自由の森を卒業した後、数学の大学に行くようになって、数学者 遠山 啓 さんの書いた本などを読みあさったりしていました。遠山さんのある本の「あとがき」を 森 毅 さんが書いていて、とても印象に残っている文章があります。

数学の本を書くことについて、遠山から学んだことに、なにを書くかより、なにを書かないですますかのほうが、ずっと重要だということがある。自分が学んだこと、自分が考えたことなら、書く気になればいくらでも書ける。むしろ、本の全体のために、それを書かないでおくことのほうが、著者の判断の真価が問われる。そうした思い切りの良さが、遠山の本の価値の大きな要素だろう。

—遠山啓著 関数論初歩 日本評論社

  なにを書くかというよりも、なにを書かずにおくか。

なにもかもを網羅的に書き尽くすのではなく、その次の世界の広がりを読者にゆだねているのだというふうに感じました。私にとっては、本に書かれた「関数論」の内容に加えて、ちょっと衝撃的に飛び込んできた、森さんの「あとがき」でした。

もうだいぶ以前のことになりますが自由の森学園にも来校されたことがあり、当時高校生だった私も、森さんのお話を聞く機会がありました。

数日前の「天声人語」に、森さんと学生のやりとりが載っていました。大学の授業で出席をとらなかったとき、出席をとってほしいと学生が言ってきたそうです。その学生への森さんの言葉は

「よっしゃ、出席してないヤツは少々答案の出来が悪くても同情するけど、出席したくせに出来の悪いのは容赦なく落とすぞ」

来校されたときもそうでしたが、ご自身の持つ「こうであらねばならぬ」というのはあまり表に出さず、外からの「こうであるべき」というものに対して、それを揺さぶるようなものの言い方をいつもされていたように思います。

なかの

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