ごきげんよう。

先生インタビュー初の前編・後編にわたってお送りするのは、石川先生です!
先生は東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒の美術教諭で、美術部の顧問を務めています。
さっそくお話を聞いてみましょう!

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石川先生(美術)
美術部の“原点”は、進学講習

広報:さっそく、自己紹介をお願いできますでしょうか。

石川先生:美術を担当しています、石川です。中学1年生~3年生の必修授業、高校生は選択1の授業、高校2年生は油彩画ゼミ、デッサンゼミ、高校3年生はデッサンゼミのほかにアート表現ゼミを担当しています。美術は私1人で、中学生から高校生までみています。部活動は美術部で、顧問をしております。

広報:先生は長らく瀧野川にいらっしゃるんですよね。

石川先生:31年目が終わろうとしているのかな? 平成2年からなのでね。実は、この学園に来た当初は美術部には関わっていなかったんですよ。

広報:そうなんですか!

石川先生:当時は国語の先生が顧問でやっていたんです。でも、授業をするなかで「美術系の大学に進学したい」「難関の藝大に行きたい」と話す生徒がちらほらいて、私の経験を活かして何か伝えられないかな、アシストできないかなと考えて、“進学講習”というのを立ち上げたんです。

広報:“進学講習”とは?

石川先生:まだ当時は学園としては取り組んでいなかった、“放課後に受験対策的な授業をする”ということを始めたんですね。美大を目指す生徒たち、そういう「夢」をもつ生徒たちを放課後に集めて、猛特訓しようと。主にデッサンですね。美大の受験にはデッサンの実技試験が必須なので。

広報:いまの美術部の“原点”になるわけですね。

石川先生:そうですね。いまの美術部の基盤となったのは、その進学講習でとことん目標に向かって取り組んできたのが原点ではありますね。で、何年かやってくると、結果がほしくなりますよね。2年目から結果が出始めていたんですけど、3年目くらいから、主要難関美大に現役合格させることができるようになったんです。生徒も保護者の方もとても喜んでくださった。やりがいがありましたね。

 

瀧野川で生徒と出会って、私自身も変わった

石川先生:その特訓をやり始めたことが、私自身にとっても、“教師”そして“生徒”にかなりのめり込んでいくきっかけになったんだと思います。美大に行きたいという生徒たちとコミュニケーションを取るなかで、“教師”というものへのイメージ、自分がいままで思ってきた“教師像”というのかな? 随分と考え方が変わりましたね、瀧野川の生徒と接してきて。

広報:先生になる前はどうお考えだったんでしょう?

石川先生:小さいころから絵を描くのが好きで、そういう時間を大事してきて、自分の「存在感」を一番示せるのが“何かをつくるとき”だったんです。周りの人たちに、“ここに石川がいる!”っていうのを、すべての人に示すことができたのが美術だった、ものづくりだったっていうのがあったんです。

広報:なるほど。

石川先生:なので、できれば何かを製作するなかで、それが職業に結び付いていければいいなっていうのはありました。作家、昔で言うならば画家、造形作家、アーティスト……いろいろな言い方がありますけど、“そっちのほうで”っていう夢を、瀧野川に来た当初はまだ持っていたんです。自分の製作活動を中心に、それを一番にやっていこうと思っていたんです。そういう意味で、正直、教員でずっとやっていこうっていう気持ちはそこまでなかった。だけど、どうも進学講習で生徒たちと出会ったことが私の考えを変えていった。“教師”っていうもの、“先生”っていうものの定義も変わりだした。自分が思っている以上に、生徒との時間っていうのが、私自身にもたくさんの影響を与えていった、っていうのがありましたね。

広報:“先生”をどう捉えてらしたんでしょうか?

石川先生:正直言って、“先生”ってあまり好きではなかったんです、子供の頃は。なので、教師になろうと思ったこともなかった。教員免許を取ったのも、「せっかく大学に行かせてるんだから、大学にいる間に取れる免許は全部取りなさい」という、親との約束だったんです(笑)

広報:(笑)

石川先生:結果的には、それがあったから今があるので、良かったとは思うんですけど、そんな感じの入りだったので……でも、進学講習のときに、授業の形態とは違って生徒にかなりぐっと入り込んでいって。個人指導がもっと深く入っていった感じで。人数も少人数だったのでたくさんコミュニケーションを取ってね、絵だけじゃなくてトータルに。日常生活のことから趣味の話から、何でも話す「人と人との関係」っていうのかな? 「生徒と先生」という関係も大事なんだけど、まずは「人と人との関係」っていうのをすごく強く意識したかな。

