11月5日、イギリスでは Fawkes Dayを迎えます。
ガイ・フォークスとは、今から約500年前に国会議事堂の地下で爆破未遂の犯人として逮捕された人物。当時、イギリス国内では、プロテスタントの国王がカトリックの人々を弾圧して深刻な宗教対立の状態にあり、この事件を一概に評価できない複雑な事情がありましたが、国会議事堂爆破という大事件が未遂におわったことを記念して、この日は焚き火をたいてお祭りをするようになりました。一般に、11月第一週の日曜日に行われます。
今年は小中学生の一部が、近くのお祭りに外出しました。村はずれで大人は松明を持って、子供は光るおもちゃの棒を掲げて、伝統にしたがって行列を組んで焚き火場へ。松明の灯をともして、焚き火が燃え上がる様は壮観。野山が枯れ草色に染まった初冬の頃ですから、息が白く、焚き火のあたたかさが体に沁みとおる夜でした。

今年の夏、私は非常に大きな影響を受けることとなるプログラムに参加することができた。それはUCLに行き、様々な授業をUCLの教授や起業家などから受けるというものだった。
もちろん授業は英語で行われるため、知識とともに英語を学べるという一石二鳥のものだ。

プログラム初日はヒースロー空港から始まった。ヒースローで集合すると、同じ立教生が1人と、男子が私の他にもう1人いた。他にも10数名日本から来ていた生徒たちもいたが、初日ということもあり緊張していたので、その2人とばかり話していた。その後立教へ移動し、私たちは先発組だったので後発組の到着を待った。待つ間、私は新しくできた友人たちと体育館でバレーや卓球をして遊んだ。

2日目はアイスブレイキングということで、英国人も含めてスポーツをした。これでだいぶ皆の緊張もほぐれ楽しむことができた。
3日目はケンブリッジへ移動し、観光などをして過ごした。
次の日、初めての授業が行われた。授業の内容は多岐に渡っており、多くの興味をそそられることがあった。
ケンブリッジに2日間滞在した後、ロンドンにあるUCLへと移動した。UCLでも数々の授業があったのだが、特に惹きつけられたのが宇宙についての授業と経済についての授業だった。

また友人についてもUCLに行った頃からできるようになってきた。夜、食後にみんなで遊んだり、また同じ建物で泊まっていたフランス人の学生たちとも仲良くなったりすることができ、充実したプログラムを過ごすことができた。仲良くなった友人の中には、日本で再会し泊まりがけの旅行に行くほどになった一生ものの友人もできた。

今回のプログラムを通して友人が多くでき、知識も深めることができ、英語の勉強にもなり、そして自分の進路も見つけることができた。本当に中身の濃い、参加することができて本当に良かったプログラムだった。

日本に帰国してまだ一週間も経たないある日、「アップルクランブル」が無性に食べたくなった。
「アップルクランブルが食べたい。」
と、母に言った。
「アップルパイはだめなの?」
と、聞かれた。
「うーん、ちょっと違うんだよね・・・。」
曜日を見て、はっとした。木曜日だったからだ。そして思わず笑ってしまった。四月に立教英国に入学してまだ三ヶ月しか経っていないのに、木曜日のデザートの習慣はしっかりと体に染み付いていた。

家の近くでアップルクランブルが食べられるお店を探してみたが、私は立教英国のそれを食べたかった。いろいろ調べていると、思ったよりも簡単に作れそうなので、母と一緒に作ってみることにした。オーブンから焼けたリンゴの甘い香りが広がってくると、学校のニューホールの風景が思い浮かび懐かしくなった。
自家製のアップルクランブルはとてもおいしく出来たが、微妙な違いも感じた。そしてみんながいない寂しさが一気にこみ上げてきた。毎日共に過ごした一学期、寮生活に慣れず戸惑うことやつらいこともあったけれど、周りに助けられ教えてもらいながら、いつしか学校生活を楽しむことができるようになっていた。つい思い出し笑いをしてしまうような事件やアウティングなどかけがえのない思い出がたくさんできた。立教英国での生活は朝から寝るまでやることが盛りだくさんだ。忙しいけれど、毎日がとても充実している。

