4月16日の午後、毎年恒例のブルーベル散策に出かけました。ブルーベルは森に自生する紫色の小さな花でイギリスに春の訪れを知らせる花です。日本で言うならば桜というところでしょうか。入学礼拝後の
最初の行事であるこの散策には、小学生から高校生までそろって一緒に出かけます。森の中を通っていくため長袖長ズボンという歩きやすい服装に着替え、点呼を取ったら出発です。

少しだけ寒い春の日でしたが、教室を離れての散歩に気持ちはうきうきします。息を弾ませながら一心に歩く者、友達との会話に夢中になる者、美しい風景を写真に収めようとシャッターを切る者。皆、各々の散策を楽しんでいます。ブルーベルのぽつぽつと咲くフットパスを30分ほど歩いて行くと一面にブルーベルが広がります。紫の柔らかな絨毯を敷き詰めたような景色に「わあ、きれい」と思わず声が上がって後、イギリスの春をしんと見つめました。心地よい風に鳥のさえずり。出発時には曇っていた空も、気がつくとすっかり晴れ上がっていました。

高揚感と軽い疲労を伴う帰り道、クラスの仲間たちともさらに打ち解けて明るい声が響きます。鮮やかな春の光景をそれぞれの心に刻む1日となりました。

中1では4月から、Oxford Owlシリーズの絵本を使い、iPadの英語の絵本の音読練習を行ってきました。2~3学期も、中1の英語学習の基礎として、音読を続けています。英語学習の習得具合、また資格試験の合格状況を見て、2学期には音読学習を卒業し、iPadで文法練習に移った生徒もいます。文法練習には、iPadの文法練習ソフト(British Council提供)を使っています。

3学期に入り、クラスで、英語でニュースを見ることも始めました。題材は、BBCニュース(英国の国営放送)。BBCは『CBBC』という子供向けチャンネルを持っており、このチャンネルでは子供向けのニュース『Newsround』を放送しています。Newsroundは、朝・昼・夕方の3回放送。5分の短いニュースです。iPlayerを通して視聴できますので、夕方のニュース番組をダウンロードして、夜のホームルームの後に出来るだけ毎日見ています。

Newsroundのほかに、BBC天気予報の番組も見るようになりました。天気予報は大人向けですが、毎日同じテーマで、同じような単語を使い回すので、予報図と一緒に繰り返し聞いていると、だんだん表現や意味が分かってくるという、ちょうどよい題材です。さらに、大人向けのBBC NEWSのある時に見ています。

英語学習の一環なのですが、予想以上に中1の子供たちは毎日楽しみにしていて、見たい見たいと大騒ぎ。見ている間も、あれこれ感想や知っていることを話題にして交換し合うので、5分のニュースをうっかり聞き逃してしまわないよう、「静かに!」「聞こえないよ~」と何度も声がかかります。天気予報も役に立つので便利。週末に雪が降ることも、来週気温が上がることも、木曜日に嵐が来ることも、中1の子供たちはBBC天気予報を見ることで、知っていました。Sunny Spell、Galeなどイギリスの日常的なお天気用語も少しずつ入ってきて、なかなか楽しいテレビ観賞です。

遠藤周作の『沈黙』がスコセッシ監督によって映画化され、日本でも、イギリスでも公開され話題となっています。江戸時代のキリシタン弾圧という限界状況を通して、遠藤周作自身の信仰を描くという小説です。
この『沈黙』の舞台である長崎とその西百キロに浮かぶ五島列島へと、以前私が牧師をしていた教会の信徒の方たちと巡礼に行ったことがあります。
戦国時代や江戸時代だけではなく、幕末から明治にかけても、キリスト教迫害の歴史が日本にはあります。明治の始めに、長崎の浦上のクリスチャン、約三千四百人は全国約二十箇所に連れて行かれ、六百十三名が殉教しました。たった百五十年ほど前のことです。

