令和3年度 第73回県高校総体サッカー競技大会兼関東大会予選

終了間際、痛恨の失点を喫す!!

北杜の粘りに、ベスト4入りを阻まれる!

令和3年度 第73回県高校総体サッカー競技大会
兼関東大会予選
日大明誠 前半 北  杜
後半

手塚秀昭のホイッスル

tezuka

令和3年度県高校総体サッカー競技大会兼関東大会予選4日目は、2会場で4試合が行われベスト4が決定した。

本校の対戦相手は北杜高等学校(以下、北杜)であった。北杜は4年前のこの大会準決勝(代表決定戦)で、延長後半のアディショナルタイムで痛恨のゴールを決められた因縁の相手でもある。

立ち上がり、強風が吹く中、風上を利してのロングパスを駆使して攻め込む本校は、MF⑥山本が接触プレーで負傷交代を余儀なくされたが、試合を押し気味に進めた。7分、11分、14分と前線の⑨粟生田と左サイド⑪平田がボールに絡み起点となり主導権を完全に握った。対する北杜は、主将⑥と⑩を中心に反撃を試みるが、本校のディフェンスの意識が高く、早い寄せ等で攻撃の芽がことごとく摘まれた。20分過ぎから、粟生田が前線で体を張りボールをキープし、左右への展開からゴール前にチャンスが生まれ、CKを獲得するが決定機までには至らなかった。30分過ぎには、今度は北杜が中盤で奪ったボールをシンプルに本校DF陣の裏へ蹴り込むが阻まれた。

後半、風下になった本校は持ち前の細かいパスワークでリズムを掴み、2分過ぎからほぼ一方的に攻め続け、②津田の右サイドのオーバーラップの機会が増えた。10分、二人目の交代選手⑮神田は、運動量豊かに前線のスペースに入り込みポストプレーからチャンスを作った。カウンター狙いの北杜は14分、中盤でボールを奪い一旦左サイドに預けそこから大きく右へサイドチェンジ、そのクロスが混戦となりシュートを打つがGKの正面となり本校は事なきを得た。20分からは攻めの時間が多くなり攻撃に拍車がかかったが、時折中盤でのボールの奪われ方が悪くショートカウンターでピンチを招いた。本校はアディショナルタイムに北杜DFラインの裏へ上手く抜け出し、GKと一対一の状況からのシュートは惜しくもGK正面となった。時間も経過し延長戦突入かと思われた40分+3分、北杜は中盤で奪い右サイドに展開、その絶妙なアーリークロスを、ファーポスト付近からゴールラインに叩きつけるヘッディングシュートを決められ、その直後にタイムアップの笛、またしても4年前の再現シーンを見るかのような痛恨の敗戦となった。

この試合は、数多くのチャンスをものに出来なかった本校に比べて、カウンター狙いの攻撃に徹し前線の3人がボールに絡み続け、数少ないチャンスをものにした北杜、『試合に勝って、勝負に負けた』、まさにサッカーの格言通りとなった。主力の一人を怪我で欠き戦力ダウンは否めない状況下であったことは確かであるが、初戦の甲府東戦でも見られたが、中盤でのタメ(時間)を作る横パスが少なく、さらにアタッキングサード(ピッチを3分割した場合に最も相手ゴールに近いエリア)で、DFを含めた持ち前の細かいパスワークで相手を崩す厚みのある攻撃が影を潜めた。しかし、敗れたとは言え今大会はまだ続き、順位決定戦(5~8位)を2試合勝利すると、第4位のブロックに入る大きな目標が残っており、この悔しい敗戦を糧に次戦に挑んでもらいたい。

先発メンバー(学年)⇒交代
GK ①片 平(3)
DF ②津 田(3)
DF ③橋 本(2)
DF ④安 達(3)
DF・主将 ⑤菊 池(3)
MF ⑥山 本(3) ⑭吉 田
MF ⑦浅 田(2)
MF ⑧大 月(2) ⑮神 田
FW ⑨粟生田(3)
MF ⑩川 村(3)
MF ⑪平 田(3)
リザーブメンバー
DF ⑫小 林(3)
DF ⑬下 地(3)
MF ⑭吉 田(3)
MF ⑮神 田(3)
MF ⑯敦 賀(3)
GK ⑰永 田(2)
MF ⑱岡 内(2)
MF ⑲高 橋(2)
FW ⑳ 昆 (2)

 

筆者のプロフィール ≪日刊スポーツ山梨版(現在休刊)より抜粋≫
手塚秀昭(てづか・ひであき)
tezuka1950年、山梨県塩山市(現甲州市)生まれ。1972年、日本大学明誠高等学校に英語科教諭として赴任。75年、サッカー部監督に就任。全国選手権県大会準優勝(82、83年)、インターハイ県代表(83,84年、私学勢として初)、関東大会県代表(88年)、日大付属大会優勝など県下屈指の強豪に育て上げた。“心”を優先とした指導で、独自の戦術を駆使し、常に強豪校を脅かした智将。又、県東部地区の第3種(中学生年代)の普及のため、2001年に「リヴィエール」を創設し、05年、06年に関東クラブ選手権県大会優勝(同大会出場)、06年、高円宮杯県大会(U15)第3位に導くなど、第2種、3種の2つのカテゴリーでそれぞれ優勝(第3種はクラブ選手権)に導いた。それらの功績が称えられ、08年、県高体連より「指導者功労賞」、14年、県体育協会より「体育功労賞」がそれぞれ授与された。
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