今日の礼拝は,中学校2年生のYさんのお話しでした。

コリントの信徒への手紙二 1:4~6
「神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。」

みなさんは「命」という言葉についてどう思いますか。そして「命」という言葉について,何か自分の中で思い出すことはありませんか。
私が幼稚園に通っている頃,私は何度かぜんそくで入院することがありました。その中で,私が年長くらいの頃,私はどうしても忘れられない,少し切なかった入院があります。
私がその病室に入った時,ベッドは4つありました。そのうちの2つが空いていて,私は窓側のベッドで入院することになりました。私の向かい側の人はおばあさんで,80歳から90歳くらいだったと思います。そして私の隣りは私より2つ下の女の子でした。私はその時は気づきませんでしたが,その子は心臓が悪いらしく,3歳なのに手術をしたそうです。私はこの人たちと3週間一緒に入院することになりました。
毎日夜になると,私の隣りの女の子が大声で「ママー!」と叫びながら泣いています。私はその声を聞くたびにかわいそうになって,折り紙を折って一緒にいつも寝ていたのを覚えています。そしてそんな日々も過ぎ,私が入院してから一週間くらいでその子は退院していきました。そして病室に残ったのは,私と向かい側のおばあさんだけになりました。
向かい側のおばあさんは,ベッドから立ち上がることも起き上がることもできませんでした。しかし,私が一人の時,よく話しかけてくれて,しかもメモ帳や写真たて,鉛筆,折り紙など,私にいろいろなものをくれました。しかし,しばらくしておばあさんの容態が悪くなりました。お医者さんが長く診ていることが多くなって,私はだんだんおばあさんとしゃべれなくなってしまいました。
しかし,ある時,一日だけ元気な日がありました。私も久しぶりにおしゃべりができました。その日の夜,おばあさんは私にこう言いました。「元気な子に育ってね。私はずっとあなたのことを応援しているよ」。私はこの時ぐらいから,「おばあさん,死んじゃうのかな。」と思い始めました。それから数日たった日,おばあさんは亡くなりました。私はまだ何が何だかよく分かっていなくて,私の目の前を通り過ぎていくおばあさんにはもう二度と会えないということを,私が退院してから分かったのです。
おばあさんが亡くなってから私が退院するまでは3日間ぐらいあって,その3日間はとても大切でした。私はこの時,大切な人が亡くなる悲しみを知りました。それと同時に,もっと自分の命を大切にしなければいけないのだなと実感しました。
今日の聖書の中に,自分たちが悩み苦しむとき,それは慰めと救いになると書いてあります。入院中のことは私にとって悲しい出来事でしたが,あのおばあさんのおかげで命の大切さについて知ることができました。おばあさんとすごした3週間はとても和やかで楽しく,思い出すと慰められている感じがするので,苦難と感謝という聖書の言葉は,私のこのできごとと繋がっているのだと思いました。これからもこの聖書の言葉を忘れずに,そして毎日感謝をして,苦難を乗り越えたいと思います。

Dsc_0336_600Dsc_0339_599

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

---------------------------------

公式Facebookページ https://www.facebook.com/yokosukagakuin

水曜ミニ説明会 6/8(水),15(水),22(水),29(水) ※要予約

体育祭 6/18(土) ※要予約

---------------------------------

ページ
TOP