論文の書き方(4)

その他注意すべき事
名文とは「短い文」だと理解して欲しい。
我ながら悪文だと思うときには、それを
三つか四つの短い文章に分けて表現
することだ。

日本一の文章家は夏目漱石かも知れぬが、
例えば「草枕」を読んでみると良い。美事に
短い文章の連続だ。三島由紀夫、川端康成、
すべてそうである。

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「潮騒」「雪国」は短い作品だから、疲れたときに
目を通して見てはどうか。

論述の一、二箇所に、君自身の生活観、
具体的な生き様を加えると良い。例えば
高齢化問題を論ずるとしよう。「私の父は
元気である。この父もやがて老境を迎える
のかと思えば少し淋しい。しかし幼い頃、
疲れていてもキャッチボールの相手を
してくれた父だ。今度は私が、しっかり
と支えてやりたいと思う」などと、生活感、
息づかい、君自身の個性をちりばめることが
大切なのだ。それも、ごく簡潔にである。

その5につづく…

 

論文の書き方(3)

起承転結
この事は、余り気にしない方がよい。

しかし念のため説明すると、「起」では、
自分が、その設題をどう受け止めたか、
それに対し、どのように見解開陳するかを
簡潔に纏めることだ。

「承」は本格的に見解を開陳することに
なる。ここは主戦場だと考えて良い。

「転」は、設題を忘れてはいないが、自説を
主張する上で有利になるような、一応設題を
離れた分野から論ずることである。この事が、
自説の戻って論ずるときの足下を固めること
につながる。

「結」は言うまでもなく結論である。簡潔に纏める
ことだ。

佐久間象山が次のような狂歌を詠んでいる。
起承転結の極意を簡潔に纏めたものである。

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京の三条の糸屋の娘
姉は十六 妹は十四
諸国諸大名は弓矢で殺す
糸屋の娘は 目で殺す

その4につづく…

 

 

論文の書き方(2)

論文展開の構想を練る

論文執筆に先立ち、充分に構想を練らなくてはならない。
字の巧拙は、立派であるに越した事はないが、それは
論文の合否にほとんど影響しない。

一通りの漢字を使用してあれば、この点で落第扱いされる
ことはない。但し漢字を適切に用いず、ひらがなばかりを
多用すれば、多少減点の対象となることはある。必要な
漢字はしっかりと用いることだ。

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繰り返すが、構想を充分練ることは極めて大切である。
闘志がなければ構想に時間をかけることはできない。
弱気な人ほど、深く考えずに筆を起こしがちである。

「待て暫し」と、はやる心を抑えて充分に構想を練る事だ。
構想も立っていないのに筆を起こすことは敗北に直結する。
私は60分の持ち時間のうち、25分は構想を練ったも
のである。もっとも私の場合は筆速が速いからこうしたが、
一般には構想に当てられる時間は三分の一程度が適切
であるかも知れない。

 

その3につづく…

 

出題に正対する

一番大切なことは出題に正対することである。
つまり「聞かれたこと」に、しっかりと答える事で
ある。典型問題であると説例問題であるとを
問わない。

易しいことのようだが、これが意外に難しい。
出題に正対することに成功すれば、論文試験
では八分通り合格と考えて良い。それほど出題
に正対することは大切なのである。

辞書とビジネスマン
過去問に当たり、現代の高校生に対して、大人
の世代が何を問うてくる可能性があるか、じっくり
と考え、自分が出題者になった積もりで「仮定出題」を
30問ほど作ってみると良い。似たようなものを除去して
いけば、出題範囲は意外に限定されてくるものだ。

自分なりに30の出題を想定することは割合難しいもの
である。

その2につづく…

蚊帳への郷愁(2)

蚊帳は、目の細かい網でできた大きな
四角い袋である。

六畳間一杯になるくらいの大きさがある。
天井はあるが底はない。

布団を敷き終わった部屋に、布団を囲む
ようにしてこの蚊帳をつるすのである。

ひもの先に結ばれた真ちゅうの環が美しかった。

狭いから、家族全員が身を寄せ合って眠る。
暑いから、縁側や窓などはもちろん開け放って
おく。布団に寝て、眠れぬまま蚊帳の天井を
見ていると、蚊帳越しに月が差し込んできたりする。
吹き込む涼風が、蚊帳全体を揺する事もあった。

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最近は蚊も少ない。クーラーや網戸も普及し、
蚊帳はすっかり姿を消してしまった。しかし、
涼風に吹かれながら家族と一緒に蚊帳に眠った
あのころが、自分の一番幸せな時代だったように
思われてならないのである。
<完>

蚊帳への郷愁(1)

蒸し暑い夜が続く。

このころになると私はいつも薄緑色のあの蚊帳を
懐かしく思い出す。今では蚊帳など知らぬ人が
多かろう。

夜ともなると、ぷーんと高い周波数の音を立てながら、
蚊は人間を襲った。蚊やりなどをたくが、なかなか
それくらいで退散する相手ではない。

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手でたたきつぶしたり、うちわで追い払ったりするが、
寝てしまえばそれもできぬ。

結局この季節には、どの家も、部屋一杯に蚊帳をつるし、
家族全員がその中に入って眠るのが夏の歳時記であった。

その2につづく…

 

平成 3 0 年度
狭山ヶ丘高校サッカー部練習会のお知らせ

狭山ヶ丘高校サッカー部では、現中学生を対象にした練習会を
下記の通り開催致します。狭山 ヶ丘高校サッカー部に興味のある
方は、この練習会でサッカー部の指導や雰囲気を肌で感じてくだ
さい!

