美味しさと栄養に配慮したメニューで、生徒の健康を育む学生食堂。
5月学食メニューをご紹介します。
平成29年4月7日、満開の桜の下、本校の入学式が盛大に挙行されました。
式では担任から新入生一人ひとりの名前が呼ばれ、
芝田校長から「入学を許可します。」という力強い宣言がなされました。
学校長式辞に続き、水戸理事長は祝辞で
「皆さんは素晴らしい素質・能力持っているので
その能力をどう伸ばすか考え行動して欲しい。
自分の町、日本、世界に目を向けて、
社会との繋がりを意識した学校生活を送ってください。
また大きな変化に対応できる人間力を身に付けてください。」
と励まされました。
3月24日、私は本校の学校行事で皆さんと歌う最後の校歌を歌いました。
校歌については、
冒頭「松のみどりに降りそそぐ 朝のひかりのさわやかさ」、
その「さわやかさ」は、
校歌3番の「愛とまごころ人の道」「三つの教え」「いただいて」、
つまり校訓である「仁愛・正義・誠実」を
自問自答することによって育まれます。
本校はそんな「さわやかな進学校」を目指しています。
と、本校の学校説明会ではこのネクタイの色合いで
雰囲気を伝えるとともに実際に少し歌いもして紹介してきました。
縁あって7年前に赴任し、「さわやかな進学校」づくりを目指し、
そんな「二松にしよう」とコピーをつくり、
二松学舎の大先輩である夏目漱石に
「二松にしよ!!」と言わせたポスターをつくり、
漱石没後100年の昨年2016年、
生誕150年の今年2017年にゴールを定めて、
二松学舎の仲間とともに自分に与えられた責任を果たすべく、
自分なりに一所懸命、精一杯やってきました。
卒業生の皆さん、先ほど皆さんは、
本校の学校行事で最後の校歌を歌いました。
思い起こせば3年前、
私は皆さんの入学式の式辞を「ご入学おめでとう」と始めて、
校歌の冒頭「松のみどりに降りそそぐ 朝のひかりのさわやかさ」に関連させて
次のように締めくくりました。
「さわやかな心」は校歌3番にある
「愛とまごころ人の道」「三つの教え」「いただいて」、
つまり「仁愛・正義・誠実」を自問自答することによって育まれます。
さあ、ここ手賀沼のほとりに学ぶ若い命、
かけがえのない命である一人びとりの皆さん、
仲間とともに二松学舎柏にさわやかな命の風を吹かせましょう。
と。あれから3年、いろんなことがありましたが、
光陰矢の如し。こうして今日の卒業式です。
2月18日、3年生を送る会が行われました。
吹奏楽部による、「恋」と「愛をこめて花束を」の演奏がありました。
各部活動による、卒業生へのスライド上映がありました。
最後に生徒会からの卒業記念品の贈呈がありました。
在校生からの卒業生に対する感謝の気持ちがあふれる会でした。
放送について
番組名:NHK 総合テレビ 「インタビュー ここから」
放送日:平成29年2月11日(土・祝)午前6時30分~6時53分
1月28日(土)、昨年に芥川賞を受賞した
卒業生の村田沙耶香さんのNHKによる撮影が、
本校校舎を使って行われました。
まず、校門から南校舎へ在学時の思い出を語りながら歩き、
ピロティを抜けたところでお祝いの横断幕を見て感激していました。
サプライズで、中学生全員から
受賞お祝いの花束と色紙をプレゼントさせていただきました!
有名人に会えた中学生も大喜びです!
年が明けてはじめて、今日ここにみなさんがそろい、
こうしてともに校歌を歌うことができて幸せに思うとともに、
日本の被災地や世界に起こっているさまざまなことを考え合わせると、
この普通で当たり前のこの「今」に感謝されます。
先ほどの校歌の冒頭
「松のみどりに降りそそぐ 朝のひかりの さわやかさ」、
みなで歌うと明るい未来が期待され、松の新芽のように胸が膨らみます。
「さわやかさ」は、ここにいる一人びとりが同じものを見て、
みなで同じように「さわやかに」感じる「さわやかさ」でありたいものです。
朝、校門の左右に並ぶ一対の松、そこに降りそそぐまぶしい光、
それを見て伝統や未来、「いにしえのロマン 明日の日のロマン」を感じる
「さわやかさ」でありたいものです。
12月22日朝の朝日新聞の紙面や一部地域の折り込みに
漱石アンドロイドが紹介されていました。
今年は漱石没後100年ということもあって、
漱石が学んだ二松學舍を中心に、
ここのところあちこちで取り上げられています。
それはそれとしてこれは110年前の話です。
「明治39(1906)年、津田英学塾に入りまして
そこに通うようになったのですが、英学塾は五番町にあり、
二松学舎は三番町にありまして道順もよいから、
二松学舎に伺うようになったわけです。十九歳ごろでした。」
というのですが、これはいったい誰のことでしょう。
明治44(1911)年、日本の婦人解放運動に大きな役割を果たした
文藝雑誌『青鞜』を刊行しました。
その後、大正デモクラシー
つまり「人民による、人民のため政治」の潮流のなか、
婦人参政権運動を展開しました。
これは平塚明(はる)・雷鳥の談話で『二松學舍百年史』という本の中にあります。
ページ
TOP