夏休みが始まったばかりなのにもうイギリスが恋しいなんて、学校と学校のみんなのおかげだと思う。心から感謝して二学期からも頑張りたい。そして、木曜日が楽しみだ。

12月1日、一足早いクリスマスを届けに、学校近くのエルムブリッジ ヴィレッジまで行ってきました。
エルムブリッジ ヴィレッジは、学校の近くの村、クランレーにあります。仕事を引退した方々が一緒に暮らすRetirement Villageです。立教英国学院は、毎年12月に全校でこの村を訪れ、クリスマスソングを届ける交流活動をしています。

今年も、期末試験が終わってから、聖歌指導担当の高校3年生が中心となって練習を重ね、この日を迎えました。
曲目は聖歌から、イギリスの伝統的な歌、また日本で最近良く聞かれるクリスマスソングなど、バラエティに富んでいます。英語の曲と日本語の曲を取り混ぜ、170名以上で、しかも曲によっては4パートに分かれて歌います。練習はとても大変そうでしたが、聖歌指導担当がきちんと指揮をとって、全員を導いてくれました。

会場は昨年までとは異なり、新しくなったホールで行われました。たくさんのお客様が見守る中、ハーモニーが美しく響き、1曲終わる度に拍手が響きました。時折、観客席からも歌声が聞こえてきました。私たちが望んでいた交流ができたことを嬉しく思いました。
児童生徒たちが一所懸命歌い、エネルギーを届ける、そしてそれをお客様が受け取る。皆さんが元気になり、笑顔になり、喜んでくださる、その様子が伝われば、児童生徒たちも心が温かくなります。

最後に、エルムブリッジ ヴィレッジの皆さんからたくさんのお菓子をいただきました。互いに”Merry Crhistmas ! “と笑顔で挨拶し、帰校しました。今年も良い交流を行うことができました。

オープンデイを終えてまず思ったことは「やっと終わった、意外とアリかも」でした。

オープンデイは揉めると元メンや先輩から散々聞かされ大きな不安と進まない気持ちで始まった準備期間。初日からあまり上手くいかず、「ああ、これは確実に面倒くさいことになるぞ」と思っていました。一日中朝から晩まで毎日、塗って塗って塗りまくるという日本の学校の文化祭の準備ではなかなかない状況で、何も起きないはずないなと考えていました。

しかしそこまで大事にならずに無事済んで、ある意味拍子抜けしました。さすがに和気藹々という訳にはいかずピリピリとした空気ではありましたが、「無事」に終えることが出来たのはそれぞれの人の我慢や折り合いや引き際の見極めがあったからこそだと思います。

今回、私は色々な人に気を遣わせてしまったなと反省しています。自分の気分の具合で周囲の人を振り回してしまいました。まだまだと、本当にまだまだなのだと痛感しました。自分も辛くて大変な事を沢山抱えているはずなのに、周囲を気遣い励ましの言葉をかける同学年の人を見て、本当に素敵だなと思いました。見習わなければとも思いました。どうしたらあんな人になれるのか今の私では到底追いつけないと思いますが、出来るように成長したいです。

また自分の英語力の無さも痛感させられました。私はフリープロジェクトに入っていた訳ではないのですが、チャリティー企画のお手伝いをさせてもらいました。教室棟の入り口で様々な物を売っていたのですが、場所のせいか多くの人から色々な質問を受けました。かろうじて質問の内容を理解することは出来るのですが、それに対して英語できちんと答えることがほとんど出来ませんでした。せっかくイギリスにある学校にいるのに、このままでは話せるようにならないまま卒業することになりそうで、焦りを覚えています。

自分の新たな課題を発見したオープンデイですが、何だかんだ楽しかったです。一週間ずっとストレスがかかり続けて肌あれももの凄かったのですが、いい経験になりました。普段一緒に授業を受けている人達と、皆で一つの物を作り上げるというのは学生時代にしか出来ない事だと思います。紆余曲折ありながらも総合2位をとることが出来て2組のパワーはやはりすごいなあと感じました。きっと来年は1位をとれるとと思います。オープンデイは年に1回だからよいのだと、あと1回しかないからこそよいのだと思います。頻繁に何度もあってほしくはないと正直思います。でも「それなり楽しかったでしょ?」と不思議に明るい方に思うことが出来ます。来年はどうなるのか、楽しみであり不安です。20171126-2

窓の外の景色を眺めていた。古いけれどどことなく威厳のある街並み。いや、古いからこそ、か。
これがあのテレビの画面越しでしか見たことなかったオックスフォード。
1年前フィリピンのソファーでゴロゴロしていた私には考えられないところまで来てしまったな、と改めてイギリスに住んでいることに実感がわいた。