長崎から西へ約百キロ離れた五島列島からは、そう簡単に全国各地に連れて行くことができません。そこで、同じ島内で、同じ島民によって迫害が始まったのです。
ひどい牢ですと、たった六坪に二百人が押し込まれて衰弱死をしました。拷問で殺された人も数多くいました。
クリスチャンだから殺してもいいという理由で、刀の試し斬りのため、夜中に家に押し入られ、妊娠している女性も含めて六名が切り捨てられたということもあります。
明治の二十年頃、ある司祭が臨終の信徒を看取るため、嵐の中十一人の若い信徒達と共に小舟で長崎本土から戻る途中に遭難してしまいます。助けに来た島の男達が船に乗り込むのですが、船には新しい聖堂を建てる資金がありました。そのお金のために、司祭含む十二人のクリスチャンは殺されたのです。
これが何故わかったかというと、助けに来た男達の中に一人のクリスチャンがいたのです。彼は周りが怖くて止めることができず、司祭たちを見捨てたのでした。それは彼が臨終の時に、いてもたってもいられず告白したことによってわかった事実です。

これらのエピソードはガイドブックや文献の中には余り描かれていません。というのは、これが同じ島の中でたった百五十年ほど前に起こった出来事だからです。
加害者と被害者と傍観者に、逃げ場がないのです。ずっと顔を合わさなければいけない、それが島の環境なのです。
そこにはどれほどの葛藤があることでしょうか。加害者側は、罪意識を持つかもしれません。あるいは、かえって差別意識を持つかもしれません。被害者側も、彼らを赦せないままかもしれません。何十年経った後でも、殺した子孫と殺された子孫が同じ島の中に、逃げ場のない島の中で生活しているのです。

長崎のクリスチャンたちは、様々な時代において何を待ち望みながら、祈っていたのでしょうか。
それは自由です。一つは信仰の自由があるでしょう。もう迫害されない、いじめられないという安心、平和という自由でもあります。それをもっと深めますと、罪からの自由、赦しということに他なりません。
やってしまったという罪意識からの自由だけではありません。罪を赦すことができない、どうしても憎い、このことからの自由、自分の人生に絡みついた様々なことからほどかれるということ、これが罪からの自由、赦しなのです。

復活日(イースター)の物語では、十字架に架けられて三日目に復活されたイエスが、家に隠れて集っていた弟子たちの真ん中に現れた、という箇所が読まれます。弟子たちは互いに罪の意識を持っていました。彼らは自分も殺されるのではないか、という恐れのためイエスを見捨て逃げ出していたのです。彼らは被害者でもあり加害者であり傍観者でもあったのです。
そこに主イエスが現れ、手を広げられます。その手には十字架の傷、弟子たちがつけてしまった傷が刻まれたままです。イエスは傷ついたままの手を広げられて、彼らに「平和があるように」と告げられ、パンとぶどう酒、聖餐(せいさん)(ミサ)の準備をされるのです。
傷ついた手を見た時、その手が自分に差し伸べられた時、その手からパンとぶどう酒が、自分たちの「人を傷つけた手」、「人に傷つけられた手」に渡された時、どれだけの自由を、赦しを、愛を、彼らは受けたことでしょうか。

人は愛されたから、誰かを愛そうとすることができます。赦されたから、誰かを赦そうとすることができます。この喜びを伝えるために、教会は作られ、世界中に広がり、毎週日曜日に聖餐式が続けられているのです。
ですから、長崎の人々にとって、キリスト教禁制の250年の時を経て、聖餐式にあずかることがどれほどの喜びだったことでしょうか。明治になっても自分の親や子供が殺された中で、日々の中で、聖餐式にあずかることがどれほどの慰めとなったことでしょうか。
そして誰よりも、神ご自身が、人々が慰め合い、愛し合い、自由に生きることを、強く待ち望まれているのです。
私たちがこのことを深く思いながら、日々を送ることができるよう、お祈りしております

