新学期が始まり早一ヶ月が過ぎようとしている。
全校で盛り上がる球技大会が終わり、地元のイギリス人の方々を招いて日本文化を紹介するJapanese Eveningも終わった。そして息つく暇もなく次の行事、Guilford Shoppingがあった。生徒会が主催するこのイベント、昼食前から数台のコーチに分乗してGuildfordという地元の大きな町に行って思い思いの半日を過ごす。企画・運営する生徒会役員達にとっては少々準備が忙しくはあったものの、他の生徒達にとっては大きな息抜き、これまで目一杯頑張ってきたご褒美とも言えるイベントだ。受験勉強を本格的に始めた高校3年生の一部と数名の生徒を除くほとんどの生徒が参加した。

午前中の肌寒い曇り空は、コーチが町に着く頃にはポカポカ陽気の絶好のショッピング日和になった。気持ちのいい日曜日の午後とあって、地元の人たちが大勢町に溢れる中、立教生がいい感じにそれに溶け込み、楽しそうな笑顔で闊歩するのはなかなかいい風景だ。小学生は担任の先生が付き添って初めての大きな町でのショッピングにどこかウキウキ。クラスみんなで食事をしたりお店を見たり… 行く先々で中学生や高校生の先輩達と出会って笑顔で挨拶を交わしていた。いつもの制服姿ではない生徒たちの姿はどこか新鮮でとても幸せそうだった。
今週はスクールショップの代わりにこの町で1週間分のおやつを購入する。いつもと違う種類のお菓子を探したり、学校では購入できない文房具を見つけたり、そしてちょっと目新しい遊び道具を手に入れたりもできる。お洒落なカフェで友達と一緒に食事やお茶が出来たりするのもまた格別だった。

気がつけばあっという間に集合時間、コーチに揺られて学校に戻ると午後4時を過ぎていた。でもまだ日は高い。いつの間にかすっかり日が長くなった。午前中のあの寒空はどこへやら、少し汗ばむほどの陽気がキャンパスを包み、帰校早々体育館やテニスコートでスポーツを始める生徒達もいた。キャンパスのあちこちでは今日買ってきたボールやフリスビーで遊ぶ生徒たちもいた。ハーフタームの中間休みまであと3週間。その前にしっかりリフレッシュができたショッピングだった。

4月22日土曜日、気持ちの良い青空のもと、立教英国学院では球技大会が開催されました。児童生徒たちはこの日までそれぞれの競技ごとに一生懸命練習してきました。また新入生にとってはこれが初めての学校行事とあって、皆気合は十分です。今年はオレンジチームとバイオレットチームの二色で戦いました。
バスケットボール、バレーボール、ネットボール、サッカー、ドッジボール、ポートボール、キックベース、ソフトボールの各競技戦では、選手たちが練習の成果を見せようと激戦を繰り広げ、抱き合いながら歓喜の声を上げたり、皆で悔し涙を浮かべたり、様々なドラマが生まれました。午前の全体競技、綱引きや応援合戦などでも、それぞれのチームが力を合わせて頑張りました。結果はオレンジチームの勝利となりましたが、どちらのチームも一丸となって戦い、どの生徒も最後までやり切ったという清々しい顔で閉会式を終えることができました。
この球技大会を通して、学年・男女を超えた交流が更に深まったことでしょう。新入生も一気に学校に馴染んだように思えます。この日の経験を糧に、これからの一年を充実した楽しいものにしていってほしいと思います。

4月16日の午後、毎年恒例のブルーベル散策に出かけました。ブルーベルは森に自生する紫色の小さな花でイギリスに春の訪れを知らせる花です。日本で言うならば桜というところでしょうか。入学礼拝後の
最初の行事であるこの散策には、小学生から高校生までそろって一緒に出かけます。森の中を通っていくため長袖長ズボンという歩きやすい服装に着替え、点呼を取ったら出発です。

少しだけ寒い春の日でしたが、教室を離れての散歩に気持ちはうきうきします。息を弾ませながら一心に歩く者、友達との会話に夢中になる者、美しい風景を写真に収めようとシャッターを切る者。皆、各々の散策を楽しんでいます。ブルーベルのぽつぽつと咲くフットパスを30分ほど歩いて行くと一面にブルーベルが広がります。紫の柔らかな絨毯を敷き詰めたような景色に「わあ、きれい」と思わず声が上がって後、イギリスの春をしんと見つめました。心地よい風に鳥のさえずり。出発時には曇っていた空も、気がつくとすっかり晴れ上がっていました。

