11月28日(金)、推薦進学コースの高校3年生を対象に、明治学院大学 文学部 芸術学科 和田ちはる 准教授による「教養原論」の講義が行われました。『人文学からみた「他者」』というテーマでお話しいただきました。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 西洋音楽と日本の交わりやこれまでの歴史について理解を深めることができた。西洋音楽は、日本に輸入されてから教育にも取り込まれ、日本にあった音楽に影響を与えたことがわかった。授業の前半で聴いた、新日本音楽運動という曲は、箏と尺八で演奏されていた。その曲を西洋に通用するよう、箏とヴァイオリンの二重奏に編曲して、日本音楽を広めたと知った。わたしは、編曲されたヴァイオリンの曲よりも、尺八で演奏する方が日本らしさを感じた。ドビュッシーは、私も好きな作曲家なので、音色の中にある高い音に魅力を感じ、ゆったりとした曲調がとても良いと感じた。また、最後に見た「異国の他者」へのまなざしは、初めから終わりまでなんとなく違和感覚えた。その違和感は、日本らしさを伝えていないことであるとわかり、最も重要なのは、「本当らしさ」ではないというお話が最も印象に残っている。
  • 今回の講義は、エキゾティシズムから始まり日本と海外との音楽の関わりについて深く学ぶことができたと思います。まず驚いたのは、今から100年前の世界歴史人物伝にベートーヴェンの名前が記されていたことです。まだ、日本に西洋文化というのが深く根付いていない時期ではないものの、日本の外国文化における尊重や、国際化が始まったのではないかと思いました。また、久々に聴いた『春の海』。尺八で演奏される方はお正月に街中でよく流れていると思いましたがじっくり聞いてみると、西洋音楽の特徴をしっかりと捉えているということに気づかされました。例えば楽器の音の掛け合いや、少しハモリのようなものも聞こえました。そして今回の講義で一番印象に残ったのは、『蝶々夫人』の話の一部でした。異国の他者への眼差しという観点において、日本人の見られ方というのをしっかりと認識しました。日本人もまた外国人に対する違った偏見を持つことがあるのと同じということである思いました。
  • 私は今回、和田先生の講義を聞いて芸術の新しい一面をまた覗くことができたと強く確信しました。自身はヨーロッパのクラシック音楽をよく聞くため、西洋音楽には詳しいつもりでありましたが、今回の講義で私の先入観が大きく変化しました。まず印象に残った楽曲は『春の海』の尺八との二重演奏についてです。お正月の季節になると街中でよく耳にする楽曲でしたが、今回の講義を受けてこの曲は西洋の影響を深く受けているものだと思いました。細かく聞いてみると、西洋音楽独自の音の掛け合いがこの曲にはなされており、普段気づかないところにも気づけて大変面白かったです。加えて、後半の「らしさ」への憧れについては、エキゾティシズム(異国趣味)の問題点も知ることができ、自分自身はどうやっても他者にはなれないといった、今の自分に深く響く講義を聞くことができた。