僕にとってこの学校の6年間で得た事は、かけがえのないものになりました。学習環境だけでなく、寮生活や人々との出会いなどの全てが貴重な思い出となり、イギリスにいた時間が僕の人生を明るく導いてくれている気がします。今こうしてイギリスの大学に進学が決まって、その準備を進めることができるのは、これまで傍で支えて来てくれた仲間達、親のように長い間見守ってくださった先生方とスタッフの方、そして何よりもたくさん心配をかけた両親のお陰です。皆さんに感謝の気持ちを伝えたいです。
僕がこの学校に入学した頃は、自分の持っている知識が今よりも未熟で、知らなかったことが沢山あり、知識をスポンジのように吸収して、充実した日々が続いていました。人との接し方や勉強方法、テーブルマナーなど、社会に繋がることをたくさん身に付けた中学3年間だったと思います。
しかし高校に入ってから、色々な壁にぶち当たりました。英語が伸びなくなってきて資格試験になかなか合格しなかったり、部活動と勉強の両立が難しくなってきたりと、頭を抱える日々が増えてきました。
特に悩まされたのは英語の勉強法でした。僕は毎日、英語科の先生方が選んだ英語の記事を読んで質問に答えるというリーディングマラソンに取り組んでいました。中学のときまではとても力になって良かったのですが、ある程度英語力がつくと、リーディングマラソンはウォーミングアップで、それだけでは英語力が伸びない事に気付きました。
そこで僕が去年新しく始めたいくつかの勉強法の中の一つが英文解釈です。具体的には、複雑な文や長い文を頭の中で整理して文の骨格を素早く掴む読解力をつけることができます。その勉強法を始めて半年、英検やIELTSなどの資格試験で合格することができました。リーディングマラソンの読み方も変わり、設問を間違えなくなりました。このように、ちょっとした新しい地味な勉強法が大きな成功に繋がることに気づきました。今でも英文解釈は毎日欠かさず続けています。英語の勉強が本当に大好きになりました。
毎日24時間生活を共にした仲間の存在や、たくさんの先生方との何気ない会話がいつも僕を支えてくれて、僕の背中をたくさんの人が押してくれました。僕が無事に卒業できるのも周りにいた方々のお陰です。これからまた新しいステップへ足を踏み出しますが、僕は絶対これまでのサポートを無駄にしないように、諦めずに走り続けます。
僕は将来、世界中のテニスの国際大会の主審になれるように、去年から日本国内で審判員活動を始めています。即時の判定や、選手の名前をすぐに覚える事、臨機応変に対応していく事など、たくさん学ぶことがあって大変ですが、自分の今やっていることが将来に繋がることを信じて、世界へ飛び立てるように地道に取り組んでいます。
いつか、僕の蕾が開いて自分の夢を叶えることが出来るように、大学に進学しても、この学校で得た粘り強さ、マナーや生活習慣を生かして頑張りたいです。

今年の春休み、約1週間僕は交換留学に行った。留学する学校の名前はフォレストスクール。イギリスの現地校だ。現地校への留学は人生で2回目だ。1回目はオーストラリアの現地校だ。
1回目は小学生の時だからあれから随分と時間がたった。久しぶりの交換留学は、やはりとても緊張した。しかも今回行くところは全校生徒が1000人程いると聞いて驚いた。立教には200人もいないので人見知りな僕はうまくコミュニケーションが取れるかとても不安だった。しかも英語で。

交換留学初日、ドキドキしながらフォレストスクールに着いた。僕と一緒に交換留学をする4人もおそらく僕と同じ気持ちだっただろう。到着するとミスターライダーと言う交換留学の担当の先生が出迎えてくれた。そして、そこには5日間一緒に過ごすバディがいた。僕のバディの名前は、トリー。フランス生まれの子だった。トリーはとても優しく、緊張して一言も喋れなかった僕に色々話しかけてくれた。フォレストで何をしたのかと言うと、基本的にはシャドーイングでバディの授業に参加する事がほとんどだった。1時間目はヒストリー、歴史の授業だった。授業の初め、僕とトリーは自己紹介をお互いにした。そんな簡単な会話をしていた。その後、トリーは授業の内容を丁寧に説明してくれた。しかし、やはり現地校。聞き取れない。言ってる事はなんとなくわかったが、早すぎてわからない。自分の英語力がこんなものかと実感した。しかし、トリーはそれを理解してくれて少し簡単な英語で話してくれた。1日目の午前は授業を受け、午後は学校を案内してもらった。あまり話せないまま1日目が終了した。ホームステイ先に帰った。とても疲れた。もうめんどくさいと思って学校に行きたくないと思った。せっかくの春休みを無駄にしたと思った。

