去る11月23日(月)、母校の九州大学で追悼の会が開かれ、アフガニスタンで人道支援に取り組んだ中村哲医師の志を継ぎ、現地での医療や灌漑(かんがい)、農業支援はコロナ禍や洪水といった難題に直面しながらも進められていると報告があったと報じられていました。
 
そこで、中村哲医師の経歴を簡単にたどってみました。
 
<1973年>
九州大学医学部卒業

<1984年>
日本キリスト教海外医療協会から派遣され、パキスタン北西部ペシャワルに赴任。
貧困層への医療活動のスタート。
(1983年には非政府組織「ペシャワール会」発足)

<1991年>
アフガニスタンに診療所を開設。

<2000年>
井戸掘りを始める。
(掘った井戸は6年間で1,600カ所に及ぶという)

<2003年>
用水路を建設し、緑化に取り組む。
(井戸掘りでは水不足の解消にはならなかった)

<2010年>
クナール川から25㎞を超える用水路を完成。
(「マルカリード(真珠を意味する)」と名付けられた)

<2018年>
アフガニスタン政府から国家勲章を受章。

<2019年>
10月、長年の活動が認められ、アフガニスタン政府から名誉市民権を授与。
12月4日、車で移動中、銃撃され、搬送途中で、死亡。

 

 

 

「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」という言葉が聖書にはあるそうです。
中村哲医師の生き方は日本人だけでなく、現地の人々や世界の人々に「一粒」のままでも多くの実を結ぶことを身をもって示してくれたと、改めて思いました。

…みんなで登山

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