高揚感と軽い疲労を伴う帰り道、クラスの仲間たちともさらに打ち解けて明るい声が響きます。鮮やかな春の光景をそれぞれの心に刻む1日となりました。

中1では4月から、Oxford Owlシリーズの絵本を使い、iPadの英語の絵本の音読練習を行ってきました。2~3学期も、中1の英語学習の基礎として、音読を続けています。英語学習の習得具合、また資格試験の合格状況を見て、2学期には音読学習を卒業し、iPadで文法練習に移った生徒もいます。文法練習には、iPadの文法練習ソフト(British Council提供)を使っています。

3学期に入り、クラスで、英語でニュースを見ることも始めました。題材は、BBCニュース(英国の国営放送)。BBCは『CBBC』という子供向けチャンネルを持っており、このチャンネルでは子供向けのニュース『Newsround』を放送しています。Newsroundは、朝・昼・夕方の3回放送。5分の短いニュースです。iPlayerを通して視聴できますので、夕方のニュース番組をダウンロードして、夜のホームルームの後に出来るだけ毎日見ています。

Newsroundのほかに、BBC天気予報の番組も見るようになりました。天気予報は大人向けですが、毎日同じテーマで、同じような単語を使い回すので、予報図と一緒に繰り返し聞いていると、だんだん表現や意味が分かってくるという、ちょうどよい題材です。さらに、大人向けのBBC NEWSのある時に見ています。

英語学習の一環なのですが、予想以上に中1の子供たちは毎日楽しみにしていて、見たい見たいと大騒ぎ。見ている間も、あれこれ感想や知っていることを話題にして交換し合うので、5分のニュースをうっかり聞き逃してしまわないよう、「静かに!」「聞こえないよ~」と何度も声がかかります。天気予報も役に立つので便利。週末に雪が降ることも、来週気温が上がることも、木曜日に嵐が来ることも、中1の子供たちはBBC天気予報を見ることで、知っていました。Sunny Spell、Galeなどイギリスの日常的なお天気用語も少しずつ入ってきて、なかなか楽しいテレビ観賞です。

遠藤周作の『沈黙』がスコセッシ監督によって映画化され、日本でも、イギリスでも公開され話題となっています。江戸時代のキリシタン弾圧という限界状況を通して、遠藤周作自身の信仰を描くという小説です。
この『沈黙』の舞台である長崎とその西百キロに浮かぶ五島列島へと、以前私が牧師をしていた教会の信徒の方たちと巡礼に行ったことがあります。
戦国時代や江戸時代だけではなく、幕末から明治にかけても、キリスト教迫害の歴史が日本にはあります。明治の始めに、長崎の浦上のクリスチャン、約三千四百人は全国約二十箇所に連れて行かれ、六百十三名が殉教しました。たった百五十年ほど前のことです。

長崎から西へ約百キロ離れた五島列島からは、そう簡単に全国各地に連れて行くことができません。そこで、同じ島内で、同じ島民によって迫害が始まったのです。
ひどい牢ですと、たった六坪に二百人が押し込まれて衰弱死をしました。拷問で殺された人も数多くいました。
クリスチャンだから殺してもいいという理由で、刀の試し斬りのため、夜中に家に押し入られ、妊娠している女性も含めて六名が切り捨てられたということもあります。
明治の二十年頃、ある司祭が臨終の信徒を看取るため、嵐の中十一人の若い信徒達と共に小舟で長崎本土から戻る途中に遭難してしまいます。助けに来た島の男達が船に乗り込むのですが、船には新しい聖堂を建てる資金がありました。そのお金のために、司祭含む十二人のクリスチャンは殺されたのです。
これが何故わかったかというと、助けに来た男達の中に一人のクリスチャンがいたのです。彼は周りが怖くて止めることができず、司祭たちを見捨てたのでした。それは彼が臨終の時に、いてもたってもいられず告白したことによってわかった事実です。

