冬休みは夏休みに比べ短かったのもあり、あっという間に終わってしまいましたが、たくさんの友人にも出会うことができ、家族と過ごす時間も多く取ることができ、とても充実していました。

なかでも大事な思い出になったのは、年末に参加した4泊5日のスキーキャンプです。私は中学3年の時から毎年参加していますが、毎年新たな出会いがあり、学校や学年の違う友人から多くの刺激を受けています。
キャンプ中には毎日、就寝前にディボーションという時間があり、1日を振り返ったり、自分について改まって考えたりします。高校生になるとみんな真剣に取り組んでいて、私はこの時間が意外と好きです。その日は、30くらいあげられた単語の中から自分が大切にしたいと思うものを5つだけ選んで話し合いをしました。その中で、「友人」について話していた時に、1人のメンバーが言ったことがとても嬉しくて、心が温かくなりました。
私と彼女は同じスキーレッスンだったのですが、気がかりなことがひとつありました。それはある男の子のことです。キャンプではみんなでゲームをしたり、キャンプソングを歌ったりする時間があり、メンバーはこの時間が好きです。しかし、男の子は誘ってもそれに参加しようとしなかったり、リフトにも1人で乗ったりすることが多かったです。彼にとっては初めての参加だったようなのですが、あまり楽しんでいる様子が見られない子でした。しかし、4日目のディボーションで、友人の彼女が「今日楽しそうに歌っていたよ」と報告してくれたので本当に嬉しかったです。

高校生になり年下のメンバーが増え、周りを気にかける立場となりました。うまくいかないこともあるけれど、誰かの為に、ということを考えるのがこんなに嬉しいとは思いませんでした。それを教えてくれたキャンプ、メンバー、その少年との出会いに感謝したいです。

今回の休みは今までの休みの中でもトップクラスに充実した休みだったと思う。
それにはいくつかの理由があるが、一番は、サッカーをしたこと。何が良かったかというと、現地の人と本気で立教よりも高いレベルのサッカーができたということ。中3の3学期にイギリスに来て以来、周りを含め高いレベルでサッカーを一度もしていなかった。立教でもこのぐらいしっかりしたサッカーができればもっと楽しいのになと思った。この休みでサッカーに対する不満は解消できたと思う。

そこで手に入れたものは経験だけではない。新しい仲間も手にした。彼らはインターナショナルスクールに通っている、サッカーのできる日本人だった。彼らは立教生がすることのない経験をたくさんしていて、それらの話は新鮮で面白い。彼らとは何回もサッカーをした。とにかく楽しかった。何回も「もったいないな」と言われた。「もっとしっかりサッカーやっていればな」と。確かに自分でもそう思うときはある。

でも、立教で得たものもそれなりに大きい。イギリスに来て、立教に入る選択をした自分を振り返ると、サッカーより大切なものがあると思って入ったのだろうと思う。でもまだはっきりとわかっていない。それを見つけるのが3学期の課題である。

やわらかい新雪。その上をすべる私。私の前には、足を揃え上手にすべる3人。いつも私は、3人を追うので必死だ。
今回の冬休みはスキーをするためにオーストリアに行きました。一昨年はスイス、去年はイタリアだったので、初めてのオーストリアスキーでした。
家を出て車で4時間半くらいでホテルに着きました。着いたのが午後12時だったのですが、運転で疲れたはずの父が、
「今からすべるぞ。」
と言い出したのですぐにスキー場に向かいました。
雪はかたく少なく、下がガリガリで、人も多いだろう、と思っていたら、意外と人は少なく、雪は多くて気持ち良くすべることができました。けれど、父、母そして兄はとてもスキーが上手なので、先にすべっていてもいつの間にか抜かされているほど速く、その上、リフトに乗っている時とご飯の時くらいしか休憩がないので、とても足がつかれました。でも、スキーは足がつかれる、転んでどこかをうつ、などの嫌なところしかないわけではないので、続けてきました。私が好きなところはリフトからや、すべっている時に見える景色です。リフトでは、小さな川が見えて、ウサギの足跡があり、すべっていると、山や町が見えます。綺麗でそこでしか見ることのできない景色がたくさんあるので好きです。
少しコブがあるコース。その上をすべる私。私の前をすべる3人。いつか私も3人のようになりたい。

