5日目の7月26日(水)、この日はこのサマープログラムのメインの日。Grand Challenge Workshopと題され、午後一杯をつかって大掛かりなワークショップを行います。この成果は、金曜日に行われる公開シンポジウムの一部で発表の機会を与えられます。今年のワークショップのテーマは、『Entrepreneurship』−ずばり『起業』なのです。

午前中はUCL内のかんたんなツアーが行われ、大学内を案内してもらいました。教授による1時間のショート・レクチャーも受けています。
午後は広々としたクラスルームで、いよいよGrand Challenge Workshop。はじめにかんたんなIcebreakingを行うと、社会事業についてのレクチャーを受けました。UCLで学ぶ日本人学生の方を通じて、実際に取り組んだプロジェクト例も紹介。ワークシート式に個人の考えをまとめていきます。このシートがなかなか構築的。尊敬する人、自分の得意科目、自分の人生で大切なこと、人生を送っていてアンフェアだと思うこと、難しいと思うこと…といったやや遠いところから簡単な段階を経て、何かを変えたいと思うか、社会で気になることトップ3、へとつながっていきます。このシートを通じて、一度グループ内で意見交換。彼らの考えていることをお互いに質問したり、意見を言ったりして広げて行きます。もちろん英語で。といってもなかなかスムースにはいかないので日本語で相談したり、英語でもう一度説明してもらったり、ファシリテイターの方にうまく牽引してもらって、それでも総合的には英語できちんと話し合います。ここで一度発表。

ティーブレイクを挟んで、気になるテーマごとにグループを組み替えて、再度ディスカッション。樹形図式に必要な要素を展開していって、社会事業として起こしてゆくアイディアを考えてゆきました。最後に事業の名前をつけて、主旨を明らかにして、独自のアイディアを発表。事業内容の素晴らしさよりも、ディスカッションを通じて様々な考えに耳を傾け、失敗を恐れず、協力し合ってアイディアを出してゆく取り組みを大切にしています。

翌日は午前中に英語のレッスンと教授によるショート・レクチャーの時間があった後、午後はCanary Wharfの金融街を訪問し、研究者や起業した方などのEntrepreneurshipのレクチャーを4つ受けました。その中では実際の起業プロジェクト例や、起業に必要なこと、危険性、精神などの基礎も学ぶことになりました。

4日目の7月25日(火)、朝にケンブリッジを発ってロンドンに移動して来ました。University College London(UCL)に場所をうつし、UCLの先生方によるワークショップや講義が始まります。
25日(火)はUCLに到着して昼食を摂ったのち、UCLの先生によってワークショップが行われました。今回のUCLサマープログラムのテーマの1つは、「夏目漱石とロンドン」です。事前に宿題で簡単な学習もしていましたが、ワークショップで漱石に関する簡単なレクチャーがあり、彼がロンドンになじめなかったことも紹介されました。これを取っ掛かりにして「イギリスと日本の印象」をテーマが示され、日英高校生7人程度ずつのグループでディスカッションを行い、それぞれの自由な表現方法で最後に発表をします。ショート・ドラマの方法ととったグループもあり、紙を使ってポスターセッションを行ったグループもあり、紙で提示しながら小道具を使って示すグループもありました。日本からの高校生たちも英語をがんばって実践。ディスカッションや互いの協力、表現方法の考案、練習、そしてリーダーシップの発揮と役割分担の作業が英語を通じて短い時間の中で行われ、一見シンプルな取り組みのように見えて、ぐっと中身の濃い時間になりました。

午後は、UCLの教授によって夏目漱石とシェークスピアを比較するレクチャー・タイム。この催しは一般にも公開されて行われたものです。明治から大正という時代に、日本で新劇を通じて海外からのお芝居が導入され、シェークスピアが日本にも上陸していました。同時代に日本で存在したシェークスピアと漱石。なかなか意外な視点です。
このレクチャーのあとに、松山から参加している高校生たちによって、夏目漱石についてのプレゼンテーションも行われました。きっと何度も練習したのでしょう。聴衆をまっすぐに見て、にこにこと笑顔で、そして英語ではきはきと発表する彼らは、とても魅力的で、誰もが身を乗り出して耳を傾けていました。このプレゼンテーションの姿が参加の高校生たちにとって、後半のプログラムへの刺激になってゆくのでしょう。
この催しのあとには、岩波書店が新装版としてつくりあげた夏目漱石全集がUCLの図書館に寄贈されることを祝して小さなレセプションが持たれました。高校生達も、ちょっと大人の行事に参加です。挨拶や贈呈式のあと、ソフトドリンクとおつまみで様々な方とお話しする体験を持ちました。金曜日にはもっと大きなレセプションが行われます。英国では、16〜17歳の年代になると大人としての振る舞いを少しずつ学んでゆきます。その精神がこのサマープログラムに表れていました。

