分の中で消化できているということなのかもしれません。

一人、気になる女子生徒がいました。何かというと「西村、ウザイ!」と、つぶやくのです。それが次の授業でも執拗に続きます。ところが、何時間目かの授業が終わった後でした。私のもとにやって来て、小さな声でつぶやいたのです。「西村さんと私って似てる?」どきっとしました。

自分自身と向き合うということは勇気がいります。エネルギーが必要です。一方で人からどう見られているかということも気になる。文学作品を共同で読んでいく中で、一人一人の生徒が自分自身の中に西村さん的な部分があることに気づいていったのでしょう。もちろん、私の中にもあります。そんな教室の雰囲気を彼女は感じていったのかもしれません。彼女の頑なな心が少し柔らかくなったようにも感じました。

ページ
TOP