2学期はあっという間だった。少なくとも、期末テストが終わった後はそう思った。しかしフィリピンに戻ってきてからの、なかなか治ることのなかった時差ボケや、みんなの顔を見られないことへの違和感や物足りなさが、2学期の長さ、そして充実感を物語っていた。
イギリスという異郷に3ヶ月間。今思えば体力がもった私はすごい。やはり1番のイベントはオープンデイだっただろう。私はこのイベントに非常に感謝している。これを機にクラスの人たちとの仲がぐんと縮まった気がする。クラスだけではない。生徒会の仲間との距離も信じられないくらい縮まった。今でもオープンでの記憶は鮮明に頭に残っている。そんなキラキラとした青春の1ページ、一生忘れなんてしないだろう。本当に立教英国学院に来てよかった。H2-1でよかった。そう思えた学期だった。

残すところあと1年である。今までの1年はひたむきに学校生活を楽しんできた。今学期からは違う。次のステップは、明るい未来に向けての勉強だ。自分が誰にも負けない自信と誇りをもって大学生活を楽しめるように、できる限りのことをしていかなければならない。
悲しさで涙が出そうだが、今学期には生徒会の活動も終わってしまう。生徒会を軸に回っていた私の学院生活。また新しい目標をしっかり見つけなければいけない。意義のある3学期を送るために。そして、未来への一方踏み出すためにも。

冬休みを終えて、またこの立教英国学院に帰ってきた。そこには先学期まで赤ネクタイをつけていた高3の先輩たちの姿はなかった。寂しさや味気なさを感じると同時に、僕らH2にはプレッシャーが重くのしかかってきた。

3学期はどの学年においても個々の意識の転換が求められる時期であると僕は思っている。特に僕らH2にとっては。先学期まで学校を引っ張ってくれていた先輩たちはもうここにはいない。これから僕らH2がこの学校の中心となっていかなければならないのだ。そんな状況の中で先学期までと同じ意識の持ち方のままではいけない。自分たちが最高学年でありこの学校の中心なるということに対する責任感を持ちながら生活していかなければいけないと思う。

大学受験まで約1年となった今こそ、意識を切り替えるのには良い時期だと思う。H2がしっかりとやっていれば、他の学年の生徒たちも自然としっかりしてくる。裏を返せば、僕らがしっかりしていなければ、学校全体がたるんでしまう。

1年後、僕らが卒業するときに、他の学年の生徒たちや先生たちに、よい学年だったと思ってもらえるような最高学年になるために、意識を切り替えていこうと思う。

冬本番の冷たい風が流れる1月7日、3学期始業礼拝を執り行いました。
高校3年生と中学3年生の受験生を除いた生徒たちだけでのスタートです。

尊敬する先輩たちがいないことの心細さもありますが、在校生にとっての3学期は、1学年上の学年に進むための準備という重要な学期でもあります。
高校2年生から新たに、アコライト、聖歌指導、テーブルマスターが任命されました。どれも先学期まで高校3年生が担っていた、学校生活を支える重要な仕事です。
アコライトに任命された生徒たちは、さっそくこの始業礼拝で、堂々とした働きを見せてくれました。彼らの姿を見て、頼もしく思いました。1年間、しっかり責任を全うしてほしいと思います。

また、今学期は新たに1名の生徒が入学し、また3名のイギリス人の先生が就任しました。
3学期は8週間と非常に短い学期ですが、かるた大会、合唱コンクール、アウティング、生徒会選挙と学校行事が目白押しです。それらをひとつずつ経験していくと、あっという間に期末試験です。

この3学期を通して、友人たちとの関係がより強固なものとなり、また勉強や学校生活でさらなる成長がみられることをとても楽しみにしています。

「おせちって、どんな意味があるのかな。」
おせちを食べていて、ふと思ったことを家族に聞いてみた。家族は首をかしげて、
「そういえば、伝統的な食べ物なのに意味を考えたことがなかったね。」
と言いました。食事を終えてから、みんなでおせちのことを調べてみると、たくさんの意味や由来があってびっくりしました。

おせち料理は、お正月に食べるお祝いの料理で、「めでたさを重ねる」という意味があり重箱に詰められます。数の子は、卵の数が多いため「子孫繁栄」を願うため。田作りという片口イワシは、昔、このイワシを農作物の肥料として使った田畑が豊作になったことから「五穀豊穣」を願います。甘くておいしい伊達巻は、巻物に似ているため、知識が増えるように。昆布巻きは、「よろこぶ」に通じるとして縁起が良いとされています。

