城北百人一首部は夏休みも練習・合宿・大会と目白押しで充実していました!

①校内夏合宿

8/6~8に恒例の校内夏合宿を行いました。1日5試合!


中日には保護者クラブ参観を実施し、日頃の練習の成果を披露しました。


夕食後は勉強時間(文武両道で頑張ります)

②他校・他会を招いて、城北柔道場で合同練習会を開催しました。

③職域団体戦(D級)に出場しました。学校・職場対抗で戦う5人制団体戦です。城北は決勝戦まで勝ち進み、惜しくも準優勝でした。

 

④大会(個人戦)も開催され、多くの部員が昇級を目指してそれぞれの級で出場・健闘しました。

(百人一首部顧問)

全国中学生大会の報告です。

第18回全国中学生少林寺拳法大会が

8/23〜25 にかけて,岡山県で開催されました。

開会式の様子

 

全国から811名の拳士が参加し,

城北からは単独演武,組演武,団体演武の3つの部門に出場しました。

 

結果は

男子単独演武 出場

男子組演武 準決勝進出

男子団体演武 第4位

となりました。

 

この大会中にも刺激を受け,更に演武の勢いが増しました。

11月のオールジャパンへの推薦枠を頂けたことで,次回は高校生たちと一緒に全国遠征に向かいます。

引き続き応援宜しくお願い致します。

(少林寺拳法部顧問)

広島合宿もいよいよ最終日となります。この日は近代史という今回のテーマとは少し離れて、宮島に上陸し中世の文化などについて学習し、東京へ帰ります。

 

まずは宮島にフェリーで渡り、厳島神社を参拝しました。

厳島神社の御祭神は天照大御神と素盞鳴尊が高天原で剣玉の御誓をされた時に御出現になった神々で、御皇室の安泰や国家鎮護、また海上の守護神として古くから崇信を受けており、特に平清盛が篤く信仰したとされる、大変歴史ある神社です。この神社の特徴は、言うまでもなく海上にあることです。幸いこの日は晴れており、また満潮に近い時間帯だったこともあって赤い鳥居が大変美しく見ることが出来ました。その後は神社内の各所を周ってから神社を出てすぐの宝物館に行きました。ここには平安時代以来奉納されてきた厳島神社の260点もの宝物が収められており、源平時代の鎧などいくつかの代表的な作品を見ることが出来ました。

 

そして、最後に豊国神社(千畳閣)を参拝しました。この神社は豊臣秀吉を祀っているとされています。神社の建物は全体的に吹き抜けの構造となっており、海が見えるほか全体的に風がよく通るようになっており、暑い日でも大変涼しい場所でした。また、実際江戸時代には人々の交流、納涼の場としても親しまれていたようです。

 

その後、よく涼んでから再び港に向かい、本州に戻りました。昼食は、スケジュールの都合で駅弁を注文して購入し、新幹線の中で頂くこととなりました。

 

そして、14時3分、定刻通りに新幹線に乗り込み、東京に帰路に着くことができました。幸い、大変暑い中ではありましたが4日間を通じて天候にも恵まれ、また大きな怪我や事故、病気なども無く無事に合宿を終えることができました。今回の合宿は、顧問の先生、OBの先輩方、ガイドの方、保護者の皆様方、その他大勢の方の協力があって無事に完了することができました。ここに感謝申し上げます。

 

歴史部では、これから文化祭に向けて、模型の制作や文化祭に向けた資料作りを行います。もし城北の文化祭にいらっしゃいましたら、是非歴史部のブースにお越しください。皆様の来場、心よりお待ち申し上げます。

 

(高2 部員)

 3日目は呉周辺の施設を見学します。

 

広島駅からJRの快速電車に乗り込み、一路呉を目指します。昨日見学した江田島を遠くに望みつつ列車は飛ばし、すぐに呉に到着しました。呉は戦前40万人もの人口を誇った大都市でしたが、その理由は呉が天然の良港であったことに由来します。明治時代に政府によって呉に海軍の鎮守府が設置されて以来、呉は海軍の街として栄えました。実は呉は広島より早く路面電車が開通するなど、その繁栄は広島市を凌ぐほどでした。現在の呉は人口は最盛期の二分の一程度ですが、今もなお海上自衛隊の重要な基地として活躍し続けています。