ゆったりとした雰囲気を持つケンブリッジとは対照的に、大学と住居とお店がごちゃまぜになって、ぎゅうぎゅうに詰まっている感じ。それでいてしっかりと調和がとれている。じっくりと街を観察した後は、イギリス最古のコーヒーショップへと足を運んだ。めったにない機会だし、と少し背伸びをしてモカと蜂蜜バニラアイスクリームイチゴ添えをオーダーした。無論、どちらも絶品だった。

しかし今回のアウティングのハイライトは、やはり若い男性ガイドさんによるハリーポッターツアーであろう。実際映画に使われたロケ地や、モデルとなったオックスフォードのダイニングホールをこの目で見ることができた。特にダイニングホールは圧巻だった。ちょうど夕食の準備が行われていて、一直線にきれいにキャンドルが並べられていたのがとても印象的だった。今でもその幻想的な光景が目に焼きついていて離れない。

オックスフォードで見るもの全てが新鮮だった。また機会があればぜひこの歴史ある街を訪れたい。1122-3

「今年のビリビリ賞は・・・ビリビリビリビリ。」
ドラムロールではなく聞こえてきたのはドラムロールの代わりにビリビリという生徒会役員の先輩の声だった。

“Stimulate Your Imagination”

スローガンに掲げられたこの言葉から作られたビリビリ賞。張り詰めた空気を和らげ、会場が一気に温かくなった、そんな閉会式を私は覚えている。

教室の全ての机を片付け終えた直後、始まったオープンデー準備期間。練りに練られた計画をいざ実行する日がやってきたのだ。我ら高校1年2組のテーマ「ジブリ」。この世界を作りあげるという一心で臨んだこのオープンデー準備期間は私にとってとても印象的で素晴らしい思い出となった。やる気に満ちあふれた教室は一週の間にガラリと姿を変えていき、最後には天井ギリギリサイズのトトロまでもが出来上がっていた。

意見がぶつかる事や、少しのハプニングもあり、時にはそんな事も起きてしまう準備期間だが、最後にはクラス皆で力を合わせて為し遂げる事が出来るオープンデー。どんな事が起きようと目標があればなんでもこなせてしまう。そして最後には皆で笑っていられる。クラスの仲間と写真を最後に撮った時、ふとそう思ったのだ。トトロの大きな傘の下で笑っているあの写真は一生私の宝物だと思った。

ビリビリ1週間。こんなにも毎日が楽しく、刺激的な日々を過ごすことはもうきっとないだろう。クラスの皆、先生、先輩。そしてこの素晴らしいイベントをあたえてくれるこの立教にとても感謝している。20171122-1

「オープンデイ」それは今まで私が楽しみにしていた行事。立教に入学する前は、劇を見たり、クラス企画を見たり、食べ物を食べたりして楽しんでいた。けれど今回の「オープンデイ」は、私たちがクラス企画を準備する側なのだ。やってみて分かったけれど、クラス企画の準備は、見るのとはまた違った楽しさがあった。前までは、できあがったものを見るのを楽しく感じていたけれど、いざ準備を始めると、作業が楽しくて、できあがったものに達成感を味わうことができて、みんなで歌いながら紙を貼って、体育館で真剣に色を塗るのが楽しかった。
でも、みんなの意見をまとめるのは難しかった。そんな時、先生が助けてくれた。だから先生方にはとても感謝している。クラスをまとめてくださり、指示を出してくださり、アドバイスをしてくださったからだ。そして当日には、音楽を流してくださった。その時、私は改めて先生方を頼もしいと思った。

オープンデイ当日、私は親から荷物を受け取った後、小5の友だちとクラス企画を見に行った。どこのクラスも見るのが楽しかった。特に高1−2組の「となりの2組」、高2−1組の「ムショ暮らしのプリズッティ」と高2−2組の「俺高校生」が楽しかった。そして、オープンデイで一番楽しみにしていた高3が作ったチーズケーキを食べた。それはとてもおいしくていくらでも食べれるくらいだった。その後は、チャリティー企画のシフトと受付をした。たいくつな時もあったが意外と楽しかった。

次のオープンデイは、小5と一緒にできないと思うけれど、それでも私は全力でがんばりたい。

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「質問をしろよ。」

おそらく、このケンブリッジのワークショップで一番聞かされた言葉だろう。僕は普段、人の話を聞き、質問をするタイプではない。きっとどこかで、いや意識して「誰かがやってくれる。」と、人任せにしていただろう。もちろん今回もそのつもりだった。