7月24日。月曜日になって、いよいよUCL-JAPAN Youth Challenge 2017のプログラムが本格的に始まりました。昨夜はケンブリッジの大学寮に泊まり、少しケンブリッジの学生気分を味わったところ。今日は朝から夕方までたっぷり特別講義の一日です。
講義とといっても、授業のようなものではありません。ケンブリッジ大学で活躍される研究者の方々がそれぞれに、自分の研究と軌跡を、英国人・日本人高校生の私たちのためにして下さいます。それぞれ1時間弱ずつで、講義のあとは質問タイムも持たれました。午前中に2講義、ケンブリッジ大学の図書館を少し見学して、午後に3つの講義です。

午前中は、ナノテクノロジー技術と将来的なエネルギー技術について、そして宇宙像についての講義となり、奇しくも『小さな世界』と『大きな世界』のレクチャーの面白さが際立ちました。なかなかに難解でしたが、難解な分野の中にも、自分自身に理解できない技術によって生活が成り立っていることに思いを馳せることになりましたし、取り上げられた星雲などの画像は技術の発達を示す美しい画像であることにまちがいはなく、肉眼で見える画像とフィルターを通して美しさを増した画像が並び、非常に興味をひかれました。

午後のレクチャーのメインは、ジョン・ガードン博士です。ガードン博士は2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した科学者で、このとき日本の山中伸弥教授が共同受賞しています。ガードン博士のレクチャーはカエルの体細胞核移植の研究についてのもので、非常に高度なものでありながら、高校生の知識にある発生の基礎から分かりやすく進められました。なんといっても冒頭で、「I have a bad experience…」の一言で、中学生時代の生物の成績評価をとりあげ、聴衆の私たちの気持ちをぐっとつかんでしまいました。それは、「科学者になるなんて馬鹿げている。こんな簡単な生物も理解できないのならば、スペシャリストにはなれない。時間の無駄だ。」とコメント受けたことだったのです。更に、核移植によって生まれた最初のカエルや、核を除いてドナーの核を移植する様子などが写真や画像を用いて豊富に示され、理系・文系という区分がナンセンスに思えるほど、分かりやすく面白みの強いものでした。
続いて、ロボット工学、製剤会社についての2つのレクチャーも非常に最先端性の強いものだったのですが、博士たちの聴衆を巻き込んだレクチャーはあまりにも巧みで、大きな面白さを与えてくれました。
夜はケンブリッジ大学に留学している日本人学生や研究者の方とパネル・ディスカッションが行われました。

 今年もUCLをメイン会場とした日英高校生のためのサマープログラムがスタートしました。
このプログラムは、2015年にスタートしたもので、今年は第3回目の開催になります。開催の契機は、今から約150年前のペリー来航ののち、長州藩と薩摩藩から英国へひそかにわたった人々が、University College London(UCL)で学んだことにあります。ペリーの来航と日本の開国から150周年にあたる2013年、彼らの偉業を祝福する様々な催しが行われました。そして、その集大成として将来グローバルに活躍する人材を育てるため、日英の優秀な高校生を集めて、主にUCLでサマープログラムを開催しています。

今年は7月21日(金)に参加者が英国に到着し、立教英国学院で二泊。22日(土)に自己紹介や交流のアクティビティを行い、23日(日)にはケンブリッジに移動しました。
朝の出発時には快晴だった英国の天気は、ケンブリッジに到着すると大雨。小グループに分かれてケンブリッジの街で昼食を摂っていると、青空が広がってきました。ケム川でパンティング(舟遊び)をする頃には、水面がきらきら光って、気持ちのよい天気に。滞在するコレッジ(大学寮)の庭も、雨を含んでしっとりと美しい佇まいを見せてくれました。
この2日間は体調を整えながら、お互いに親交を深め、英国を少しずつ見てきました。いよいよ明日から本格的なプログラムがスタートします!