これらのエピソードはガイドブックや文献の中には余り描かれていません。というのは、これが同じ島の中でたった百五十年ほど前に起こった出来事だからです。
加害者と被害者と傍観者に、逃げ場がないのです。ずっと顔を合わさなければいけない、それが島の環境なのです。
そこにはどれほどの葛藤があることでしょうか。加害者側は、罪意識を持つかもしれません。あるいは、かえって差別意識を持つかもしれません。被害者側も、彼らを赦せないままかもしれません。何十年経った後でも、殺した子孫と殺された子孫が同じ島の中に、逃げ場のない島の中で生活しているのです。

長崎のクリスチャンたちは、様々な時代において何を待ち望みながら、祈っていたのでしょうか。
それは自由です。一つは信仰の自由があるでしょう。もう迫害されない、いじめられないという安心、平和という自由でもあります。それをもっと深めますと、罪からの自由、赦しということに他なりません。
やってしまったという罪意識からの自由だけではありません。罪を赦すことができない、どうしても憎い、このことからの自由、自分の人生に絡みついた様々なことからほどかれるということ、これが罪からの自由、赦しなのです。

復活日(イースター)の物語では、十字架に架けられて三日目に復活されたイエスが、家に隠れて集っていた弟子たちの真ん中に現れた、という箇所が読まれます。弟子たちは互いに罪の意識を持っていました。彼らは自分も殺されるのではないか、という恐れのためイエスを見捨て逃げ出していたのです。彼らは被害者でもあり加害者であり傍観者でもあったのです。
そこに主イエスが現れ、手を広げられます。その手には十字架の傷、弟子たちがつけてしまった傷が刻まれたままです。イエスは傷ついたままの手を広げられて、彼らに「平和があるように」と告げられ、パンとぶどう酒、聖餐(せいさん)(ミサ)の準備をされるのです。
傷ついた手を見た時、その手が自分に差し伸べられた時、その手からパンとぶどう酒が、自分たちの「人を傷つけた手」、「人に傷つけられた手」に渡された時、どれだけの自由を、赦しを、愛を、彼らは受けたことでしょうか。

人は愛されたから、誰かを愛そうとすることができます。赦されたから、誰かを赦そうとすることができます。この喜びを伝えるために、教会は作られ、世界中に広がり、毎週日曜日に聖餐式が続けられているのです。
ですから、長崎の人々にとって、キリスト教禁制の250年の時を経て、聖餐式にあずかることがどれほどの喜びだったことでしょうか。明治になっても自分の親や子供が殺された中で、日々の中で、聖餐式にあずかることがどれほどの慰めとなったことでしょうか。
そして誰よりも、神ご自身が、人々が慰め合い、愛し合い、自由に生きることを、強く待ち望まれているのです。
私たちがこのことを深く思いながら、日々を送ることができるよう、お祈りしております

僕にとってこの学校の6年間で得た事は、かけがえのないものになりました。学習環境だけでなく、寮生活や人々との出会いなどの全てが貴重な思い出となり、イギリスにいた時間が僕の人生を明るく導いてくれている気がします。今こうしてイギリスの大学に進学が決まって、その準備を進めることができるのは、これまで傍で支えて来てくれた仲間達、親のように長い間見守ってくださった先生方とスタッフの方、そして何よりもたくさん心配をかけた両親のお陰です。皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです。
僕がこの学校に入学した頃は、自分の持っている知識が今よりも未熟で、知らなかったことが沢山あり、知識をスポンジのように吸収して、充実した日々が続いていました。人との接し方や勉強方法、テーブルマナーなど、社会に繋がることをたくさん身に付けた中学3年間だったと思います。
しかし高校に入ってから、色々な壁にぶち当たりました。英語が伸びなくなってきて資格試験になかなか合格しなかったり、部活動と勉強の両立が難しくなってきたりと、頭を抱える日々が増えてきました。
特に悩まされたのは英語の勉強法でした。僕は毎日、英語科の先生方が選んだ英語の記事を読んで質問に答えるというリーディングマラソンに取り組んでいました。中学のときまではとても力になって良かったのですが、ある程度英語力がつくと、リーディングマラソンはウォーミングアップで、それだけでは英語力が伸びない事に気付きました。
そこで僕が去年新しく始めたいくつかの勉強法の中の一つが英文解釈です。具体的には、複雑な文や長い文を頭の中で整理して文の骨格を素早く掴む読解力をつけることができます。その勉強法を始めて半年、英検やIELTSなどの資格試験で合格することができました。リーディングマラソンの読み方も変わり、設問を間違えなくなりました。このように、ちょっとした新しい地味な勉強法が大きな成功に繋がることに気づきました。今でも英文解釈は毎日欠かさず続けています。英語の勉強が本当に大好きになりました。
毎日24時間生活を共にした仲間の存在や、たくさんの先生方との何気ない会話がいつも僕を支えてくれて、僕の背中をたくさんの人が押してくれました。僕が無事に卒業できるのも周りにいた方々のお陰です。これからまた新しいステップへ足を踏み出しますが、僕は絶対これまでのサポートを無駄にしないように、諦めずに走り続けます。
僕は将来、世界中のテニスの国際大会の主審になれるように、去年から日本国内で審判員活動を始めています。即時の判定や、選手の名前をすぐに覚える事、臨機応変に対応していく事など、たくさん学ぶことがあって大変ですが、自分の今やっていることが将来に繋がることを信じて、世界へ飛び立てるように地道に取り組んでいます。
いつか、僕の蕾が開いて自分の夢を叶えることが出来るように、大学に進学しても、この学校で得た粘り強さ、マナーや生活習慣を生かして頑張りたいです。