11月21日(金)、推薦進学コースの高校3年生を対象に、明治学院大学 心理学部 教育発達学科 小保方晶子准教授による「教養原論」の講義が行われました。『心理学・教育発達学からみた「他者」』というテーマでお話しいただきました。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 他者と向き合う、他者を理解するという「他者」に1番関係のある授業だと思いました。赤ちゃんの考えていること、やりたいことを聞けるわけではないけど、研究をして赤ちゃんの色々な行動一つ一つに意味があることがとても面白いと思った。そして、赤ちゃんの自己概念などが先進国とそうでない国の間で、ガラスの多さ、リフレクションの量によって自己概念に気付くスピードが変わってしまうことがあることに驚いた。このような精神的な面は地域差が出ることがあるのに、身体的な特性などはあまり変わることがないこともわかった。それだけでなく、子どもには絶対あるイヤイヤ期にも赤ちゃんの自己主張を手助けする意味があることを知った。そして、TST(20答法)で自己像を把握できるようにすることもあるらしく、心理学であり、教育発達学を生かすといった学問の応用をすることで、より学問が進むことがとても面白いと思った。
  • ワークの中で「私は」に続く文書を思いつく限りたくさん書いた。最初の方は「学生です」や「日本人です」のような外面的なことを書いていたが、徐々に「音楽を聴くことが好き」や「ミュージカルを観に行きたい」など内面的な文章を書いていることに気づき、驚いた。また、自己制御の分野では男児より女児の方が自己抑制が高いことや、クーイングが地域や周りの環境によって長さが異なるなど、同じ幼児であっても結果が違うこともとても印象に残った。私は現在青年期に入っていて、いろいろなことに悩んでいるがそれはアイデンティティの確立をしている最中であることを理解し、自分自身が納得いくまで自身と向き合っていきたいと考えた。そして、自分自身の発達について自覚していなかったが、無意識にたくさんの成長をしていたことを知れてとても面白かった。
  • 今回の授業では将来、自分たちが大人になって子どもを授かったときに活かせる情報がたくさんあったと感じました。特に自分が活かせると感じたのは幼児には他者の視点から物事を見るのが難しいという3つの山問題から分かったことでした。自分は将来、もし自分の子どもが他の子どもに悪いことをしてしまった時に「〇〇ちゃんは〜〜されてどういう気持ちになったと思う?」などと自分の子どもに聞いて、相手の立場にならせようとすると思います。しかし、今回の授業で幼児には他者の視点から物事を見るのは難しいということを知りました。なので、相手の立場にならせるのではなく、「きっと〇〇ちゃんは〜〜と思ったはず」と自分が相手の気持ちを代弁してあげることが必要なのかなと思いました。ですが、相手の立場に立って物事を考えることも重要であると私は考えているため、少し大きくなったら相手の立場にならせる教育もするべきであると考えました。

11月21日(金)、推薦進学コースの高校3年生を対象に、明治学院大学 心理学部 教育発達学科 小保方晶子准教授による「教養原論」の講義が行われました。『心理学・教育発達学からみた「他者」』というテーマでお話しいただきました。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 他者と向き合う、他者を理解するという「他者」に1番関係のある授業だと思いました。赤ちゃんの考えていること、やりたいことを聞けるわけではないけど、研究をして赤ちゃんの色々な行動一つ一つに意味があることがとても面白いと思った。そして、赤ちゃんの自己概念などが先進国とそうでない国の間で、ガラスの多さ、リフレクションの量によって自己概念に気付くスピードが変わってしまうことがあることに驚いた。このような精神的な面は地域差が出ることがあるのに、身体的な特性などはあまり変わることがないこともわかった。それだけでなく、子どもには絶対あるイヤイヤ期にも赤ちゃんの自己主張を手助けする意味があることを知った。そして、TST(20答法)で自己像を把握できるようにすることもあるらしく、心理学であり、教育発達学を生かすといった学問の応用をすることで、より学問が進むことがとても面白いと思った。
  • ワークの中で「私は」に続く文書を思いつく限りたくさん書いた。最初の方は「学生です」や「日本人です」のような外面的なことを書いていたが、徐々に「音楽を聴くことが好き」や「ミュージカルを観に行きたい」など内面的な文章を書いていることに気づき、驚いた。また、自己制御の分野では男児より女児の方が自己抑制が高いことや、クーイングが地域や周りの環境によって長さが異なるなど、同じ幼児であっても結果が違うこともとても印象に残った。私は現在青年期に入っていて、いろいろなことに悩んでいるがそれはアイデンティティの確立をしている最中であることを理解し、自分自身が納得いくまで自身と向き合っていきたいと考えた。そして、自分自身の発達について自覚していなかったが、無意識にたくさんの成長をしていたことを知れてとても面白かった。
  • 今回の授業では将来、自分たちが大人になって子どもを授かったときに活かせる情報がたくさんあったと感じました。特に自分が活かせると感じたのは幼児には他者の視点から物事を見るのが難しいという3つの山問題から分かったことでした。自分は将来、もし自分の子どもが他の子どもに悪いことをしてしまった時に「〇〇ちゃんは〜〜されてどういう気持ちになったと思う?」などと自分の子どもに聞いて、相手の立場にならせようとすると思います。しかし、今回の授業で幼児には他者の視点から物事を見るのは難しいということを知りました。なので、相手の立場にならせるのではなく、「きっと〇〇ちゃんは〜〜と思ったはず」と自分が相手の気持ちを代弁してあげることが必要なのかなと思いました。ですが、相手の立場に立って物事を考えることも重要であると私は考えているため、少し大きくなったら相手の立場にならせる教育もするべきであると考えました。