交換留学2日目、一日中授業だった。昨日よりは耳が慣れてきたのか少しずつ聞き取れるようになった。今日こそはと思いこっちから話しかけてみた。そしたら、通じた。とても気分が良かった。今まで英語をやって無駄ではなかったとおもった。そこから最終日までトリーとたくさん話して仲良くなった。トリーと話していると周りの人とも自然に話すようになり気づいたらたくさん友達ができていた。海外の人は怖いイメージしかなかったが今回の交換留学でイメージが変わった。優しくフレンドリーで面白く、いつも僕たちを笑わせてくれた。

水曜日はただの授業ではなかった。その日は、チャレンジデーという日で、学年ごとに1つのテーマを決めてそれについて1日使って考えるものだった。その日だけは、バディとは行動せず中学2年生と行動した。中学2年生の人たちはとても日本に興味を持ってくれて、僕たちが日本について色々教えると日本に行きたいと言ってくれて嬉しかった。

今回フォレストスクールで、1番驚いたのは皆んな食べることより遊ぶことに休み時間を使っていたことだ。フォレストでは、座ってゆっくりと昼ごはんを食べる人は1人もいなかった。皆んな歩きながら食べ、制服のままサッカーや、バスケをしていた。立教ではあり得ないことだった。日本の学校とは随分違うんだと実感した。

そしてあっという間に5日間が過ぎた。早かった。初日にめんどくさいと思っていた自分がバカバカしく思えた。別れの時は悲しかった。5日間でとっても仲良くなり多くのことを一緒に学んだ。必ず立教にきて欲しいと思った。するとフォレストの校長がぜひ立教にも生徒を行かせたいと言ったのでバディに絶対きてくださいと何度も言った。バディはもちろんといってくれた。そして5日間の交換留学が終わった。行って良かったと改めて思った。イギリスと日本の違いや考え方の違いについてたくさん学べた。1番大きかったのは、海外の友人ができたことだ。これらのことを今後また交換留学できたら活かして行きたいと思った。

今年は中学部2年生の女子生徒が Wolverhampton grammar school に3月5日から1週間、短期交換留学をしました。
以下にこの生徒が英語で書いた手記をご紹介します。

*    *    *
I was a little bit nervous before I went to school.

But, it changed when I arrived at the school.

These are some pictures taken at her school!

When I said hello to students, they tried to talk to me.

Today’s my timetable was as follows;

1.Chemisty

I learned about electron and how to separate.

( I like this lesson because the teacher was doing an interesting lesson )

2.Physics

I did a small test about why the wave was moving.

(It’s quite difficult for me because the teacher was talking very fast!!! )

3.Biology

I learned about some parts of our body and why a fast heart rate occurs when we are moving around.

( I found it fun in this lesson because I learned about these things in 英人理科 before )

4.English

Izzi was doing her essay, so I was doing book review about “Alice in wonderland ”

5.P.E.

Although I like Japanese science, it is quite difficult for me to learn in Englsih.

But I can enjoy it because my friends helped me to understand by speaking slowly.

Today, P.E lesson was my favourite.

Since it was first time for me to play cricket, I didn’t know how to play. But I just hit the ball.

It was fun.

After school, I went to a football match with Izzi and her family.

This is a picture of Molineux stadium.

Her grandmother gave me some presents.

And I ate a delicious chicken wrap!

I love wraps!

Now I am a fan of team Wolves. Its mascot character was so cute.

I had a really good time with my best English friend!