 

 さて、まず我々は自衛隊の「呉軍港巡り」というツアーに参加し、現在の呉の港を海上から船で見学しました。呉には空母化改装後の護衛艦「かが」や潜水艦など様々な護衛艦を見学することが出来、現在の日本の国防の状態について学ぶことが出来ました。

 

 ツアーが終了した後は、一度海軍カレーなどの昼食を頂きました。

 

次に、海上自衛隊呉資料館(てつのくじら)を見学しました。この施設は現在に至るまでの海上自衛隊の歴史について学ぶことができる施設で、映像などを交えた海上自衛隊の通史や、戦後復興やイラク戦争の時に活躍した掃海艇や地雷についての歴史についても展示されていました。

 

 また、この資料館には潜水艦についても詳しく展示があり、潜水艦のベッドや食事などの展示がなされているほか、実際に潜水艦「あきしお」が保存されており、本当に使われていた潜水艦の中に入ることが出来ました。やはり、資料などで見るよりも実際に見に行き直に見学した方がイメージがつき分かりやすいと思うので、大変良い経験になりました。

 

 続いて、大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)を見学しました。この施設は呉市の発展と旧海軍の歴史について学ぶことが出来る施設です。この施設ではツアーガイドの方がついて案内して頂けることとなりました。

 

 まず入って1番目立つのはやはり戦艦大和の模型です。戦艦大和は世界最大の46センチ砲を搭載した巨大な戦艦で、ここにあるのはその10分の1の模型ですが、それでも巨大な博物館の中で一際存在感を放っていました。また、この模型の下にも入り込むことが出来、その機構の特徴についても詳しく学ぶことが出来ました。

 

続いて、資料のある展示に移ります。ここでは明治時代からの海軍の発達やそれに関係する政治史、また呉市の発達について写真などの資料を交えながら学ぶことが出来ました。特に、軍艦旗などの実際に戦争などで使われた物や人物の記録などには生々しさが残っており、戦争体験を過去のものにさせないという点でも良い見学が出来ました。

 

 大和ミュージアムの見学後は、再びJR線に乗って広島駅に戻り、夕食を頂きました。

(高2部員)

2日目は、江田島兵学校と広島城の見学を行いました。江田島兵学校は戦前にイギリスのダートマス、アメリカのアナポリスと並び世界三大兵学校として謳われた海軍の兵学校で、非常に高い教育水準を誇っていました。現在では海上自衛隊の第一術科学校と防衛大学校出身の人間などが入学する幹部候補生学校となっています。そのため非常に厳かな場所であり、軽装での見学などは許されません。8時にホテルで朝食を済ませ、9時にホテルを出発し、まずは江田島に向かう高速船の出る宇品港に向かいました。やや時間に余裕を持って高速船に乗り込み、瀬戸内海を渡って江田島に到着しました。瀬戸内海は言うまでもなく内海であるため波が穏やかで、船酔いになった人間も少なかったようです。

 

江田島兵学校は自由に見学するのではなくツアー制で、ガイドの方を先頭に一般の方と一緒にツアーに参加すると言う形で見学しました。江田島兵学校の敷地内にはいくつかの建物があります。まずは大講堂です。大講堂は入学式や卒業式などの大きな催しの際に使用され、皇族の方や貴族の方が参加される際には普通の人間が入る門(通称:平民門)とは異なり、専用の門(通称:貴族門)を利用されるそうです。

 

次に、海軍兵学校第二生徒館(通称:赤煉瓦)に向かいます。見学日は平日だったため自衛隊の学生の方が利用されており、立ち入りは出来ず近くまで寄って見学することとなりました。

 

続いて、教育参考館に入ります。この建物には東郷平八郎の御遺髪などの海軍の様々な資料が保存されており、終戦まで4万点もの資料が保存されていた様ですが、終戦時、連合軍に占領される前に多くの資料が処分され、残った資料は神社に奉納されていたようです。現在は多くの資料が戻り、その他隊員の遺品などが加わり1万6000点の資料が保存、うち1000点ほどが展示されています。教育参考館の中は撮影禁止でしたが、日本の海軍の発展や戦争の経過などが資料と共に記載されていました。とても充実した資料館で、全く見切れないほどでしたが、時間の兼ね合いもあるので次に進みます。