・第一回 7 月 3 1 日(火)16:00~

・第二回 8 月 1 日(水)16:00~

・第三回 8 月 2 4 日(金)17:00~

・第四回 8 月 2 8 日(火)17:00~

来年度生より新しい4コース制に改編いたします。
よく誤解されるのですが、サッカー部に入部する
には、必ずしも【総進】総合進学コースに在籍しな
くてはならないわけではありません。

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soccer_28_kantoyosen_02

今春に卒業した前キャプテンも現【難関】難関国立・
私立進学コースに在籍し、一般入試を経て東京理科
大に現役合格しています。

【国立】最難関国立進学コース

東京大学をはじめとする最難関国立大学現役合格を
目指すコースです。

【難関】難関国立・私立進学コース

国公立大学や早稲田大学、慶應義塾大学をはじめと
する最難関私立大学現役合格を目指すコースです。

【特進】特別進学コース

文武両道を合言葉に、部活動に勤しみながら難関大学
現役合格を目指すコースです。

【総進】総合進学コース

部活動(野球部およびサッカー部)に重点を置きながら
大学進学を目指すコースです。
※本コースは推薦入試(専願)での受験となっており、
事前に本校の当該クラブ顧問との事前相談・練習参加が必要です

(キャプテンから)

私たちはJリーグで指導してきた西澤先生、
ユース時代Jリーグの下部組織で活躍した
のちJリーグでGKを指導してきた荒井先生、
同じくユース時代Jリーグの下部組織で活躍
したのち日本体育大学でプレーし、岡山県
作陽高校で指導してきた金子コーチ、Jリーグ
で活躍したのちコンサドーレ札幌強化部スカウト
を務めている黄川田コーチに指導して頂いて
おります。

昨年度は、関東予選埼玉県大会3位、インター
ハイ埼玉県大会3位の成績を残しました。今年
度も関東予選埼玉県大会で3位となり、チームを
強化してU-18埼玉県1部昇格や全国大会出場を
目標に日々努力しています。

また、サッカー部は良い街作りや地域の活性化に
貢献するため、クリーンアクションと題し、定期的に
入間市内のゴミ拾いも行っています。

このように私たちはサッカーだけでなく、学業や
地域貢献などを通じて、自分自身を高めています。
3年間学業とサッカーを両立しながら、全国大会出場
を本気で目指して活動しています。

詳細はこちらです

女子バレーボール部から中学3年生対象練習会のお知らせです。

平成30年8月5日(日)  9:00~13:00

平成30年8月12日(日)  9:00~13:00

平成30年8月26日(日)  学校説明会終了後

場所:本校体育館

持ち物:運動できる服装、飲み物、タオル、着替え

※事前の連絡は不要です。

 

中学3年生対象練習会のお知らせ

 

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父与作の失敗(4)

 

ところが、その頃、日本経済は大変なインフレに
見舞われた。

日本銀行の卸売物価指数は 1945 年 9 月の
346.6 から 1948 年 12 月までの間に 20825.1
まで急騰した。三年三ヶ月の間に、 実に 60 倍の
上昇である。

「今の百円が一万円になる」のではなく「今の百円
は一円六十銭」 になってしまった。

一億円が 160 万円になったと言う方がぴんと来るかも
知れない。

やがて「傾斜生産」は国の方針から姿を消す。

朝鮮戦争による「朝鮮特需」が終わる頃、 日本経済は
墓場のような低迷状態に陥る。

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あれほど勤勉に働き続けたのに、与作の手元には
自分が住む家一軒を建てる程度の金しか残っていな
かった。

あれほど勤勉に働き続けたのに、 彼はどれほど淋し
かった事であろうか。私も妹も学生だから、家計を
助ける力はなかった。

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それでも彼は、私たち兄妹を大学に通わせるため
働き続けた。晩年は多少の家賃収入で暮ら せるように
なったが、デフレとインフレを取り違った彼の判断ミスは、
その生涯を名状しが たい寂しさに追い落としたに違いない。

 

その5につづく…

 

父与作の失敗(3)

 

「こんないい時代は長くは続かない。」

彼はいつもそう口にしていた。

だから朝の四時と もなると現場に出て
いたし、夜は八時前に帰宅することが
なかった。

しかし彼は、戦後経済の先行きに関して
致命的な過ちを犯した。

「今の百円が一万円に使 える時代が必ず
来る」と信じていたのである。第一次世界
大戦、いわゆる欧州大戦の後、急激に物価
が下がる時期があったらしい。いわゆるデフ
レーションである。

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それを経験した彼は、大きな戦争があった
後には必ずデフレが来ると思っていたらしい
のである。

だから彼は毎月せっせと貯金を重ね、
「金持ち」にしては実に驚くほど慎ましい
生活を続 けた。

「炭住」建設ブームだから、我々の家族は
少し古い「炭住」に住めた。石炭も電気も
只である。金の残らない筈がない。

 

その4につづく…

 

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