11月18日(火)、推薦進学コースの高校3年生を対象に、明治学院大学 国際学部 国際学科 久保田浩教授による「教養原論」の講義が行われました。『国際学からみた「他者」』というテーマでお話しいただきました。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 今回は文化を中心的に学ぶことができたと感じています。まず、最初は国際学についての話をしていただきました。その中で特に大事なものは再構築をする必要性についてです。私たちの高校生までの学びというのは、知識の体系化されたものを学ぶという形であったと思います。ですが大学からは特に国際学ではこの知識の体系化されたものを一度崩してみてそして自分でもう一度考え直して組み立て直す、そのようなものであるということを知ることができました。そして次は文化について学びました。文化という言葉は明治時代初期から、発案されたもので、文化社会また教養といった意味も含まれていました。カルチャーの語源がラテン語のcolereが語源となっていて、意味は教養を身につけるために心を柔らかくすることというものでした。私たちが身近に存在している文化というのは何なのか、そのような問いが自分の内に生まれて文化に対する興味関心がより一層湧きました。
  • 今まで、相手の立場に立って物事を判断するという言葉は学校生活の中で自身の目標として何回も使ってきたが、それについて真剣に考えたことがなかったということに気づいた。自分自身からの立場でしか物事を見ることはできないため、相手のことをしっかり理解することは難しいことや、分かったように思っていても、実際は分かっていなくて、他者が大勢であれば、その一人一人によって価値観は違うということを忘れないでおかなければいけないと感じた。また、今回学んだ「文化」と「カルチャー」のように、同じ意味と思っていても、無意識に少し感じ方が異なっていることを知り、とても印象に残った。他の言葉でも、私が知らないうちに同じだと思っていても、少し異なって考えている言葉があると思うため、探していきたい。また、明治初期に新たに作られた新漢語も「自由」しか思いつかなかったため、これから時々考えたいと思った。
  • 自分が見ている、思っている自分と他人から見た自分というのは違うというところにとても共感を覚えました。その関係の間に対立が起こるが知れないがしっかりと相手に向き合いながら話し合うことは大切なことだと思いました。自分の認識と他者の認識が異なることは自然なことであり、その違いが誤解や対立を生むこともあります。しかし、そのズレを放置せず、互いの視点を尊重しながら対話を重ねることで、理解は深まります。相手の言葉に耳を傾け、自分の考えを率直に伝える姿勢が、信頼関係を築く鍵となります。違いを恐れるのではなく、学び合う機会と捉えることで、人間関係はより豊かになります。今回の授業で他者と向き合うことの難しさを知れたと同時に喜びや信頼関係を築けるということも学ぶことができました。これからも相手と向き合うことを頭に入れて過ごしたいと思います。

12月1日(月)16:15より点灯式を行いました。 チャペルで礼拝を行い、その後外へ移動してイルミネーションを点灯させ、クリスマスをお祝いする準備に入りました。
参加してくれた多くの生徒と共に、クリスマスへの一歩を踏み出すことができました。

11月26日(水)6時間目、高校1年生向け「キャリア講演会」を実施しました。明治学院大学心理学部教育発達学科から岡田悠佑先生、岡田ゼミに在籍する東村山高校の卒業生が来校し、これから多くの選択をしながらキャリアを見つけていく中で、他者との出会いの重要性をお話いただきました。質問を多く投げかけてくださり、生徒たちも答えながら進みました。