Today is the day when I will be able to step up to my University, which I am very happy about.  On the other hand, I am not going to be a part of this school from tomorrow, which is a sad thing for me. My six years at Rikkyo flew by like a boat down a waterfall, time flies as in the proverb.  However, at times, when I was having trouble with my end of term exams, time did not pass as quickly. I have lots of memories with the campus, nature, students, and teachers. I still cannot imagine that I am going to leave here and I will not be able to see all of you regularly at school.
In Rikkyo, I had various opportunities to speak English with students and native people. Especially, when I was in middle school, I went to towns near my school to ask questions to locals. For example, I remember that I asked one elderly man whether he knew my school or not. I asked only this question to around ten people in one period. These short conversations encouraged me to speak English aloud to British people even though I made some grammatical mistakes and they sometimes kindly corrected my English.  I realized that it is important to work hard to learn to speak what I really wanted to say.  Then other people tried to listen and understand me. Not saying anything doesn’t achieve anything. Other activities such as field works, belling at St Nicolas Church in Cranleigh in 2011, and a week long exchange programme with Thomas Hardye School in 2015 helped me to improve greatly my English skills.
Homestay was the best occasion to embrace the British culture. I have stayed with sixteen different families during my six years at Rikkyo. I think that it was a privilege to stay with so many different families. Some host families were very friendly and I wanted to stay there again, but others were not. But in total, I gained important experiences. As I mentioned before, host families were sometimes very hospitable. I was able to ask anything I wanted and I enjoyed talking with them about the difference between Japan and the UK. These happy memories are still in my mind and I often think that I want to meet them again. However, some families were not as kind to me. I still do not know the reason. Maybe they didn’t like my daily life attitude. But it was good for me to solve these relationships and it made me think how I should deal with them or how I should make them feel more comfortable. I tried talking with them about their interests and found common interests. Sometimes it worked and sometimes it didn’t. When I was feeling down, I always told myself that these bad experience would lead to success in different ways. Homestay was also a great opportunity to take a look at myself again to find my faults so that I can become a better person to be able to contribute to society in the future..
In comparison with outside activities of Rikkyo, I had so many happy and troublesome memories in Rikkyo. Before we got a huge water storage tank, there were many times I could not wash the foam away from my head because of the water shortage. The water from shower suddenly stopped and I wore my gown with foam on my head and I went outside to wash it away in the rain. Unfortunately, it did not work well. Finally, I used the little amount of cold water from the tap to wash it away. Unfortunately I got headache afterwards. So you should not wash your hair in the rain!  Now, there is a huge water tank and a generator in my school, so students do not have the same difficulties in daily life. I enjoyed my school life with my classmates day and night, sometimes after lights out. I could not see my parents so often, but my friends and teachers cheered me up a lot during my studies and club activities. That is why I was able to get to this point.
Reading Marathon, this was one of my most important routines at school. It taught me that studying English is a lot of fun. I started to read it from April 2011, when I was a middle school 1 student. In the beginning, as my English vocabulary was not substantial enough, it took over one hour to complete it every day. I used my electronic dictionary and searched the meaning of all words in the article, and sometimes I even searched the meaning of the word, “like “. As I became older year by year, I needed to use it less and less often and I could submit the work in ten minutes, except Mr Kobayashi’s. His questions were very complex, which means his questions were very interesting, so I read his article very carefully to understand it perfectly every time. I did not want to make any mistakes, so I worked very hard on them.
However, when I moved to high school, I started to focus on thinking about whether my way of studying would improve my English to an advanced enough level. Actually, I failed the Eiken grade pre1 and FCE over three times each. I had been doing Reading Marathon everyday, but my reading skills were not advanced enough to pass by their standards. Last year, one of my English teachers gave me advice to read articles more difficult than Reading Marathon and tackle interpreting an English text, to learn how to structure sentences. So, I bought some books of the content for myself. After I started, I felt that the way of my reading had changed, I was able to understand the structure of difficult sentences by separating clauses  automatically. I even started to read newspaper in the staff room. I used to read only tennis articles, but Mr Kurahsina, my class teacher instructed me not to do this. He told me to read articles which were not about tennis. So I started to read different articles especially ones about business every day because I was interested in studying business management at university. Although when Mr Kurashina was not at school on every Saturday, I checked his desk in the staff room to make sure he wasn’t in, and I secretly read some tennis articles as well. Last year, I finally passed FCE, Eiken, and IELTS score for British universities. I found that the small changes in study techniques gave me incredible progression.  It is also important to memorise English vocabulary using “the Target,” an English vocabulary book.  But I strongly recommend you to do these things to study English as well. I have some more advice on studying English but I will stop here for now.
During my time at Rikkyo, I have gained many useful skills and common sense for life as an adult. I am so pleased to have studied and lived here with my wonderful friends, moreover I was lucky enough to have teachers who looked after me as my own parents, and I always felt safe and secure. Rikkyo is my second home, even once I leave here. I am looking forward to coming back here as an old boy one day. ” Be the person who other people want to rely on and feel not want to leave from their side” . Miss Umeda, my modern Japanese teacher told me in our final lesson and I was impressed with the phrase very much. I do not feel like I am that person yet, so I will gain more knowledge at University and become the person she described and the person I want to be.
Last of all, I would like to say thank you to my classmates, older students who have graduated already, younger students, all the teachers, kitchen staffs, and cleaning ladies. If it were not for their support, I would not be the person I am today. I will not forget all six years’ of your support and I will not let it go to waste in the future.  I also want to say huge thank you to my parents. They worked very hard to pay for expensive tuition fees for six years and the occasional visits to the UK to see me. I will go to King’s College London, so they will still have to work hard for a few more years for me.  I would like to help their job in my spare time and I will help and be dutiful to my parents for the rest of my time.
Thank you for your patience throughout my long speech and I will see you again soon.
Thank you very much.