だが、そんな簡単に事は進まなかった。最初にホールに集まったときに、主催者や関係者などの人のお話があった。その後には、お話の長さぐらいの質問の時間が設けられた。あげくの果てには、「日本人が質問するまで終わらない。」と、言い出した。その時は、違う人が質問をしてくれた。しかし、僕も流石に「いつか僕に回ってくるので、次は質問を考えておこう。」と、感じていた。それは、思っていた以上に難しいものだった。普段、そういった事をやらない僕にとって、随分の難問だった。質問をするかしないかには関係なく一つ質問を作る。これを繰り返した。それからは、何回か名指しで当てられる機会や、自分から手を挙げる事もあった。正直、そういった毎日にストレスを感じていた。しかし、悪いことだけではなかった。質問を考えながら話を聞くことによって、より内容を理解しようとするため、以前よりも人の話が興味深いと感じるようになった。そして、何より英国人がたくさんいる中で自分が口にした英語が皆に理解されることでさらなる自信や嬉しさが込み上げてきた。

今まで、「質問」とは、ただ分からない事をスピーカーに聞くだけの事かと思っていた。しかしこのワークショップに参加して、それは自分がスピーカーに「私は、あなたの話を聞いていますよ。」という意思表示をしている事と同じだ、と感じることができた。それと同時に、今まで自分は質問されることが嫌いだったが、質問されるということは、僕が伝えたい事に相手が興味を示してくれている、ということだと分かった。そう考えると、その人のためにも、質問の答えがわからなくても「わからないです。」ではなく、自分の予想だけでも答えるべきだと感じるようになった。20171114-2

11月11日(土)ニューホールにて、立教英国学院創立45周年記念コンサートを行いました。
演奏する児童生徒たちは、男子は蝶ネクタイ、女子はブラウスと、いつもより華やかな出で立ちです。
日頃お世話になっている地域の方々や、保護者の皆様、卒業生や本校旧職員など、様々な方々を招き、児童生徒たちが奏でる音色に、ともに耳を傾けました。
本コンサートは5年ごとに行われます。「音楽は国境を越える」といいますが、この日のコンサートはまさしくそれを感じさせるものでした。

今年は、約半世紀に迫る本校の歴史のひとつの節目の年です。いくつかのクラスの授業で、45年前、本校がどのように始まったのかという題で話しました。また、中学3年生は歴史の授業で、この学校の歴史について調べ学習をしました。

本校は、1972年に、縣康初代校長によって創設されました。
当時の日本は高度経済成長期で、事業が拡大し、海外赴任という働き方が増えていましたが、海外における日本人向けの教育体制は整っておらず、英国には日本人学校はひとつもありませんでした。
立教大学、立教高校で働いてきた縣初代校長は、海外で活躍する多くの日本人の子供たちが、現地の学校に通い、日本のことを知らずに大人になっていくことを憂い、海外でも日本の教育を受けられるように、と本校を創設しました。

当時、イギリスは外国人のための外国人学校を認めていませんでしたが、本校がイギリス国教会に則っていることが評価され、本校は例外として設置が許可されました。校舎は、もとは資産家の館、その後はホテルとしても使用されていたところを買い取ったので、ほんの数棟しかなく、現在のような教室棟は全くありませんでした。

そこから徐々に児童生徒が増え、建物が増え、グラウンドが整備され、現在の立教英国学院の姿になりました。各建物には設立時に司教から祝福を受けた証のプレートが貼られているので、完成した年を知ることができます。中学3年生の授業では、このプレートを辿りながら本校の歴史を整理していきました。

この日コンサートが行われたニューホールもまた、創立時には無かった建物になります。今でこそ伝統となっている、皆がニューホールにそろって食事をする風景ですが、初めてそのような食事ができるようになったことを、当時の児童生徒たちはさぞ喜んだことだろうと想像できます。

このように、本校の歴史は、「異国の中の日本」の歴史でもあります。こうして現在の形まで発展し、また新たな児童生徒を迎えることができるのも、国という枠を超えた多くの人々の協力と努力があったからこそです。また、現在も多くの方々の支えによって本校は成り立っています。この日のコンサートでは、そのような皆様に音楽を通して感謝を伝えることができました。

次のコンサートは5年後、今度は半世紀の歴史とともに催されることになります。その5年後も、また10年後、20年後も、立教英国学院が皆様と変わらない絆を持ち続けていけることを願っています。

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