広報:生徒と先生である前に「人」であると。

石川先生:“人と会話をすること”“人と繋がること”って、すごく素敵なことがいっぱいあって。でもさっき話したように、最初は自分が教師に向いていると思っていなかったので。自分勝手で、自分の製作活動をしたいっていう気持ちがあったんだけど、瀧野川の生徒と一緒の時間を過ごすなかで、自分の存在理由っていうのかな……? 私の話す言葉一つひとつが生徒たちの中にふぅ~って入っていって、また生徒たちのほうから、何かが返ってくる。言葉にするのは難しいんだけど、何か、役に立っているのかな、と。

広報:投げかけたものが生徒に響いて、それがまた跳ね返ってくる。

石川先生:うん。そういうことが、私の中で何とも言えない気持ちになって。もしかしたら私が思っていた教師像、先生っていうのは、頭の中だけで「教師とはこういうものである」って思っていたけど、実際に現場で、生の生徒たちと本気で向き合って過ごしていく中で、「教師像っていろいろあっていいんだ」と。“私がここにいること”が、生徒たちにとっても、保護者にとっても喜んでいただける部分があるんだ、っていうところを感じて。4年、5年と経っていって……その頃にはもう抜けられなくなっていましたね。

広報:先生自身の“教師像”を見つけられたんですね。

 

美術部の改革、「TAMENTAI」のこと

石川先生:その頃、学園のほうから「せっかく専門の先生がいるんだから、美術部のコーチになってもらおう」って話が出てきて、最初はコーチのはずだったんだけど、「いや、顧問として全部見てもらったらいいんじゃないか」という流れになって、それがきっかけで美術部の顧問になりました。ただ、“進学講習もやってます”、“美術部の顧問もやります”……でも身体は一つ……あれ? と(笑)なので、進学講習と美術部を融合させていったんです。

広報:進学講習と当時の美術部の融合から、いまの美術部が始まったんですね。

石川先生:当時はまだ、趣味の延長線上の、よくある美術教室みたいな雰囲気があって、それは私の思うものと違ったんですね。“こんなの美術じゃない”と思うような感じだったんです。先生が組み合わせたモチーフをみんなで囲んで描く……もちろん授業だったらそういうことはあるけど、同じモチーフを全員が同じようにキャンバスで、油絵で描いて……だから当然、全員同じものが出来上がるわけです。で、それをコンクールに出すと。だけど本当は、個人製作は、自分でテーマを決めてやらないとダメなんです。生徒たち個人個人の世界観って、広がっていかないんです。

広報:なるほど。

石川先生:そういうことがあって最初は敬遠していたんだけど、顧問にっていうお話があって、だけど美大進学のための進学講習を受けもっていたので、二つを融合させることでいまの“美術部の原型”となるものが始まりだした、と。その大きな転機というか、美術部の基盤となった、いまのスタイルで動き出したのは2003年だったかな? 卒業生が、卒業したあとも続けられる美術部「TAMENTAI」を結成したんです。(TAMENTAIのブログはこちら)

広報:すごいですね、卒業してからも一緒に製作を続けられるって。

石川先生:でもいま、この新型コロナのことがあって、言葉は悪いけども、御陀仏状態。やっぱり、交流って、切ると戻すのは大変なんです。だから、すごく危機です。“繋がっている線”って、切っちゃダメなんです。これだけ空白の期間ができちゃうと、辛いですね。だから、新型コロナが落ち着いても、以前のようになるには、また何年もかかると思います。10年以上続いてきたTAMENTAIの活動がストップしたことは、いまの美術部にとって大きいですね。

広報:そうですね……。

石川先生:美術団体で10年以上続くものって、そうそうないんです。なので、私もすごく誇りにしているし、たくさんの卒業生が繋がっていて……年に一度は必ず展覧会を開催してきて、学内だけじゃなくて、学外でも発表していくというスタイルでずっとやってきているんだけどね。「SHIODOMEジャンボリー」(2006)とか、卒業生と私でプレゼンして話をとってきたんです。他は有名なアーティストしか出てないんですよ、そこに得体の知れない学生とおじさんが“創作団体TAMENTAIだ!”って言ってるっていう(笑)

広報:殴り込み! じゃないですけど、そんな感じですね。

石川先生:そうそう。第一回目の「夏休み」(2004)っていう展覧会からずっと発表を続けてきたんだけど、今年の展覧会は中止になっちゃった。残念です。

 

“まっすぐ、思いやりのある人に育ってほしい”

広報:いままでたくさんの生徒を見てきたと思いますけど、瀧野川の生徒の印象はどうですか?

