少し前になりますが、5月11日付けの1年Ⅰ組学級通信に以下のようなことが書かれていました。

 

  卒業した生徒達がこの連休中に会いに来てくれて、
  
お互いに元気を与え合う事ができ、大変嬉しかった。

 

この記事を読んで私は、次のような感想を持ちました。

 

仕事を考える際に、どうしても給与面が気になります。

次に休みです。

給料は高いに越した事はないし、楽な仕事でたくさん給料を貰ったほうが良く、

休みもたくさんあったほうがよいと思います。

こんな事は誰でも分かっています。

その会社に入るためには多くの人が受験するので競争率も高くなります。

いわゆる狭き門です。

逆に仕事内容はきつく給与面でも恵まれていなければ、誰も採用試験を受けなくなります。

ところで、仕事が楽で給料が高い会社があるでしょうか。

答えは「NO」と考えたほうが良いと思います。

社会の常識として給料を多く貰うためには、それなりの仕事をしなければなりません。

 

そこで、給料のことを考えてみましょう。

仕事をした対価としてお金が支払われます。

(昔は、品物が給料として配られた事もありました。)

給料のことを報酬ともいいます。

報酬はお金だけと考える人もいれば、それ以外のものも報酬と考える人もいます。

仕事の対価はお金だけと考えている人は、金のために働いているのでしょう。

仕事をしてお金を貰うので、それはそれとして正しいと思います。

しかし、それでは少し寂しい感じがします。働くということは、生活の糧を得るために必要な事です。

しかし、その仕事は社会のために生きなければ意味がありません。

その仕事が、社会のために生きていると実感できればなおさら良いと思います。

何をしても儲かればよいという考え方は、一時的に成功しても必ず後からしっぺ返しが来ると思います。

企業でも社会貢献を考えずに利益を継続的に上げる事は難しいと思います。

普通の企業は、社会のために何らかの貢献をしています。

 

そこで、お金以外の報酬とはなんでしょうか。

自分が仕事をした結果、「満足感」「充実感」が得られたかどうかではないでしょうか。

まだ働いて給料を貰っていない人には、実感が湧かないと思います。

しかし、家庭でのお手伝いの経験ならあるでしょう。

手伝いをするということは、家族のためになる事です。

手伝った結果、家族は喜こびます。

このとき皆の心は豊かになります。

時には小遣いを要求することもあるでしょう。

余りお金を期待しすぎると、家族の喜びも半減するし、自分の満足感も薄れてきてしまいます。

 

給料の高低のみで企業を選択した場合、

この「満足感」「充実感」「使命感」がほとんど感じられない場合があると思います。

短期間なら我慢も出来るが1年、2年と続けていくうちに我慢できなくなり、

ついには会社を辞めてしまうのが常だと思います。

また、就職して直ぐに仕事に対する面白みを実感できる事は稀です。

それを実感できるまでなかなか我慢できません。

仕事を続けていれば、いずれその仕事の面白さを実感できます。

それを発見するには1年くらいでは無理で、数年続けないとその面白みは分かりません。

或は自分の創った商品で多くの人が喜んでいるという事が分かれば、

仕事に対する「満足感」「充実感」が湧いてきて意欲的に仕事に臨めるでしょう。

また、少しくらい嫌な事でもきつい事でも乗り越えられると思います。

私は給料も大切だが、その仕事に対する「満足感「充実感」「使命感」が大切だと思います。

それがなければ、人間は働く機械に成り下がってしまうでしょう。

 

上野孝裕 

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