ガラテヤの信徒への手紙2章15節-16節, 19節-20節

みなさん、宗教改革記念日は何月何日かわかりますか。高校2年生の11クラスすべてで質問しましたが、何月何日か答えることのできた人はだれ一人もいませんでした。そこで、ハロウィーンは何月何日かと質問したら、すべてのクラスで10月31日と答えてくれました。実はハロウィーンと宗教改革記念日はどちらも10月31日です。それには共通した理由があります。11月1日にはかつて重視された万聖節(ばんせいせつ)というキリスト教の祭りがありました。それは、すべての亡くなった人々を記念する祭りで、英語ではハロウマスと言います。ハロウマスのハロウは聖徒、亡くなったクリスチャンのこと、マスは祭りなので、ハロウマスは聖徒の祭りを意味します。そして、ハロウィーンのハロウは聖徒、イーンは古い英語の夜(even)で、聖徒の夜を意味します。今は夜の12時で日付が変わりますが、かつてのヨーロッパでは1日の区切りは日没で、夜から1日が始まりました。10月31日ハロウィーン、聖徒の夜と11月1日ハロウマス、聖徒の祭りの昼間は同じ一日だったのです。ルターはすべての人々が教会に集まる祭りの前夜に教会の扉に95か条の提題を張り付け、宗教改革を始めたのでした。
今、私たちはコロナのために全員マスクをして、礼拝もリモートによって教室でしています。欧米ではコロナの第二派、第三派によって、感染者が激増し、コロナで死ぬ人の致死率は3~5%にあたります。ルターの時代はペストという感染症がヨーロッパを襲い、多くのところで致死率が5割、ひどいところでは8割以上の人々が亡くなりました。一般市民や栄養状態が悪い貧しい人々は半数以上が死ぬ、家族の半分以上が亡くなる悲劇的な状況でした。それにも関わらず、ローマ・カトリック教会はヴァチカンに豪勢な聖ペトロ大聖堂建設を計画していました。その莫大な資金調達のために、免罪符を売り出しました。そんなことは聖書に一言も書かれていませんが、カトリック教会は免罪符を買うと、罪が許され、自分も家族も、死んでしまった家族も救われると宣伝しました。当時の人々のほとんどが字の読めない人々で、貴族と上級商人、宗教家だけが読み書きができるという状況でした。字の読めない一般の人々は上から言われたことをそのまま信じて、食うか食わず、生きるか死ぬかというぎりぎりの生活をしていたにもかかわらず、免罪符が売り出されると、人々は自分と家族の救いを得ようとしてなけなしのお金をはたいて、殺到しました。~したら、救われる、高いお金を出して免罪符を買えば、救われるなどとは一言も聖書には書いていません。だから、ルターは、免罪符が貧しい人々をだまして彼らからお金を奪う行為としてそれに反対するために宗教改革を始めました。
ルターはもともと鉱山を経営する実業家ハンス・ルターの次男として生まれました。父親のハンス・ルターはとても厳しい人間で、ルターを自分が経営する会社の跡取りにするつもりで、ルターを大学に入れました。当時の大学は誰もがまず文学部に入学して、語学、文学、歴史などの一般教養を4年間学びました。それから今の大学院並みの上の専門学部に移るわけですが、当時は3つの学部しかありませんでした。まずは神学部、神学は「学問の女王」と呼ばれました。修道院、神学校をもとに大学が作られたからです。文系の学部は法学部だけでした。また、理系の学部は医学部だけでした。これらの学部から現在の諸学部が発展しました。
ルターは法学部を目指し、実際に法学部に入学しましたが、文学部卒業間際に同じ寮に住んでいた同級生が急性肋膜炎で死亡しました。ルター22歳の時です。それからルターは死の恐怖におびえました。自分が死んだら天国に行けると思えなかったからです。神様は自分の父親のように厳しい恐ろしい存在と思っていたからです。その後すぐにルターは雷雨の体験をしました。郊外を歩いていた時に急に雷雨に遭い、近くにバンバンといくつもの雷が落ちたのです。ルターは修道院に入ることを誓い、家族の反対にもかかわらず、アウグスティヌス派の修道院に入り、法学部を止めて神学部に移りました。24歳で神父になり、28歳で神学博士になりましたが、彼は心の平安を得られませんでした。その後すぐに彼は塔の体験をします。大学の塔にある研究室で聖書を読み、福音に触れて回心したのです。~したら、高いお金を払えば、救われるのではなく、神さまの愛と恵により、キリストの十字架によって、だれもが信仰によって救われることを体験したのでした。
そして、33歳の時に免罪符に反対して宗教改革を始めました。その後、ルターはヴォルムスの国会に呼ばれ、時の皇帝カール5世の前で自らの主張を撤回するように求められますが、彼は、自分は聖書の言葉に、「我ここに立つ」と言ってその場を立ち去りました。その後、ルターは行方不明になります。ザクセン候フリードリヒ3世がルターをさらうようにヴァルドブルグ城で保護するからです。修道士の姿では殺し屋に狙われるということでルターは騎士の格好をしてヴァルトブルグで過ごし、そこで新約聖書をドイツ語に翻訳しました。活版印刷術という新しい技術と印刷物という新しいメディアの登場でルターの主張とルターが翻訳した聖書はドイツだけでなく、ヨーロッパに広がり、宗教改革を支援する人々が増え、宗教改革は成功しました。今日の聖書の言葉には「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」とあります。~したら、高いお金で免罪符を買ったからではなくて、主イエス・キリストの十字架によって、神さまの愛と恵によって、信仰によって救われるのです。「聖書のみ」、「信仰のみ」、「恵のみ」はルターが強調した宗教改革の3大原則です。また、聖望学園はルター派の伝統の学校です。聖書に基づく神様の愛と恵を信じる、ルターの宗教改革の精神をみなさんにも受け継いでいってもらいたいと願います。

聖書科教員より

 

聖望学園では中高とも週に1度、礼拝が行われます。キリスト教の精神を学び心を落ち着かせると共に、ことば(メッセージ)を聞くことができます。毎週のメッセージから、人生を歩むヒントや心の支えを見つけてもらえると考えています。

部活や授業、行事では学ぶことのできない、「生きる糧」となるメッセージをもらっています。

ページ
TOP