His Excellency Mr Koji Tsuruoka, Ambassador of Japan to the United Kingdom
Rt Rev Mark Sowerby, Bishop of Horsham
Cllr Peter Burgess, Vice Chairman of Horsham District Council,
Honoured Guests, teachers, parents, students and friends of Rikkyo School

I should like to thank you all for joining us today to help celebrate this important milestone in Rikkyo School’s history. I should especially like to thank those who have flown from Japan for this occasion. It is lovely to see so many people, who always support us!
We are honoured to have the presence of the Ambassador of Japan to the United Kingdom, the Bishop of Horsham, the Vice Chairman of Horsham District Council, the Senior Vice President of Rikkyo University, Secretary of Japanese School LTD, Rev Martin King, Rev Ian Maslin, among others.

I am afraid we don’t have enough space at the front for all the important guests so my apologies if I’ve missed any!

Thirty years ago, I came to Rikkyo School as a new math teacher just after my graduation from the University in Japan. I didn’t have much information about Rikkyo School because there was no internet or website at that time. The only information I had was a flyer which I had found on the notice board at my University saying Rikkyo School was looking for some math teachers and I could see the beautiful picture of the main building on it. After 26 hours flight from Japan to the UK, my unexpected life in Rikkyo School had begun. On the way to Rikkyo School from the air port, the former Head Master, Mr Usuki took me to the school from Heathrow Air port. I could see beautiful green hills and pastures and many more sheep than the people of this country. I could also see the lovely houses and cottages with nice gardens. Narrow winding roads, woods and streams. It was my first memory of this country. It’s been absolutely the most fantastic scenery in my life. It was the beginning of my days abroad for the first time and I was so young. It was the 15th anniversary year for the Rikkyo School.

There might be critical moments in your life which lead you to somewhere beyond your expectation or imagination. I had taught for 3 years at Rikkyo School. There were over 300 students at that time. There were some extra tables needed on the stage of the new hall. The school was filled with lots of energy. I could feel it. And also it was the era when Japan’s economy was booming. Rikkyo School was growing as well in a support and acceptance from the people of this area. Most of the school traditions were established at that time. Not only were the students young- we all were!

Time flies. There had always been the strong memory of Rikkyo School in my mind. I came back again 2014 to Rikkyo School after being a teacher in Japan for 24 years.

I found some changes but most of the ways of the school were still kept going. The biggest change was that the school had lots of students coming from Japan directly. Modernization of the information technology helps us easily to make contact with people all over the world. Students can email to their family easily. The school website offers lots of information to parents, expected students and new applicants for teaching or other staff. So it doesn’t matter where you live. You have to know another culture and live together as members of the world. This is the era in which we live now. We keep changing for the sake of students who make our future of the world. I would like Rikkyo School combine both the Japanese way and British way instead of being just the Japanese way or the British way. We have to keep listening to the voices from outside so that we are not isolated.

However things change with the demands of time, there should be something very important which makes the school RIKKYO School. The one thing not being changed is the atmosphere of the school. The quiet moments in the morning services, three times for school meals with all students. And the most important thing is the energy the school is filled with. I had once strongly felt it thirty years ago. The energy might come from the passion of students who come here very far from their home to learn something very special by living in the UK. It also might come from enthusiasm of the teachers and staff. It might come from the love of our supporters in the area and from parents.

I would like to say a big thank to all our supporters, parents, teachers and staffs at this great moment in the school’s history. And I do hope that the days of the Rikkyo School in England will be special moments for all our student’s lives.

Thank you.

1972年に在外教育施設としてヨーロッパに設立されてから45年目を迎え、7月8日(土)45周年記念感謝並びに終業礼拝を、ホーシャムのサウアビー主教の司式、地元ラジウィック教会のキング司祭、隣村のクランレイ教会のマスリン司祭の補佐で執り行うことができました。

多くの方にご参列いただき、鶴岡駐英国特命全権大使、地元ホーシャム市議会副議長のバージス氏、立教大学統括副総長の白石氏よりご祝辞をいただきました。また、本校理事の柏樹氏には、英語科のReading Marathon、国語科の漢字書き取りコンクールの表彰をしていただきました。

厳粛な式典の後は、リラックスした雰囲気の中、ホールでのランチョン・タイムとなり、生徒のピアノ演奏や歌と共に食事や歓談を楽しみました。

午後は、空港に向かう生徒、家族の迎えの車に乗り込むロンドン周辺の生徒、ホストファミリーの車に乗り込みホームステイに向かう生徒、高校3年生で夏期補習に参加する生徒、ケンブリッジ大学で行われるサイエンス・ワークショップやUCLで行われる英国教育プログラムに参加するために学校にに残る生徒など、それぞれに分かれました。84日間に及ぶ1学期を終えて区切りを付け、普段できない新たなことを始める期待感からか、皆嬉しそうでした。

