夕方の光がカーテンの隙間から差し込み、部屋の床に柔らかい影を落としている。その影の中に、読みかけのまま、あるいはまだ一度も開かれていない本が重なり合って積まれている。本屋で出会ったときには胸が弾んで、レジまでの道すがら「今夜は眠るのも惜しんで読もう」と思ったはずなのに、気づけばページは一度もめくられぬまま、背表紙だけが静かに佇んでいる。
それを眺めるたびに、以前の私は小さな後ろめたさを覚えていた。読み切れないのに本を増やしてしまう自分を責め、積まれた本の山を怠惰の象徴のように感じていたのだ。でもある日、友人が「積読って、未来の自分への手紙みたいなものだよ」と言った。その言葉を聞いた瞬間、心の中の重りがすっと外れた気がした。まだ読んでいない本は、無駄ではなく、未来に残された余白なのだと。
夜、仕事から戻って疲れた体をソファに沈める。ふと顔を上げると、本棚の隅に積まれた背表紙たちが視界に入る。手に取る気力はないけれど、その存在がなぜか安心をくれる。まだ開いていないページの向こうに、知らない景色や言葉が眠っている。今日ではないけれど、いつか必要になるその日が来るはずだと思うと、胸の奥にかすかな灯がともる。
我が家の積読本たち
積読本の山は、過去の自分の軌跡でもある。ある日突然、歴史に心惹かれて手にした厚い本。休日の気まぐれで買った詩集。自己啓発書の鮮やかな装丁に吸い寄せられた瞬間。読んでいなくても、その一冊一冊が、かつての自分の情熱や衝動を証明してくれている。
そして思う。本というものは、読むタイミングが訪れて初めて心に響くのだと。無理やり読もうとすれば、言葉はただ流れていくだけだ。だから、積まれたままで構わない。必要なときが来れば自然に手が伸びる。積読本は、未来の私のために静かに待ち続けてくれているのだ。
積読は決して怠惰の証ではない。むしろ好奇心と希望のかたまりだ。まだ読まれていない本の群れは、これからの自分が出会うかもしれない世界を秘めている。だから今日もまた、新しい本を手に取ってしまう。読むかどうかはわからない。けれど、それでいい。積読とともに生きることは、未来への可能性とともに生きることだから。
国語科 K.U.