偉人の伝記に親しませよう(3)
大久保利通は、明治政府最高の権力者でありながら、
若干四十八歳で兇刃に倒れた。 大久保の馬車が
太政官庁舎に入っただけで、太政官全体が足音も
忍ばせるほど静寂になったと言われるくらいだから、
権勢の程も偲ばれると言うものである。
紀尾井坂で不平士族に暗殺されたときも、その暗殺は
予想されていた。しかるに彼は特別の護衛も連れずに
出勤していたのだから、元勲たちの死生観は我々の
想像を超えるものだっ たのであろう。
面白いのは、その死後である。大久保が死んだ後には
天文学的な金額の借金が残されていた。大久保夫人は、
日常の米を買うにも困窮する始末であった。見かねて
その一部を、明治陛下の皇后であられた、昭憲皇太后が
お払いになったというのだから、 借金の額も桁外れである。
最高権力者だったのだから、賄賂などどのようにも提供
さ せられる立場であった。しかし大久保は私財の蓄積など
ということには無縁の男であ った。
「公あって私なし」
ここでも私は、西郷に共通するスケールの大きさに驚嘆
する のである。
その4に続く…