高1古典では、7月7日のオンライン授業日にちなんで、七夕に関する和歌の鑑賞を行いました。七夕の夜は、日本ではあいにくの雨でしたが、世界各地では美しい天の川を楽しむことができた人もいたのではないでしょうか。

離れ離れになってしまった織姫と彦星に、コロナ禍を生きる自分自身を重ね合わせて読んだ解釈も数多く、現代に蘇る和歌の可能性を改めて再認識することができました。

今学期より古典の学習を始め、古典文法を基礎から学びはじめたばかりではありますが、古語に耳を傾け、31音からなる和歌の意味世界に想像を膨らませることは、古典文学作品、またその文化を体系的に学ぶ機会になりえると考えています。

今回は、全2回に分けて、生徒による解釈をいくつか紹介したいと思います。

第1回は次の歌に関するものです。(歌は「古今和歌集」(岩波書店・1994・佐伯梅友 校注)より引用しました。)

「久方(ひさかた)の あまのかはらの 渡守 きみ渡りなば かぢ隠してよ」

(古今和歌集・秋歌上・読み人知らず・174)

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天の川の船頭さん、彦星様が川をこちらへ渡ったら向こうへ帰れないように船のオールを隠してください。
▶ 年に一度しか会えないのだから、彦星様に帰って欲しくない・もっと側にいて欲しい、という切ない気持ちが表れていて胸が締め付けられた。また、オールを隠しちゃえ、という考えをとても可愛らしく感じた。会える日がわかっているから7月7日を年中楽しみに待つけれど、その分別れる時の悲しさ、寂しさは大きいだろうと思う。自分は年に一度しか会えないという思いをしたことがないけれど、立教英国に行ったら友人と別れる時にそう感じるのかな、と思った。

天の川の渡し舟の船頭よ、あの人が川を渡ったら、船をこぐ道具を隠してください。
▶「あの人」という言葉に見つかったらいけない秘密感が溢れ出てて素敵です。また、私だったら天の川を破壊してください。と言うけれど船をこぐ道具を隠すという言葉は可愛いです。この歌を読んだ人はきっと、物語が好きで織姫と彦星のような切なく深い恋がしたいのだと思います。とても素敵です。この時代に行って私もその人の隣で読みたいです。

▶ 一年に一度しか逢えない、この日を待ちに待っていた織り姫の溢れる感情を代弁しているような和歌だと思いました。逢うこと、さらに川を渡ることさえ、渡し守に頼らなければ自由に出来ないという点や、この時間がずっと続いて欲しい、彦星が帰れなくなればずっと一緒にいられるのに・・・と考える、かわいらしくて切ない思いが感じられます。
「川を渡ったら」というところで、まだ逢えていない状況でも逢える喜びを越えてその後の別れたくないという思いが強いことに、彦星への深い愛情、恋心が伝わってきました。
実際の星、織り姫のベガと彦星のアルタイルが14.4光年離れているということも二人の距離を表しているようで、悲しくて橋を架けたいと願わずにはいられませんでした。
さらに、冒頭の「ひさかたの」は調べてみると枕詞でしたが、私は始めに読んだとき、一年に一度、「久しい」ということを強調する言葉だと思っていました。久しいという意で考えるとより強い思いも感じられると思いました。
また、この和歌をずっと見ていると、「渡し守」のところが「私、盛り、、、」にも感じられ、私の気持ちはあなたにやっと会える喜びに満ち、盛り上がっています、というようにも感じられました。

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