学校説明会・公開授業に参加された方々から、アンケートをいただきました。その中から、浅野理事長が職員に「休み時間に喧嘩をして泣いている子どもに、先生方の寄り添い方も温かく素敵と感じたが、なによりも小学生になっても子供が「泣ける」環境というのが素晴らしいと感じました。」というご意見を紹介しました。

「泣くこと」は、乳児でもできる根源的な気持ちの表現方法です。乳児だけでなく、子どもでも大人でとんぼっこ体操も心を打たれたときやつらいとき、悲しいときには涙します。しかし、社会が効率優先、認知優先になるほど、子どもの感情は置き去りにされます。「泣いていないで、○○しなさい!」「お兄さんなんだから、いつまでも泣いてるんじゃないの!」と、急かされてしまうこともあります。

しかし、泣くことが許されない環境で育つのは子どもにとってどういう意味をもつのでしょう。子どもは泣くことを認められなかったらどうなるでしょうか。

素直な子ほど、泣くことを自分自身に許さなくなり、泣きたくても我慢してがんばってしまうでことしょう。心が麻痺するまでがんばってしまうと、自分がつらいことに気づかなくなり、心が耐えられなくなってしまうことも心配されます。

清明学園の子どもは、悲しいとき、悔しいとき、感動したとき、素直に泣きます。とても魅力的です。私たち教員はその思いを受け止め、話を聞き、慰めたり励ましたりしています。それは子どもが表現することはその子自身の存在を認めること、という教育観をもっているからです。アンケートを送ってくださった方はそのことに気づいてくださったのです。ありがたいことです。

私たち大人も、ときにはゆったりと自分の心の揺らぎを受け止め、自分自身を受け入れられるようになりたいものです。その姿を子どもは自分の心にしっかり刻み、自分の弱さも大らかに包み込む、心の広い人に育ってくれるのではないかと思うからです。(2年生学年通信から抜粋)

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