この他にもたくさんの意味やルールがありました。私は、今まで日本の文化や習慣について深く考えず、過ごしてきました。イギリスにある立教に通うようになり、イギリス人と交流するチャンスが多くありましたが、日本人はおりがみや書道、茶道がみんなでき、知っているものと思われているように感じました。私は、鶴も折れないし、書き初めも今年初めてやりました。
私は、立教でイギリスの文化や習慣を学ぶことが大切だと思っていました。そのためには、まず自分の国、日本の文化などを見直し、わかるようにしていきたいです。そして、イギリス人と交流する時に日本文化を発信できるようにしていきたいです。

今思い返してみれば約3ヶ月は本当にあっという間だったと思います。これからまた学校生活が始まるのかと憂鬱な気分で車に乗り込んだ日をつい数日前のことのように思います。

この学校に入ってきてからちょうど1年が経ち、2週目になって少し慣れてきて余裕が出るようになってきました。高い授業料の元を少しでも取るために、毎日のように数学の先生の下へ通い続けました。期末近くになってくると皆が先生の周りに集まってくるので、コンピューターのテーブルを高2理系メンバーで囲んでみんなで勉強していたのは意外と楽しいものでした。

先学期の反省から、今学期は理系数学をできるようにしようと目標を立てて臨んでみたけれど、基礎的なことですらも理解できずみんなにも馬鹿にされる始末。それでも何度も何度も先生に質問してだんだん解けなかった問題が解けるようになっていった喜びは、おそらくどの科目よりも大きいものだったと思います。夏休みは少し躊躇してしまったけれど、冬休みはは先生にたくさんメールして、しっかり勉強できるようにしたいと思います。

また、来学期は英検準1級を受けることになってしまったので、1週間のクルーズ旅行中にイタリア語とフランス語と英語をたくさん聞いて、語学力向上に努めたいです。勉強と遊びを両立させて有意義な冬休みを過ごしたいと思います。

「チリンチリン」
そう、これが与えられた仕事だ。毎朝、みんなより早く起きてすべてのドミトリーの電気をつけ、みんな起こすというもの。
高1の入学したての頃、朝にこの鐘の音を聞いた時はびっくりした。学期の最初の頃はすんなり起きることができるけれど、期末が近くなってくると、もはやこの鐘の音は不愉快なものにしか感じなくなってくる。このことを知っているので、高3のドミトリーに鐘を鳴らしに行く時は、できるだけ音を小さくしてあげている。
理由は2つある。あまりうるさく鳴らすとクレームがくるからだ。でも、これが仕事だからクレームを言うなら先生に言って欲しい、というのが本音だ。もう1つの理由は、高3の人は受験勉強でストレスが溜まっているだろうから、少しでもストレスをかけないようにするためだ。

こんな感じでわかるように、当直にはただ早く起きなければならいけないプレッシャーがあるだけでなく、いかに高3を優しく起こさなければいけないかという2つのプレッシャーがある。だからあまり3階に鐘を鳴らしに行きたくはない。

最初は正直朝早く起きるのが大変だと思っていたけれど、今はやりがいがある。

高1の2学期、バスケットボール部の最後の試合が終わり先輩たちが引退した。自分はその試合に出られなかった。理由は単純、下手だったから。
僕は立教に入って初めてバスケットボールをした。今までバスケットボールなんてしたことはなかったし、体育でも避けていたほどだった。しかも同じ学年の2人はゴリゴリの経験者で、実力差は天と地ほどあった。そんなこともあってあまり部活に顔を出さなくなってしまった。まともに顔を出すようになったのは3学期になってからで、もちろん試合に出してくれるはずもなかった。
最後の試合の後、先輩に「お前はセンスがあるのにもったいない。もっと練習にくればよかったのに」と言われた。少し嬉しかったけど、それ以上に悔しかった。

それ以来、休みの間もひたすら練習した。夏休みなんかは特に。1日5時間ぐらいはしていたと思う。それだけ練習したおかげで、少しは上達してレギュラーとして試合に出られるようになった。でもいざ出てみると緊張で体が全く思うように動かなかった。結局試合にもあまり勝てなかった。本当に悔しかった。夏休み中や2学期の間も、怠けずにしっかり練習したからこその悔しさを感じた。来学期は絶対に勝ちたいと心から思った。冬休みは勉強で忙しくなってしまうと思うが、毎日バスケットボールもできたらいいなと思っている。

今までバスケットボールに興味もなかった自分がこれだけ熱中できたのも、すべて今学期卒業する先輩たちのおかげなので、それに応えられるよう練習をし続けようと思う。

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