今年の春休み、約1週間僕は交換留学に行った。留学する学校の名前はフォレストスクール。イギリスの現地校だ。現地校への留学は人生で2回目だ。1回目はオーストラリアの現地校だ。
1回目は小学生の時だからあれから随分と時間がたった。久しぶりの交換留学は、やはりとても緊張した。しかも今回行くところは全校生徒が1000人程いると聞いて驚いた。立教には200人もいないので人見知りな僕はうまくコミュニケーションが取れるかとても不安だった。しかも英語で。

交換留学初日、ドキドキしながらフォレストスクールに着いた。僕と一緒に交換留学をする4人もおそらく僕と同じ気持ちだっただろう。到着するとミスターライダーと言う交換留学の担当の先生が出迎えてくれた。そして、そこには5日間一緒に過ごすバディがいた。僕のバディの名前は、トリー。フランス生まれの子だった。トリーはとても優しく、緊張して一言も喋れなかった僕に色々話しかけてくれた。フォレストで何をしたのかと言うと、基本的にはシャドーイングでバディの授業に参加する事がほとんどだった。1時間目はヒストリー、歴史の授業だった。授業の初め、僕とトリーは自己紹介をお互いにした。そんな簡単な会話をしていた。その後、トリーは授業の内容を丁寧に説明してくれた。しかし、やはり現地校。聞き取れない。言ってる事はなんとなくわかったが、早すぎてわからない。自分の英語力がこんなものかと実感した。しかし、トリーはそれを理解してくれて少し簡単な英語で話してくれた。1日目の午前は授業を受け、午後は学校を案内してもらった。あまり話せないまま1日目が終了した。ホームステイ先に帰った。とても疲れた。もうめんどくさいと思って学校に行きたくないと思った。せっかくの春休みを無駄にしたと思った。

交換留学2日目、一日中授業だった。昨日よりは耳が慣れてきたのか少しずつ聞き取れるようになった。今日こそはと思いこっちから話しかけてみた。そしたら、通じた。とても気分が良かった。今まで英語をやって無駄ではなかったとおもった。そこから最終日までトリーとたくさん話して仲良くなった。トリーと話していると周りの人とも自然に話すようになり気づいたらたくさん友達ができていた。海外の人は怖いイメージしかなかったが今回の交換留学でイメージが変わった。優しくフレンドリーで面白く、いつも僕たちを笑わせてくれた。

水曜日はただの授業ではなかった。その日は、チャレンジデーという日で、学年ごとに1つのテーマを決めてそれについて1日使って考えるものだった。その日だけは、バディとは行動せず中学2年生と行動した。中学2年生の人たちはとても日本に興味を持ってくれて、僕たちが日本について色々教えると日本に行きたいと言ってくれて嬉しかった。

今回フォレストスクールで、1番驚いたのは皆んな食べることより遊ぶことに休み時間を使っていたことだ。フォレストでは、座ってゆっくりと昼ごはんを食べる人は1人もいなかった。皆んな歩きながら食べ、制服のままサッカーや、バスケをしていた。立教ではあり得ないことだった。日本の学校とは随分違うんだと実感した。