この学校に五年間ほどいた僕は多くのことを学んだ。勉強、生活態度、人間関係。それだけではないけれど。とりあえず多くのことを。今でもそうかもしれないが、どうしようもない僕を少しは変えてくれた。
印象に残っていること。やはり、立教生活初日。あの日だけ全てを思い出すことができる。けれどあの日は最悪。本当に最悪。同期の一つ下の後輩に指をさされ、『君、中一?』と聞かれ、英語ができるペテン師、いや悪魔?のせいで初日の就寝後に怒鳴られた。散々な目にあった。初日は最悪。
好きな行事。オープンデイ。準備期間は好きなことはできないし、くだらないことで喧嘩しちゃうし、たまに途中で何作っているのかわからなくなるし。つまらないことばかりだけど、当日だけは楽しいことだらけ。やはり、楽しいことだらけだと人生はつまらないのだろう。苦しかったり、つまらなかったりする日々を乗り越えた後の楽しさは格別。それを認識させてくれるのがオープンデイ。すばらしさはそれだけではないけれど。
些細なことで人は変われる。それは本当。僕にとって些細なことは「数学」。この学校にきて、苦手で嫌いな数学を好きになった。中一の三学期に僕はこの学校に入学したが、それまでほとんど勉強はしてこなかった。けれど、数学を好きになってから、僕は数学の勉強だけはそこそこやった。今でも僕の得意科目。自分を変えてくれるきっかけを見つけることはとても難しいけれど、やはり探そうとする姿勢は大事。さらに立教生は一人ではない。ここ立教では生徒や先生がすぐ横にいる。だから、探しものは見つかりやすい。
僕には好きな言葉がある。
「今、汝は画れり」
意味:自分で自分の見切りをつけるな
漢字:『いま』はnowの『今』、『なんじ』はyouの『汝』、『かぎ』は計画の『画』(計画の意味はない)
これは中国の昔の儒家、孔子の言葉。
この言葉は高二の冬に見つけた。立教では生活が限定されている。外には自由に出れないし、ネットは自由に使えないし。自由が制限されている。でも、その中で自分に見切りをつけずに生きていき、自分があらゆる可能性を持っていると思うことは立教生活に大きな意味を与える。それは人生においても同じだと思う。自分が本当にやりたいことがあるなら、周りからどんな反対があっても、しっかりその誠意を見せつつ、貫き通してください。全てを投げ捨てる価値があるなら、捨ててください。しっかりと考えた判断なら絶対に後悔はしない。投げ捨てた僕が保証します。

