5年を経た「3月11日」を思い出しながら、入学式の文章を書きました。あの日から5年も経ずに、今度は九州で とてつもなくしつこい地震が起こっています。
あの日は金曜日でした。卒業式はいつも土曜日で、前日に起こった地震のためにこの学校の生徒たちの卒業式ができなくなって、したいと思っても、いつくるかわからない余震や、建物の損傷や破損の確認作業に追われた3月でした。
5年前の自分自身が感じたことも含めて、

「ここではね」

と あの日の自分の見たものやその後に感じとって「いま」の人たちに伝えるために、どんな言葉を用意しようかと考えるわけです。考えるとそれまでの記憶がじゃまをしたりもするから、

「ここではね」

を考えることは、実は自分のむずかしさになったりするのを知るのです。

入学式のときに新入生に向けて話したことは、以下のようなものです。
毎年、同じような話をするようになりました。出会ったばかりの人たちに「伝えたいこと」は、長い時間軸では実はあまり変わらないのだなと、自分の固まり方も「考える」で見えたりします。

 

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「自由になった」「自立した」という意味を自分自身で
納得するための時間が始まります。
これを実感するのはとてもとてもむずかしいことでもあるし、
もしかしたら卒業したあとになるのかもしれない。
でも、いろいろなヒントを貯める時間にはなると思う。
だから、この学校で、たくさんのことを
経験してほしいと思っています。みんなが「自由になったぞ!」とか「自立したぞ!」と
実感するのがいつになるのかはわからないけれど、
自立していくことや、本当に自由になっていくことには、
実は、たくさんの困難が横たわっています。でも、この学校にいることによって、みんなひとりひとりが
いずれは「できる」という確信も持っています。

それには、これまでつくってきた 自分自身 を打ち壊さなきゃ
いけなくなるという苦しさも経験するだろうし、
自分自身を頑なに 守る ことで、逆に苦しくなることもある。
成長したり変化をするというのは、
実はそういうことなんじゃないかな。

「自分と向き合う」

という言葉は聞き慣れない言葉かも知れないけれど、
今日、知っておいてほしい。

何かマズいことをしちゃって、怒られることから逃れるために
「誰かのせいにしている」経験は、みんな、どこかに持っている
でしょう?

誰かのせいにしてやり過ごすことでうまく
しのいだと感じることもあるだろうけれど、
誰かのせいにしてしまった自分を嫌いになったりすることもある。
そういう分かれ目が「自分と向き合う」ということです。

「自分と向き合う」

という自分の中にだけある道具を持つことは、
自立した考えを持つような人になる、第一歩。
そうやって、「自分をつくる」をしていこう。

これはほぼ毎年言っていること。
失敗するのがいやだなと思ったり、
失敗して怒られちゃうことが理由で
「何かをはじめる」という気持ちが
しぼんでしまっている人がいるとしたら、
失敗を恐れず「何かをはじめる」をしてほしい。
すごく真剣に悩んで、やっぱりこれがしたいというときに
起こってしまった失敗は、私(中野)のせいにしていい。
そして、一緒に怒られよう。

この学校をつくった遠藤豊という人は、30年前の第1回の入学式で、
「学ぶ」ということの中身について、こんなふうにしゃべっています。

学ぶということは、決してできあいの知識をたくさん貯め込むことではありません。
そうではなくて、自分自身を絶えず乗り越えながら、自分自身を絶えず打ち壊しながら、
自分の中に新しい世界を作っていくこと。新しい考えを生みだし、
新しい考えをつくり出していくこと、そのことが学ぶということの中身です。

 

さっき言った「自分をつくる」ということは、
「自分の中に絶えず新しい世界を生み出す」ことになる。
その意味で、たくさんのことを経験して、
学んでいってほしいと思っています。

いろいろ手伝います。
ようこそ自由の森へ。入学、おめでとう。

おわり。

 

新入生を迎える在校生たちの「ぶち会わせ太鼓」、すごよかった。
人はこうやって 姿を変えていくのだな と思う瞬間は、鳥肌の立つような凄みを感じます。

なかの。

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