そしてあっという間に5日間が過ぎた。早かった。初日にめんどくさいと思っていた自分がバカバカしく思えた。別れの時は悲しかった。5日間でとっても仲良くなり多くのことを一緒に学んだ。必ず立教にきて欲しいと思った。するとフォレストの校長がぜひ立教にも生徒を行かせたいと言ったのでバディに絶対きてくださいと何度も言った。バディはもちろんといってくれた。そして5日間の交換留学が終わった。行って良かったと改めて思った。イギリスと日本の違いや考え方の違いについてたくさん学べた。1番大きかったのは、海外の友人ができたことだ。これらのことを今後また交換留学できたら活かして行きたいと思った。

今年は中学部2年生の女子生徒が Wolverhampton grammar school に3月5日から1週間、短期交換留学をしました。
以下にこの生徒が英語で書いた手記をご紹介します。

*    *    *
I was a little bit nervous before I went to school.

But, it changed when I arrived at the school.

These are some pictures taken at her school!

When I said hello to students, they tried to talk to me.

Today’s my timetable was as follows;

1.Chemisty

I learned about electron and how to separate.

( I like this lesson because the teacher was doing an interesting lesson )

2.Physics

I did a small test about why the wave was moving.

(It’s quite difficult for me because the teacher was talking very fast!!! )

3.Biology

I learned about some parts of our body and why a fast heart rate occurs when we are moving around.

( I found it fun in this lesson because I learned about these things in 英人理科 before )

4.English

Izzi was doing her essay, so I was doing book review about “Alice in wonderland ”

5.P.E.

Although I like Japanese science, it is quite difficult for me to learn in Englsih.

But I can enjoy it because my friends helped me to understand by speaking slowly.

Today, P.E lesson was my favourite.

Since it was first time for me to play cricket, I didn’t know how to play. But I just hit the ball.

It was fun.

After school, I went to a football match with Izzi and her family.

This is a picture of Molineux stadium.

Her grandmother gave me some presents.

And I ate a delicious chicken wrap!

I love wraps!

Now I am a fan of team Wolves. Its mascot character was so cute.

I had a really good time with my best English friend!