 

教育参考館を出た後には、雪風の錨がありました。雪風は日本の艦船で唯一太平洋戦争を生き延びたもので不沈艦として知られるため、受験生などがよく願掛けとして写真を撮るそうです。上級生なども写真を撮っていました。

 

その後は再びガイドの方のお話を聞きつつ移動し、見学を終えました。

 

バスと船を乗り継いで江田島を脱し、本州に渡った後は二つに分かれてそれぞれ昼食を食べ、広島城の見学に向かいました。

 

広島城は毛利氏によって築城された城でした。城というものは単に要塞として国の防衛に用いるものではなく、領主としての威厳を知らしめるものとしての役割もありました。また、特に広島城においては海岸に程近く、大河川も隣接していたため交通の中心地として栄えていたようです。

 

中の展示は当時の武具や祭りなどの生活様式の展示の他、特別展示として学芸員が様々な城を紹介するという物もありました。他の展示は勿論ですが、文化史などは余り注目されることがないため、大変見応えがありました。

 

最上階からは外に出て広島の街を望むことが出来ました。しかし、一日炎天下の中での移動が多かったために疲労感が垣間見える部員も散見されました。よく食事と睡眠をとり、明日に備えると共に、熱中症対策に改めて万全を期します。

(高2部員)

今年の歴史部の合宿は、広島にて行われることとなりました。今回の合宿には、引率の顧問の先生の他に、OBの先輩も二人参加して下さることとなりました。

合宿の1日目は東京駅7時40分集合という少し早い時間帯になりましたが、全員が時間より早く集合することができ、余裕を持って新幹線に乗り込むことが出来ました。

広島駅に着いた後は、4つの班に分かれてそれぞれ駅ビルの中の店で昼食を頂きました。

昼食を済ました後は路面電車で移動し、広島平和記念資料館を見学しました。展示は被爆者の方の写真や遺品など、原爆の凄惨さやその被害が手に取るように分かるものでした。個人的には、当時の広島市長の、「周辺の他の都市は空爆を受けているのに我が広島のみは攻撃を全く受けていないのは不気味だ」という手記が印象に残っています。その他にも、被爆者の方々の所有物など、当時の生活の息遣いが聞こえてくるような展示が多くありました。

原爆によって、勿論戦時中故に決して五体満足のものではなかったとは考えられますが、そこにあった人々の日常というものが一発の爆弾で一瞬にして破壊された、一瞬にしてその場が地獄と化した、そんなことがつい80年前に起こったのだという事実は揺らぎません。その悲惨な出来事は決して教科書上の出来事ではなく過去の事実として存在しています。

また、原爆は大量の死者を出しただけでなく、生き残った人々にも後遺症を与え、被爆者の方はいつ死ぬかも分からないという恐怖と科学的論拠のない差別を受けて肉体的にも精神的にも苦しんだとされています。原爆投下から79年。悲惨な過去に目を背けず、決して風化させないで記憶に残しておくことが大事だと感じました。部員の皆も熱心に資料に見学しており、改めて平和について考える機会になったのかなとも思われます。

その後、夕食は二つの班に分かれてお好み焼きを頂き、ミーティングを行ってから22時頃に就寝となりました。

(高2部員)

7月31日~8月2日に開催された文化部のインターハイ、第48回全国高等学校総合文化祭(ぎふ総文)の小倉百人一首かるた部門(都道府県対抗団体戦)に、高3阪田(A級、六段)が東京都チーム副将として参加し、東京都チームは見事優勝を果たしました。

総文祭は47都道府県各チームによる対抗戦です。東京都チームは予選から決勝までの全7試合をなんと5名全員毎回全勝(35戦35勝!)するという快挙を成し遂げました。阪田は2年連続で副将を務め(選手としては3年連続選出)、全試合に出場、終始対戦相手の選手を圧倒し、チームをよく牽引しました(最優秀賞・文部科学大臣賞受賞)。

 

(百人一首部顧問)

地理部では7月31日から8月2日にかけて,恒例の夏合宿を行いました。今回の調査対象地域は北陸地方の中核,金沢市です。近世以降に加賀藩の城下町として発展した金沢には歴史的な街並みが残り,前田利家をはじめとする大名が奨励した様々な文化は,現在に続く芸術の源流となりました。今回の合宿では,金沢の自然・歴史・都市構造・文化について3グループに分かれて調査しました。この合宿で調査した内容は,9月28日と29日に開催する文化祭で発表します。また,文化祭に合わせて発刊予定の「ちりレポ第22号」にも掲載する予定です。文化祭にお越しの際はぜひ地理部の展示会場に足をお運び下さい!!