手紙
目の前、ビデオ越しにいる高三へ
二回目になる人もいるけれど、久しぶり。二学期が終わってから、ほとんど君達とは連絡をとらなかった。受験があったし。
二学期が終わった後の受験生活の中で辛い時はもちろんあった。その時僕は自分の事でいっぱいになるけど、少し時間が経つと君達を思い返す。楽しかったなとか。行事また一緒にやりたいなとか。戻りたいなとか。何してるのかなとか。すると自然と手はログアウトしたはずのSNSに手が伸びる。そのようなことが三回くらい。僕は何かあると君達を考えてしまう。君達は僕にとってそういう存在。
僕達はオープンデイや合唱コンなどの行事に熱をそそいだ。そういう行事では僕達は団結して大きくなる。大きくなるたびに僕達は一人一人成長する。それが僕にはたまらなかった。でも、行事の話だけではなく、たまにだらける。いや、たまにじゃないかも。結構な頻度で。僕達は崩れる。その度に自分に対しても色々と腹立たしくなるけど、その内僕の気は収まる。僕達はメリハリがあるのか、ないのかよくわからない。僕達は僕にとってそういう存在。
もし君達全員が絶体絶命のピンチで、もしその状況から救うことができる手立てを持つヒーローが僕だったとしても、僕は君達を助けない。なぜなら、君達は僕と切磋琢磨生活してきたのだから。僕がもしヒーローなら、君達もヒーロー。僕がその手立てを持つなら、君達もその手立てを持つ。そのはず。かなり極端な例だけれども、僕達はそんな関係だと思う。ほんのそこらの人達とは違う。僕達は僕にとってそういう存在。
そんな僕達はもうバラバラ。もうあの日々は帰ってこない。だから、もう僕達がどういう存在かを認識することはおそらくもうない。悲しいけれど、時間が僕達が一緒にいることを許してくれない。仕方がない。
最後に言う。僕は君達が応援してくれた以上に、僕は君達の目指すものを応援します。辛くなった時、周りをみてください。どこかに僕達がいます。いつでも支えてくれる僕達がいます。そんな僕達です。ありがとう。恥ずかしいから、こんなことはあんまり言いたくないけど、僕は君達が好きです。君達は僕の人生を変えてくれた。ほんとうにありがとう。

