「しなくてもいいこと」
ルカによる福音書4章1節-13節

「マウントをとる」ことをやめてみた1年間がありました。私はもともとよく「マウントをとる」人でした。そんな自分は惨めだし、相手も気持ちがよくない。だからとにかく1年間やめてみようと思ったんです。1年過ごした結果、何も変わらなかったんです。でも、何も変わらなかったことで気づいたんです。これは、私にとって「しなくてもいいこと」だと。
私たちは、生活の中でいろいろな「しなくてもいいこと」をしてしまいます。それは、恐れから来るのではないでしょうか。誰かより優れていること、みんなより劣っていないこと、それを確かめなければまるで自分の価値がなくなってしまうかのような恐れです。
この箇所は、そんな「しなくていいこと」をさせようとする誘惑が描かれています。悪魔の言葉は「神の子なら」ではなく、正確には「神の子なのだから」です。自分の為に石をパンに変えることもできたし、飛び降りれば神さまが助けてくれることだってわかっていた。でも、しなかった。そんなことしなくても、自分は愛されていて、価値ある存在だと知っていたから。
イエスさまにとって、石をパンに変えることは、「しなくてもいいこと」だった。けれども、福音書の中には、イエスがパンを増やした話が書いてあります。自分以外の群衆がお腹を空かせていたからです。福音書の中に描かれる奇跡は、見せつけるためではなく、他のだれかのためでした。恐れからくる自己アピールは「しなくてもいいこと」です。でも、時には自分の持つ知識や力を表した方がいい時があります。それによって誰かを助ける時です。皆さんは学校でいろいろなことを学んでいます。知っていること、できることが増えていきます。知識や力をどこで使うのか。「しなくてもいいこと」のために使うのか、それとも本当に必要な人のために使うのか。せっかく学んでいるのだから、学んだものの使いどころを見極めて行ってほしいなと願っています。

聖書科の教員より

 

聖望学園では中高とも週に1度、礼拝が行われます。キリスト教の精神を学び心を落ち着かせると共に、ことば(メッセージ)を聞くことができます。毎週のメッセージから、人生を歩むヒントや心の支えを見つけてもらえると考えています。

部活や授業、行事では学ぶことのできない、「生きる糧」となるメッセージをもらっています。

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