石川先生:美術の授業でみている生徒たち、部活でみている生徒たち、授業は担当していないけどお掃除の時間に会う生徒たち、顔は見たことがあって「何部にいる〇〇さんだな、教えたことはないけど、いつも挨拶してくれる生徒だな」っていう生徒たちがいて、一言に“生徒”って言ってもいろいろなんだよね。

広報:確かに…

石川先生:でも、“美術の授業と部活で会う生徒たち”の印象っていうと……それも美術の授業で会う生徒たち、部活で会う生徒たちでも違いはあるんだけど。授業で会う生徒たちはいろいろいますね、無口な生徒、天真爛漫でにぎやかな生徒もいるし。部活で会う生徒たちっていうのは、繊細な心をもっていて、細くて壊れちゃいそうなくらいデリケートな生徒が多いですね。

広報:感性が豊かなんですね。

石川先生:部活の中では、「人とのコミュニケーションは丁寧に、大事に、気持ちをもって相手と接するんだよ」って指導もしています。なので、非常に“思いやりのある生徒になっていく”っていうのもありますね。日々成長しています。私、人に対して思いやりのない言動や態度をとるのが、すごく嫌なんです。その点、美術部の生徒たちはすごく相手のことを思って、思いやりのある接し方とか、言葉一つにしても大事に選んでお話しするようになりますね。

広報:素晴らしいことです。

石川先生:あと、部活で生徒と私は一緒に笑ったり泣いたりして、よく「家族みたいだね」って言われるんですけど、そのくらい近い関係になりますね。家族ってそうじゃないですか。すごい怒ったり、泣いたり、言い合ったり……それに近いような接し方をしています。自分のこととか相手のことを本当に理解するには、上っ面だけの表面上の付き合いだと、本当の意味でちゃんと繋がることはできないんですよ。形式的な付き合いだと、人と人って繋がることができない。そういう意味で、生徒と教師とはいえ「人」と「人」なので、私にもまだまだ未熟なところはあって完璧な人間ではないけど、だからこそ自分自身をオープンにして、それを見た上で私と向き合ってほしいし、私もみんなのこと知りたいから、いまはまだ恥ずかしくて見せたくない部分もあるかもしれないけど、できるだけ出してもらいたい。せっかくここで、“美術”というものを通じて出会ったわけだから、いい関係になろうね、と言っています。

広報:「人」としての付き合い、とも言えると。

石川先生:そして、まっすぐに向き合おう、と。ねじれていると、いい関係じゃなくなっちゃうんです。だから、「カッコ悪いけど私も全部見せるから」「先生だって完璧じゃないから」って言って、お互いに本音で、まっすぐに向き合うようにしています。“まっすぐな姿勢”っていうのは、絵の世界観にも繋がってくるんですよ。いまって、生徒たちにとっては、“自分の世界観”を探している時期でもあるでしょ? 描く絵にも、そういうのって影響するんです。本人たちのそういった意識が、絵の世界をつくっていく、自分の世界観を見つけたり、つくったりしていくところで、まっすぐでないと。ねじれていると、やっぱりダメです。外見的なものを演出したりするような人は、やっぱり私は芸術には向いていないと思うし。最初は自分自身に“囲い”があったとしても、美術部で出会った生徒たちはだんだんと囲いが取れだします。取れてくると、いい繋がりができてきますね。

 

生徒と保護者の方々にした“約束”

広報:全部さらけ出して、ぶつかっていくと。

石川先生:紙一重な部分はあるよね。それをやっていると、入り込みすぎちゃうから。生徒たちの本当の笑顔とか、本当の悔し涙とか、嬉し涙とか、部活で私は長年見てきているので。家庭でないと見せないような顔を、私には見せますよ。

広報:本当に家族のようです。

石川先生:でも、そのくらい、何ていうのかな……瀧野川に入学してきて、せっかく出会ったのだから、生徒が笑って「最高に充実した学園生活だった!」って言って卒業できるようにしたいし、「ちゃんと面倒見ます」ってお約束したわけだから、入学時に、学校は生徒とその保護者の方に。それはちゃんと、教員として約束を果たさないと、話が違うってことになりますよね。だから全力でやらないと。

広報:熱い指導をなさっているんですね。

石川先生:って言ってもその“全力”が空回りしちゃったら、ご理解にお時間いただくようになってしまうんだけど、私が指導に入り込みすぎちゃったりしたらね(笑)でも、気持ちをもって接していれば誤解も解けるし、必ず理解していただけると思いますね。まっすぐにやっていれば、それは伝わると信じてます、生徒にも、保護者の方にも。長年やってきて、それは実感としてありますね。

後編では石川先生の学生時代のことについてお届けします。近日公開! お楽しみに!

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