学校用地を探す石野先生。
元大綱小学校分校舎で、最近まで港北区役所として使っていた建物を候補と考え、港北区長、横浜市長を訪ねました。その後、地主に話を通しに行くと、出てきてくれたのは、なんと二中時代の教え子。教え子は地主である北京在住の父親に長文の電報を送ってくれました。
北京から、地主・矢作乙五郎氏の承諾を得、近隣の地主10数名とも交渉し、なんと2月27日には建物払い下げの認可を得ます。
すぐに武相中学校設置認可申請書を県に提出します。
申請中のまま生徒募集を始め、4月2日には入学考査、700余名中、220名の合格者が決まります。
入学予定者を富士塚の校舎に集めたのは1942(昭和17)年4月18日のこと。
その日の午後に「丸に星をつけた飛行機が校舎の真上を低空で飛んだ。」とあります。これは、太平洋戦争で初めて日本本土攻撃をしたドーリットル空襲です。
たいへんな時代に学校は船出するのです。
(つづく)
※教育者・歴史学者「石野瑛(いしのあきら)」の武相学園創設ストーリー。
実はこの後、もう一波乱あるのです。いよいよ次回は第一部最終回。お楽しみに。
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