Today is the day when I will be able to step up to my University, which I am very happy about.  On the other hand, I am not going to be a part of this school from tomorrow, which is a sad thing for me. My six years at Rikkyo flew by like a boat down a waterfall, time flies as in the proverb.  However, at times, when I was having trouble with my end of term exams, time did not pass as quickly. I have lots of memories with the campus, nature, students, and teachers. I still cannot imagine that I am going to leave here and I will not be able to see all of you regularly at school.
In Rikkyo, I had various opportunities to speak English with students and native people. Especially, when I was in middle school, I went to towns near my school to ask questions to locals. For example, I remember that I asked one elderly man whether he knew my school or not. I asked only this question to around ten people in one period. These short conversations encouraged me to speak English aloud to British people even though I made some grammatical mistakes and they sometimes kindly corrected my English.  I realized that it is important to work hard to learn to speak what I really wanted to say.  Then other people tried to listen and understand me. Not saying anything doesn’t achieve anything. Other activities such as field works, belling at St Nicolas Church in Cranleigh in 2011, and a week long exchange programme with Thomas Hardye School in 2015 helped me to improve greatly my English skills.
Homestay was the best occasion to embrace the British culture. I have stayed with sixteen different families during my six years at Rikkyo. I think that it was a privilege to stay with so many different families. Some host families were very friendly and I wanted to stay there again, but others were not. But in total, I gained important experiences. As I mentioned before, host families were sometimes very hospitable. I was able to ask anything I wanted and I enjoyed talking with them about the difference between Japan and the UK. These happy memories are still in my mind and I often think that I want to meet them again. However, some families were not as kind to me. I still do not know the reason. Maybe they didn’t like my daily life attitude. But it was good for me to solve these relationships and it made me think how I should deal with them or how I should make them feel more comfortable. I tried talking with them about their interests and found common interests. Sometimes it worked and sometimes it didn’t. When I was feeling down, I always told myself that these bad experience would lead to success in different ways. Homestay was also a great opportunity to take a look at myself again to find my faults so that I can become a better person to be able to contribute to society in the future..
In comparison with outside activities of Rikkyo, I had so many happy and troublesome memories in Rikkyo. Before we got a huge water storage tank, there were many times I could not wash the foam away from my head because of the water shortage. The water from shower suddenly stopped and I wore my gown with foam on my head and I went outside to wash it away in the rain. Unfortunately, it did not work well. Finally, I used the little amount of cold water from the tap to wash it away. Unfortunately I got headache afterwards. So you should not wash your hair in the rain!  Now, there is a huge water tank and a generator in my school, so students do not have the same difficulties in daily life. I enjoyed my school life with my classmates day and night, sometimes after lights out. I could not see my parents so often, but my friends and teachers cheered me up a lot during my studies and club activities. That is why I was able to get to this point.
Reading Marathon, this was one of my most important routines at school. It taught me that studying English is a lot of fun. I started to read it from April 2011, when I was a middle school 1 student. In the beginning, as my English vocabulary was not substantial enough, it took over one hour to complete it every day. I used my electronic dictionary and searched the meaning of all words in the article, and sometimes I even searched the meaning of the word, “like “. As I became older year by year, I needed to use it less and less often and I could submit the work in ten minutes, except Mr Kobayashi’s. His questions were very complex, which means his questions were very interesting, so I read his article very carefully to understand it perfectly every time. I did not want to make any mistakes, so I worked very hard on them.
However, when I moved to high school, I started to focus on thinking about whether my way of studying would improve my English to an advanced enough level. Actually, I failed the Eiken grade pre1 and FCE over three times each. I had been doing Reading Marathon everyday, but my reading skills were not advanced enough to pass by their standards. Last year, one of my English teachers gave me advice to read articles more difficult than Reading Marathon and tackle interpreting an English text, to learn how to structure sentences. So, I bought some books of the content for myself. After I started, I felt that the way of my reading had changed, I was able to understand the structure of difficult sentences by separating clauses  automatically. I even started to read newspaper in the staff room. I used to read only tennis articles, but Mr Kurahsina, my class teacher instructed me not to do this. He told me to read articles which were not about tennis. So I started to read different articles especially ones about business every day because I was interested in studying business management at university. Although when Mr Kurashina was not at school on every Saturday, I checked his desk in the staff room to make sure he wasn’t in, and I secretly read some tennis articles as well. Last year, I finally passed FCE, Eiken, and IELTS score for British universities. I found that the small changes in study techniques gave me incredible progression.  It is also important to memorise English vocabulary using “the Target,” an English vocabulary book.  But I strongly recommend you to do these things to study English as well. I have some more advice on studying English but I will stop here for now.
During my time at Rikkyo, I have gained many useful skills and common sense for life as an adult. I am so pleased to have studied and lived here with my wonderful friends, moreover I was lucky enough to have teachers who looked after me as my own parents, and I always felt safe and secure. Rikkyo is my second home, even once I leave here. I am looking forward to coming back here as an old boy one day. ” Be the person who other people want to rely on and feel not want to leave from their side” . Miss Umeda, my modern Japanese teacher told me in our final lesson and I was impressed with the phrase very much. I do not feel like I am that person yet, so I will gain more knowledge at University and become the person she described and the person I want to be.
Last of all, I would like to say thank you to my classmates, older students who have graduated already, younger students, all the teachers, kitchen staffs, and cleaning ladies. If it were not for their support, I would not be the person I am today. I will not forget all six years’ of your support and I will not let it go to waste in the future.  I also want to say huge thank you to my parents. They worked very hard to pay for expensive tuition fees for six years and the occasional visits to the UK to see me. I will go to King’s College London, so they will still have to work hard for a few more years for me.  I would like to help their job in my spare time and I will help and be dutiful to my parents for the rest of my time.
Thank you for your patience throughout my long speech and I will see you again soon.
Thank you very much.