11月26日(水)6時間目、英語スピーチコンテストを行いました。中学1年生から3年生までの各クラスで選ばれた13名が全校生徒の前で発表しました。緊張した様子でしたが、練習の成果を発揮して素晴らしいスピーチを披露することができました。

11月22日(土)、東村山市富士見公民館にて、中学2年生のための音楽鑑賞教室を行いました。
今年も打楽器ぐるーぷWoodsのみなさまをお迎えして、迫力のあるパーカッションの演奏をしていただきました。マリンバを中心に様々な打楽器が会場に鳴り響き、生徒たちは興味津々に演奏を聴いていました。舞台上に上がってWoodsのみなさまと一緒に演奏したときの生徒たちの表情は、とても生き生きとしていました。

明治学院東村山高校では、ボランティア活動の一環として、全学年でフィリピンの子どもたちへの就学支援を行っています。各クラスが担当する子どもを継続的に支援しており、その活動は**特定非営利活動法人チャイルド・ファンド・ジャパン(CFJ)**を通して実施しています。

この度、高校3年生は、3年間にわたり関わってきたフィリピンの子どもたちへ、感謝と励ましの思いを込めてクリスマスカードを送りました。
生徒たちは、支援してきた子どもたちの成長を思い浮かべながら、一枚一枚ていねいにメッセージやイラストを添えてカードを制作しました。

本校ではこれからも、世界の子どもたちとつながりながら学び合うボランティア活動を大切にしていきます。

11月14日(金)、推薦進学コースの高校3年生を対象に、明治学院大学 心理学部 心理学科 野村信威教授による「教養原論」の講義が行われました。『心理学・教育発達学からみた「他者」』というテーマでお話しいただきました。

生徒の意見・感想を紹介します。

  • 私は心理学部を希望しているので今日の授業はとても楽しみだった。話を聞いていると、心理学は二つの事象の強さを相関係数を用いて数値化し、値が大きいほど関連が強いということを聞いて、統計で人の心を表すことが、多いことを知った。また、ナラティブ語りでは、語る行為と語られた物語を指しており、他人がどう考えているかは分からなくても自分の考えなら表現でき、ナラティブとして表現されるレベルで利用可能であることが分かった。ここから、数値化と語りどちらが有効であるかを考えた時に、語りの方が良いと感じた。なぜなら、語りでは自分の感情の赴くままに話せることができ、数値化だけでは分からないことがたくさんあると思ったからだ。少し難しい問題で合っているか分からないが、答えがわからない問題こそ自分の考え方が広がるチャンスだと思うので大学での授業も視野を広げて取り組んでいきたい。
  • わたしは語りをする方が有効であると思います。数値化することで現状客観的に理解するためには役立つ方法だと思います。整理したり比較したりするのにも効率的だからです。しかし、事実は一つであっても、答えは一つではなく、人によって物事の捉え方は異なっていると思います。例えば、いじめで考えたとき、被害を受けた側からすれば、その経験は深刻で、心に大きな傷を残す「いじめ」として考えると思います。しかし、加害している側の人間は、必ずしも自分がいじめているという自覚があるというわけではないと思います。「ただふざけていただけ」「いじっていただけ」という軽い気持ちの可能性もあると思うからです。このように人によって受け止め方も異なり、考え方も異なってきます。嘘をつくことができるデメリットもありますが、人がその時どう感じたか、語ることが大事だと思いました。
    わたしは自分がやりたい臨床心理学のみを心理だと考えてしまっている部分があるのだと気付かされました。統計学など今まで触れてこなかった部分まで知ることができてとても良い学びを得ました。今後はもっと広い分野に興味を持ち、自分で可能性をひろげていきたいとおもいました。
  • 他者を理解するのに必要なのは数値か語りかという問いに対して私は、語りが必要だと考える。確かに数値を知ることができれば具体的に他者についてどれだけ理解しているか知ることができる。しかし、語りを用いて他者について理解することができれば、何をどのように思っているのか具体的な他者の心情を詳しく理解することができる為、語りの方が必要である。
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