 

〔合宿1日目〕

今年の3月に福井県の敦賀まで延伸された北陸新幹線に乗車し金沢に向かいました。1日目は「城下町,金沢」をテーマに市内を見学しました。金沢城の北東側に位置するひがし茶屋街は,江戸期の町割り改変時に点在していた茶屋が集められて形成された地域です。第二次大戦で空襲を受けなかったことから,現在でも築200年を超える江戸期の建物が残っており,重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。部員達は景観観察を行ったり,建物や街並みの説明をメモしたりして知見を深めました。

 

金沢城の南西に位置する長町地区は,加賀藩政時代に主に中級武士が生活していた地域です。細い路地や鉤(カギ)型の街路と,それに面する長い土塀は当時の景観をよく残しています。また一部の武家屋敷は一般公開されており,部員達も当時の武士の生活のようすを体感しました。

 

街路は細く,複雑に折れ曲がっています。これを鉤(カギ)型の街路といい,外敵が簡単に進めないようにした防衛上の工夫です。城下町ではよく見られる街路形態で,部員達は6月に調査した川越でも学習しました。

 

金沢の中心に位置する金沢城は,言わずと知れた加賀藩主前田氏の居城で,隣接する兼六園は水戸偕楽園,岡山後楽園とならぶ大名庭園です。

 

〔合宿2日目 午前〕

2日目の午前中は金沢の伝統文化に注目し,和菓子作りの体験や能楽美術館,金箔工芸館,加賀友禅会館の見学をグループごとに行いました。茶菓子の定番,落雁は室町期に日明貿易で日本へ伝わったとされる和菓子ですが,前田氏が製造を奨励したことで全国的に有名になりました。部員達は伝統的な製法を学びながら実際に落雁作りに挑戦しました。

 

能楽,金箔,加賀友禅など,金沢には多くの伝統文化が残ります。

 

〔合宿2日目 午後〕

2日目の午後は,日本海に面する内灘砂丘を訪れました。対馬海流と北西季節風によって運ばれた砂が堆積した広大な砂浜海岸です。一方,内灘地区は今年の元日に発生した能登半島地震で液状化現象がみられた地域です。現在でも家や電柱が傾いていたり,道路が割れていたりしていて復旧にはまだ時間を要しそうです。

 

〔合宿3日目〕

最終日は金沢市の南西約30kmに位置する小松市へ向かいました。小松市は世界的に有名な建設機械メーカー「コマツ」の企業城下町で,市内には関連企業や施設が立地しています。特に小松工場が立地していた跡地には2011年に大型建設機械の展示や企業を紹介した施設「こまつの杜」がオープンしました。合宿最後の見学地として部員全員で訪れました。日本国内では使用できない超大型のショベルカーやダンプトラックは,主に海外の鉱山で活躍しています。このような建設機械のコマツによるシェアは世界第2位です。

 

部員達は夏休み期間中,地図や図表の作成,レポートの執筆を行っています。2学期が始まってからは,合宿での調査結果を文化祭で発表するための準備に取りかかります。地理部が現地調査した成果をご覧頂けますので,文化祭をお楽しみに!!

 

(地理部顧問)

数学研究部の合宿は8/19~8/21に山中湖で行いました。

クラブ内の親睦を深め,文化祭に向けての準備などをしました。

写真は「折り紙で色々な多面体をつくるワーク」をしています。

文化祭では,来場者にも体験してもらう予定です。

(数学研究部顧問)

8/19夜、オーストラリア語学研修の参加者全員が無事成田空港に帰着しました。

さまざまなサポートをいただいた全ての方々にこの場を借りて感謝申し上げます。

ありがとうございました。

この研修での体験が、参加生徒たちの今後の学校生活、ひいては卒業後の社会生活においても有意義なものになることを祈っております。

写真は8/17に過ごしたドリームワールドでのものと、成田に帰着した時のものです。

(国際教育委員会)

ページ
TOP