この学校に五年間ほどいた僕は多くのことを学んだ。勉強、生活態度、人間関係。それだけではないけれど。とりあえず多くのことを。今でもそうかもしれないが、どうしようもない僕を少しは変えてくれた。
印象に残っていること。やはり、立教生活初日。あの日だけ全てを思い出すことができる。けれどあの日は最悪。本当に最悪。同期の一つ下の後輩に指をさされ、『君、中一?』と聞かれ、英語ができるペテン師、いや悪魔?のせいで初日の就寝後に怒鳴られた。散々な目にあった。初日は最悪。
好きな行事。オープンデイ。準備期間は好きなことはできないし、くだらないことで喧嘩しちゃうし、たまに途中で何作っているのかわからなくなるし。つまらないことばかりだけど、当日だけは楽しいことだらけ。やはり、楽しいことだらけだと人生はつまらないのだろう。苦しかったり、つまらなかったりする日々を乗り越えた後の楽しさは格別。それを認識させてくれるのがオープンデイ。すばらしさはそれだけではないけれど。
些細なことで人は変われる。それは本当。僕にとって些細なことは「数学」。この学校にきて、苦手で嫌いな数学を好きになった。中一の三学期に僕はこの学校に入学したが、それまでほとんど勉強はしてこなかった。けれど、数学を好きになってから、僕は数学の勉強だけはそこそこやった。今でも僕の得意科目。自分を変えてくれるきっかけを見つけることはとても難しいけれど、やはり探そうとする姿勢は大事。さらに立教生は一人ではない。ここ立教では生徒や先生がすぐ横にいる。だから、探しものは見つかりやすい。
僕には好きな言葉がある。
「今、汝は画れり」
意味:自分で自分の見切りをつけるな
漢字:『いま』はnowの『今』、『なんじ』はyouの『汝』、『かぎ』は計画の『画』(計画の意味はない)
これは中国の昔の儒家、孔子の言葉。
この言葉は高二の冬に見つけた。立教では生活が限定されている。外には自由に出れないし、ネットは自由に使えないし。自由が制限されている。でも、その中で自分に見切りをつけずに生きていき、自分があらゆる可能性を持っていると思うことは立教生活に大きな意味を与える。それは人生においても同じだと思う。自分が本当にやりたいことがあるなら、周りからどんな反対があっても、しっかりその誠意を見せつつ、貫き通してください。全てを投げ捨てる価値があるなら、捨ててください。しっかりと考えた判断なら絶対に後悔はしない。投げ捨てた僕が保証します。

手紙
目の前、ビデオ越しにいる高三へ
二回目になる人もいるけれど、久しぶり。二学期が終わってから、ほとんど君達とは連絡をとらなかった。受験があったし。
二学期が終わった後の受験生活の中で辛い時はもちろんあった。その時僕は自分の事でいっぱいになるけど、少し時間が経つと君達を思い返す。楽しかったなとか。行事また一緒にやりたいなとか。戻りたいなとか。何してるのかなとか。すると自然と手はログアウトしたはずのSNSに手が伸びる。そのようなことが三回くらい。僕は何かあると君達を考えてしまう。君達は僕にとってそういう存在。
僕達はオープンデイや合唱コンなどの行事に熱をそそいだ。そういう行事では僕達は団結して大きくなる。大きくなるたびに僕達は一人一人成長する。それが僕にはたまらなかった。でも、行事の話だけではなく、たまにだらける。いや、たまにじゃないかも。結構な頻度で。僕達は崩れる。その度に自分に対しても色々と腹立たしくなるけど、その内僕の気は収まる。僕達はメリハリがあるのか、ないのかよくわからない。僕達は僕にとってそういう存在。
もし君達全員が絶体絶命のピンチで、もしその状況から救うことができる手立てを持つヒーローが僕だったとしても、僕は君達を助けない。なぜなら、君達は僕と切磋琢磨生活してきたのだから。僕がもしヒーローなら、君達もヒーロー。僕がその手立てを持つなら、君達もその手立てを持つ。そのはず。かなり極端な例だけれども、僕達はそんな関係だと思う。ほんのそこらの人達とは違う。僕達は僕にとってそういう存在。
そんな僕達はもうバラバラ。もうあの日々は帰ってこない。だから、もう僕達がどういう存在かを認識することはおそらくもうない。悲しいけれど、時間が僕達が一緒にいることを許してくれない。仕方がない。
最後に言う。僕は君達が応援してくれた以上に、僕は君達の目指すものを応援します。辛くなった時、周りをみてください。どこかに僕達がいます。いつでも支えてくれる僕達がいます。そんな僕達です。ありがとう。恥ずかしいから、こんなことはあんまり言いたくないけど、僕は君達が好きです。君達は僕の人生を変えてくれた。ほんとうにありがとう。

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