9月18日(月・祝)に行われる下記の合同説明会に本校も参加いたします。

9月18日(月・祝)
11:00 – 15:30 NPO塾全協 私立中高進学相談会
(場所:新宿西口 新宿NSビル B1 展示ホール)
10:00 – 16:00 開成進学フェア
(場所:大阪 マイドームおおさか)
本校に関心のある方はぜひご参加ください。
その他、学校説明会・進学フェア等についての詳細はこちらをご覧下さい。

私はこの春、新入生として立教英国学院に入学しました。この学校を志望した理由の1つに、大家族としての生活があります。初めての生活では親と離れて暮らす事はもちろんですが、それ以上に友達と24時間一緒であるという事の方が不安が大きかったように思います。

もちろんとても楽しみでもありました。1学期間の学校生活を得て、自分自身に良い変化があり成長できたと思います。

私はもともと自分の思ってることを友達に打ち明けることが苦手でした。友達とは楽しい話をしたり趣味の話をするのがとても好きで、悩みや辛いことを相談したり、友人の前で泣いたりするのには抵抗がありました。人に自分の弱さを見せるの恥ずかしいことと思っていたので、何かあったときには親にもあまり相談せず、自分で解決することの方がが多かったです。

最近はその考え方が変わってきました。今自分自身困っていませんが、もし何かあったら友達に相談してみようと思います。寝食を共にすることで、ただのクラスメートではなくて、朝から寝るまでを知っている家族に近い存在ができたと思います。

また、人をその人の一部だけで決めつけてはいけないこともよくわかりました。少し苦手だなと思う部分があっても、悪いところばかりではなくてその人にもいいところがあり、一緒に生活しているうちに楽しくて一緒に笑ってしまうようになれると思います。

(高等部 女子)2017T1essay-yamada2

中学3年生の歴史の授業で、戦時下の日本の様子を学習するために「うしろの正面だあれ」という映画を皆で観ました。この映画は、海老名香葉子さんの戦争体験をもとにしたアニメ映画です。戦争に関する授業をするとき、当然時代背景や戦争が起きた理由、戦争の経過について学習しますが、それだけでは、なかなか戦争を自分に関わりがあることとして捉えるのは難しいものです。そこで、行う授業の内容を踏まえてこの映画を観ることにしました。自分たちよりもはるかに年下である当時の香葉子さんが、戦争と東京大空襲によって家族を失いながら、それでも立ち直って進んでいく様子を観て、皆どのように感じたのでしょうか。以下に各生徒が授業後に書いた作文の一部を紹介します。

私は、戦争は本当に大変なんだと深く痛感しました。
特に印象に残ったところは、最後の授業の中盤に東京が空襲にみまわれ、家族が死んでしまったという兄からの知らせを受け取るシーンでした。ただ死んでしまっただけでもつらいのに、自分だけが生き残ってしまったことを伝えに妹の疎開先に向かう兄の気持ちを考えるといたたまれません。今の平和な生活があるのは昔の人が頑張ったからだと思います。ただ悲しいだけでなく、それを次に生かして互いに助け合える香葉子はほんとうに素晴らしい人だと思いました。(女子)

戦争が皆にしたことを改めて実感しました。戦争前は家族みんなが仲良く、幸せに生活していました。
しかし戦争が始まってからは、戦争に勝つために、自分のものを捧げました。そして子供は親から離れて疎開し、寂しい思いをしました。3月9日の東京大空襲では、罪のない沢山の人が被害にあいました。それはとても残酷なことだと思います。このような戦争をもう二度としてはいけないと思います。(女子)

私はこの映画を見て、第二次世界大戦の悲惨さを改めて思い知りました。一番心に残ったのは、香葉子に喜三郎が、他の家族がみんな亡くなったと告げる最後のシーンです。喜三郎が自分が何で生きてるのだろうと言い、泣くシーンです。戦時中の豊かでない生活のなかで、全ての国のために尽くすという事は苦しいし悲しいと思うので、今もそして未来も戦争はしてほしくないと改めて思いました。(女子)

私は、 戦争を題材にした映画などを見るといつも思うことがあります。 大切な家族や家、大切なおもちゃまで奪われたにもかかわらずあんな結果になってしまうことはとても悲しく辛いことです。 だから戦争は絶対してはいけないことだと思います。今、私たちのまわりには住む場所や家族や友達がいます。それを当たり前のことと思わず、今あるこの環境を大切にしていきたいと思いました。(女子)

