少人数教育と 個別的な対応を 重視する むさしの学園小学校です。

 

今日は、2年目のむさしの学園について書かせていただきます。

1925(大正14)年、むさしの学園は2年目を迎え、作文集「田園の教育」が

創刊されました。

 

そして、ひまわりを図案化した校章もこの時に誕生しています。

 

創立初年におこなわれた夏の学校は、この年から、臨海学校として、

三浦半島三戸浜で実施されました。なんと、9泊10日であったそうです。

 

この翌年には、元号が昭和に変わります。

 

1930(昭和5)年、校歌「むさしの学園の歌」が誕生します。

作詞は、6年生の子ども達と担任の吹本先生。

そして、作曲は、在校生保護者の信時潔氏です。

信時氏は、「海ゆかば」などの作曲で有名な方です。

 

1935(昭和10)年、6年生対象の高原学校が始まりました。

場所は、妙高高原。

スケジュールは、こういうものだったそうです。

 

8月1日 自動車に分乗し、善光寺参りの後、宿舎へ。

8月2日 午前中は勉強。午後は赤倉の温泉プールへ。往復6km徒歩。

8月3日 午前中は勉強。午後は苗名の滝と富沢発電所見学。往復12km

      徒歩。

8月4日 午前中は写生。午後は自由に過ごす。

8月5日 お弁当を持参して、野尻湖、一茶の旧跡も訪ねて往復15km徒歩。

8月6日 登山の予定が雨で中止。午前中は勉強、午後は雨上がりを縫って、

      採集等。

8月7日 今日も雨。昨日と同様。

8月8日 天候不良のため出発を2時間遅らせ、無事に登山。

8月9日 赤倉温泉プール。登山疲れのない先生と子どもは笹ヶ峰牧場へ。

      往復30km徒歩。

8月10日 帰京。

 

1939(昭和14)年になると、児童も増え、300名にもなりました。

そこで、手狭になった校地を拡大すべく、隣接地を購入する話がすすめられました。

 

購入資金は、「育成社」を立ち上げて、募ることになり、保護者の松前重義氏が

理事長を務めてくださいました。松前重義氏は、東海大学の創設者です。

 

と、わずか6名で始まったむさしの学園も、15年を経過し、その規模も大きくなり、

発展をとげてきました。

 

しかし、時代の影は、次第に暗くのしかかってくることになります。

 

明日は、1941(昭和16)年、国民学校令についてのお話から始めたいと

思います。

 

むさしの学園小学校

042-361-9655

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