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25歳で沖縄の小学校校長となった石野瑛(いしのあきら)先生は郷土史家として、着任半年後に『琉球大観』、その後『南島の自然と人』を出版します(2冊とも1960年に再刊)。

『琉球大観』の書誌情報はこちら

先生が勤めた那覇天妃小学校の写真もありますが、なんと入口の石門は戦禍にも負けず現存していました。「上天妃宮跡の石門」として保存されています。

上天妃宮跡の石門

『琉球大観』は大正時代の沖縄のことがよく分かります。首里城の項目には、フリガナが「シュリグスク」とあります。そして城の建物は各種学校の校舎として使われていると記されています。

調べてみると、1879(明治12)年以降首里城には熊本鎮台沖縄分遣隊が駐屯、建物は官舎、中央の広場は練兵場に使われたようです。1896(明治29)年に軍隊が引揚げた後、 この地に沖縄県立首里高等女学校(首里尋常高等小学校女子部、沖縄県立女子工芸学校)が設置されたとのことです。ちょうど石野先生が沖縄にいた時代です。ちなみに首里城は 戦後、琉球大学のキャンパスになった時期もありました。

沖縄時代、校長職と本の執筆で忙しかったと思うのですが、その間にご両親の幼稚園設立にも関わっています。

保育士をしていたお母さんが幼稚園を作りたいとのことで、横浜に帰った際に書類作成を手伝ったりしたそうです。その幼稚園が横浜金港幼稚園、現在学校の前にある幼稚園です(写真は、手前が武相学園、奥のピンク色の門が金港幼稚園)。

金港幼稚園

(つづく)

 

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