少人数教育と 個別的な対応を重視する むさしの学園小学校です。

 

お盆のお休みをいただき、そして、先日おこなわれた私学展に出展した

ため、記事の更新にお時間をいただきました。

 

さて、このところ、むさしの学園の歩んできた道をご紹介しています。

今日は、予定通り、創立初年のむさしの学園の様子です。

 

むさしの学園は、1924年(大正13年)に創立されました。

前年に発生した関東大震災のため、校舎用の資材が足りなくなり、一部

未完成のまま開校を迎えました。

 

その状態から、入学直前での取り消しも相次ぎ、4月10日の入学式は、

6人の子ども、3人の保護者、3人の教師でおこなわれました。

 

翌日から、さっそく、教師達が交代で、駅への子ども達の迎えが始まり

ました。

 

最寄り駅は、武蔵境駅。

当時は、まだ三鷹駅がありませんでしたので、武蔵境から歩くか、

少し離れた吉祥寺から歩くかのどちらかだったのです。

 

場所は、武蔵野村西窪、今で言う武蔵野市西久保です。

今ではすっかり交通量の増えた井の頭通りが、まだ、水道道路と言われる

砂利道だっととのことで、現在、「浄水場東」というバス停があるあたり

だったと聞いています。

 

子ども達と教師は、武蔵境からの道を一緒に歩きました。

雲雀のなく野の道を歩き、栗の実がこぼれる雑木林を抜けての登校でした。

 

毎週土曜日には、遠足がおこなわれました。

これは、「豊かな自然こそ、最前の教育環境」という創立の精神に基づいた

ものです。

 

記録によると、玉川上水べりの小金井桜を見に行ったり、井の頭公園、

国分寺史跡まで足をのばしたこともあったようです。

 

これが、「むさしのめぐり」です。

当時の交通機関の発達状況もあったでしょうが、自分たちの足で、野を

歩く、ということをとても大切に考えていました。そして、歩くこと自体を

楽しんでいました。

 

ですから、今でも続く「むさしのめぐり」では、自然に身を置くことこそ

最前の環境という趣旨に基づき、実施されています。

 

夏休みには夏の学校も開かれたようです。こんな記録が残っています。

 

7月21日 小金井貫井弁天のプールで過ごす。

7月22日 多摩川是政の川原で水遊び。

7月23日 雨のため、勉強して過ごす。

7月24日 品川堀で泳ぐ。

7月25日 貫井プールで泳ぐ。冷たい水でも元気いっぱい。

7月26日 小金井の前田家別邸にお邪魔し、緑陰で図面や綴り方(作文のこと)

7月27日 青梅の清流に遊ぶ。

7月28日 夏の学校最終日。歩いて国分寺史跡を訪ねる。

 

この夏の学校は、翌年の大正14年には9泊10日の臨海学校に発展しました。

 

今日も長文にも関わらず、最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

むさしの学園小学校

042−361−9655

ページ
TOP