夏休みに連載した「武相の歴史 学校創設まで」の続編〔第2部〕を、この冬休みに連載します。

今回は、昭和17年の開校から、昭和28年です。

 

校地が狭く認可が下りないという困難の中、創設者の石野瑛先生が見つけた今の武相台は、村の萱場でした。

昭和17年6月に設立認可が下りた武相中学校ですが、7月に富士塚校舎で開校式が行われ、また新校地武相台の地鎮祭が行われました。

 

武相の歴史第2部1 ①

武相の歴史第2部1 ②

 

その後、一面の萱を生徒も手伝って開墾、戦争中の資材不足も乗り越え、何とか翌年の昭和18年4月に工事を終え、5月15日に校舎竣工式を行います。

県知事・市長その他多数の来賓臨場の華々しい式でした。

 

さて、学校創立時の先生に松野重太郎氏が理科の先生として在籍しています。

武相の歴史第2部1 ③

 

 

松野氏は植物学の有名な先生で「ヨコハマダケ」という笹の新種を発見しました。

また現在に続く「横浜植物会」創設者でもあります。

当時は70歳を過ぎた方でしたが、どのような授業をなさったのでしょうね。

 

都筑にゆかりがあった”ひと” 松野重太郎さん

横浜植物会 ホームページ

 

富士塚校舎に続き、武相台も校舎などが整ってきます。しかし戦況は厳しくなり、日本は米軍からの空襲を何度も受けます。

昭和20年4月15日、とうとう富士塚校舎が焼け、石野先生の30年にわたる歴史研究資料が失われます。

当時の文章から、石野先生の無念の想いが伝わってきます。

 

武相の歴史第2部1 ④

 

(つづく)

 

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