私はこの映画を見て多くの事を学びました。香葉子が疎開していく時、みんなの前で歌った歌はアメリカの歌なので皆がざわめきましたが、それを気にせず一緒に歌ってくれたお母さんの優しさがすごく心に残っています。現代の戦争は国民一人ひとりから見てもすごく怖いものだと言うことがわかりました。私はこの映画を見る前は戦争しても良いのではないかと思っていましたが、今は戦争は二度と起こしてはならないと思います。(女子)

僕はこの映画を見て戦争の辛さを感じた。香葉子が友達と遊んでいる平和な時代から、一気に戦争になっていくのがとても悲しかった。生活用品を戦争のために全部費やすのも初めて知り、第二次世界大戦において不利な立場にいたのだとわかった。たくさんの犠牲を出しても勝てなかったのは悲しいけれど、そこから反省したおかげで今の平和な日本があるのだと思った。(男子)

戦争によって多くの命が奪われ、子供から親を奪ったのでやはり戦争していけないと思いました。人間の命を軽く見てはいけないし、国民やすべてのものを捧げてまで勝つ必要があったのかなと疑問に思いました。(女子)

戦争中を必死で生きていた人たちだからこそ、その人たちに語られる戦争の体験談は、私たちの時代にも必要だと感じました。(女子)

授業で戦争の背景を学んでからこの映画を見たことで、イメージしやすくなり、戦争について考えることができました。もし自分がその状況にいたらと考えるととても怖いし、自分がどれだけ恵まれているのかを改めて強く感じました。(女子)

夢というものは実に不確かで、掴んだと思っても、手の中に残しておく事は大変難しいものだ。
寒い。冬の朝の冷たい空気によって、無理矢理に意識が現実へと引き摺り戻される。
寝ているうちに勝手に布団から飛び出た足は、うっかりと一晩を外で過ごし、凍えながらも温い布団の中に戻ってきた。
もう一度、あの心地の良いまどろみの中へと沈んでゆきたい。そう、強く思うのを必死に堪えながらもゆっくりと、まずは上半身から起こしていく。
しぼんだ目を擦りながら、辺りを見回す。
「ああ、そうか」
自分が今居る場所は、無駄にバネが強くて、少しゴツゴツとしていて決して寝心地が良いとは言えないベッドではなく、柔らかく体に馴染んだ敷き布団である事。そして、周りは僕の知っている家具で彩られている事。更に、目覚めても自分しか居ないという事。
頭では、分かっていたつもりだ。ここは立教英国学院の男子ドミトリーではなく、自分の家である事くらいは。
心の中にがっぽりと大きな穴が開いているみたいだ。
さっきまで、楽しい夢をみていたのだろうか? なんだか少し物悲しい気分で、また同じ夢をみたいと強く思っている。
しかし、いくら思い出そうとしてみても、断片でさえも手から零れ落ちるように、思い浮かばず、意識の覚醒と共に消えていってしまう。
不意に、頭の中を井伏鱒二の”山椒魚”の一節がよぎった。
山椒魚は目を瞑り、深淵の中にその身を委ねながらつぶやく。
「ああ寒いほど独りぽっちだ!」
布団の中からのそのそと抜け出し、クローゼットを開けて、適当にズボンとTシャツを引っ張り出し、ダラダラと着替えを始める。
立教英国に居る皆は今、どうしているのだろうか?
僕は高校受験の為、三学期は学校には行かずに、そのまま日本に残ることになった。独りで過ごす時間が増えたせいか、たまに、クラスメイトの事が気になってしまう時がある。そういう時、僕は皆が自分の知らない時間を歩んでいると言うことがたまらないほどに悔しく、恐ろしく感じてしまう。
けれども、今の自分はどうしようもなく、完璧なまでに独りだ。
洗面所に行き、軽く歯を磨いてから少し遅めの朝食をとった。作り置きの不恰好なおにぎりの横には、母の自分では「達筆なのだ」と言い張る、丸みを帯びたよく読めない字で、手紙が一枚添えられていた。
おにぎりを頬張る傍ら、手紙に目を通していると、「受験しようと思った君は偉い」だの、「毎日良くがんばっている」、などといった僕を褒め倒す様な、綺麗な言葉が綴られているのが見える。
口の中のおにぎりが、急に冷たく感じた。

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