10月27日(月)~30日(水)の3日間、広島・関西研修が行われました。1日目の平和学習では、みんなで作成した千羽鶴を奉納、原爆死没者慰霊碑で献花をし、被爆体験講話を聞き、また講演者の方に向けて、自分たちで作った平和の詩を群読しました。平和記念公園の碑めぐりでは、平和の鐘をついたり、ガイドさんの説明を熱心に聞いたりしました。平和記念資料館では、当時の資料をじっくり見学し、戦争の悲惨さ、平和の大切さなどを感じ、多くの学びがある1日となりました。2日目は宮島で、厳島神社など美しい建築物や風景を鑑賞し、もみじ饅頭作りを体験しました。最終日はUSJの自由行動で、楽しい旅行の締めくくりとなりました。
国語の授業で広島について学び、広島のことを思って書き、群読をした詩2篇

広島のことを思って国語の授業で書いた詩「あの人」

広島のことを思って国語の授業で書いた詩「平和の尊さ」
生徒の感想文から抜粋
被爆体験者の方のお話を聞きました。その方は、お兄さんが「行ってきます」といって出かけたまま帰ってこなかったそうです。お兄さんは被爆してしまい、見ていられないような姿になってしまっていたと聞き、胸がズキっと痛みました。「もし自分の家族だったら」と思うと、とても悲しくて言葉も出ませんでした。お話の後に資料館の中を見て回りました。そこには亡くなった人たちの服や持ち物、そして最後に残した言葉などがたくさん展示されていました。焼けてしまった学生服や止まったままの時計を見たとき、その一つ一つに「生きていた証」があるのだと感じました。今までたくさんの人が亡くなったとしか考えていませんでしたが、その一人一人に家族や夢があったのだと思うと、とても切ない気持ちになりました。
中でも印象に残ったのは原爆ドームと平和記念資料館です。原爆ドームは、画像や動画で見たことはあったけど、実際に見てみるとすごく大きく、核兵器の恐ろしさを感じました。一瞬にして大きい建物が壊れてしまうくらいの力があると改めて感じ、核兵器は、この地球上にあってはならないものだと思いました。でも核兵器を所持している国が多くあり、全部なくなるまで平和の灯は消えないことを知り、平和の灯は核兵器をなくしてほしいという人々の気持ちが形になったものだと思いました。
原爆が投下される前の広島には平和な暮らしがありました。しかし1945年8月6日午前8時15分、一瞬にしてなくなったのです。それまで当たり前のように過ごしていた平和な日常が一発の原子爆弾によってなくなったのです。今、私たちは平和な時代に生きています。毎日家族と一緒にご飯を食べ、友だちと遊んだりしています。今の私たちには平和はあたりまえになっています。しかし世界では今も戦争が行われています。たくさんの人が犠牲になり苦しんでいます。戦争で大切な人を失わないために、多くの人が犠牲にならないように私たちにできることは一つだけです。それは、平和な生活を送れることを当たり前と思うのではなく、戦争でたくさんの人が犠牲になったことを知り、平和がどれほど大切であるかを伝えていくことが、今の私たちにできることだと考えました。
私は研修に行って、平和の尊さ、核兵器について考えました。慰霊碑に奉納されている原爆死没者名簿に、氏名不詳者多数と記してあります。原爆によって、亡くなった多くの方々の名前が不明なままであるのが、とても心苦しいです。世界はまだ数多くの核兵器を持っています。原爆で亡くなった方々のためにも、これからの世界のためにも、核兵器は廃絶しなくてはならないと思います。それが、平和への第一歩となると私は思います。
1日目

新幹線

千羽鶴

被爆体験講話

平和の鐘

平和記念 公園内巡り
2日目

もみじ饅頭作り体験

宮島

宮島の鹿と

厳島神社①

厳島神社②
3日目

USJ

ホテルロビー

朝食