2014年の春、私はこの立教英国学院の大家族の一員となった。これから始まる新しい生活に胸を弾ませていた。初めの一週間はこの環境に慣れるので精一杯でとても大変だった。
中一は鮒田、石橋、小池、森岡、大石、新貝、わたしの七人でスタートした。初めの頃は女子が三人しかおらず、まだどう接したらいいのかわからなくて、一学期に一回は絶交していた。
立教に来て、はじめての行事は球技大会だった。私はドッチボールを選んだ。まだ新しい生活についていけず、戸惑いを隠しきれなかったが、たくさんの先輩達が優しく接してくれて、球技大会当日はもちろん、練習の時もとても楽しむことができた。
二学期になって、中澤が新入生として加わった。自分よりも新しい人が来て、もう自分は新入生ではないのだと実感した。
初めてのオープンディでは経験者が一人しかおらず、模型の作り方も模造紙の書き方も、裏紙の貼り方も何もかもが初めてで何から手をつけていいのかすらわからなかった。
テーマはさるかに合戦。作業期間中、放課後一度ドミトリーにシャワーを浴びに帰ったら教室に戻らないでドミトリーで汗だくになりながら鬼ごっこをしていた。当時副担任だった齊藤先生を何度も呼びに来させた。今思えば放課後に作業をしないなんて考えられない。
三学期の合唱コンクールは旅立ちの日に、を歌った。伴奏などすべて高一の先輩たちに任せっきりで、ただ言われたように歌って、指摘されたところを直すだけだった。その時は高一の先輩たちがとても大きくて大人に見えた。
中二になって山本が来た。今では考えられないくらい静かで、話しかけても「おう」というばかりだった。そして、どの行事にも二回目の、という文字がつくようになった。
中二のオープンデイのテーマは「ゆるキャラ」だった。一度経験したからか、去年よりはみんなのやる気が上がった気がした。先輩たちの作品を参考にしながら黙々と作業を進めていった。実をいうと当時の中三の去年のアイディアを少し頂戴した。私と同じくらいの大きさのふなっしーの模型を作ったり、写真が撮れる場所を作ったり、中一の時に比べたらだいぶ完成度があがった。でもやっぱり九人では限界があった。背景には絵を描かずまっ黄色でぬりつぶした。その代わりにたくさんの工夫をした。結果はなんと、総合三位!想像以上の成績にみんながとても喜んだ。これが今年のオープンディへのやる気へと繋がったのかもしれない。
三学期の合唱コンクールではアンパンマンマーチを歌った。練習も本番もとても楽しくて、これもいい思い出になった。
中二の三学期で新貝君が立教を離れることになった。二年間ではじめて経験する別れでこの時、仲間は入ってくるだけじゃなくて、いなくなることもあるのだと思った。新貝君のお別れ会をした。みんなで歌って踊って、騒いで、一人ずつメッセージを言った。その夜はドミトリーでみんなで号泣した。
中三になった。帰宅帰寮名簿を書くときにあ然とした。星野、小泉、栗原、髙濵、鶴岡が入ってきた。続いてドミトリー表をみてまたあ然とした。新入生2人と私だけ。二年間この学校で生活して来たはずなのに、全く新しい世界に来たようだった。何を話したらいい?どう接したらいい?これからこの人たちとうまくやっていけるか?はじめは、一気に倍以上にも増えた女子の数にただ圧倒されるだけで、怖かった。そんな自分にもイライラしていた。元メンと新入生で完全に固まってしまっていた。正直、中二の頃に戻りたい、中二のメンバーのままで中三に上がりたいと心から思っていた。
しかし、その思いは、球技大会、アウティング、ウィンブルドン、ホームスティなど数々の行事を通じて徐々に薄れていった。特に、オープンディは元メンと新入生との壁をなくす最大のきっかけだった。
三度目になるオープンディは、二学期からはいってきた速水、呉、大川を新入生として迎え計十六人で作業に取り掛かった。夏休み前に決めていたテーマを二学期になってからいきなりポケモンに変えた。放課後に当番制で作る裏紙が去年よりずっと早いスピードで溜まっていった。体育館班と教室班に分ける時もこんなに人数がいたのか、と驚いた。去年のふなっしーの何倍もの大きさのリザードンを作り、背景にはそれぞれちゃんとたくさんお店の絵を描いた。話し合いの時に、ほんとにこんなに沢山の模型ができるのか?こんなに沢山の背景が描けるのか?と不安になったことが嘘みたいだった。みんながみんな、自分たちの作品に手応えを感じていた。そして、結果は堂々の総合第一位!とても嬉しかった。みんなで舞台に上がってくす玉を割ったことはきっとこの先も、大切ないい思い出として残るだろう。
三学期には、遠藤、途中から来た草野、鴨志田をあわせて十九人になった。
今年の合唱コンクールで私は伴奏をすることになった。ピアノが弾けなくて、放課後の練習の時に何回も伴奏が止まってしまってもちゃんと練習にきてくれて、とても嬉しかった。ありがとう。コンクール前日の夜、小池とコンクールのことでケンカをして泣きそうになった。「そんな文句があるならもう出なくてもいいよ。」本当にそう思っていた。でも、当日出番が終わってみると、やっぱり全員で歌えてよかったな、と思うことができた。
そして、今日は中学生でいられる最後の日。私たちの中学校生活はまだ、スタートしたばかりだと思っていた。楽しかった。本当にあっという間だった。こんなことを思えるのは、優しくしてくれた先輩達や、いつも支えてくれた副担任だった齊藤先生、齋藤先生、金子先生や他の先生方のおかげだ。でも一番は小川先生がいたからだろう。
小川先生は、自習中に紙飛行機を飛ばした時も、密菓子がばれたときも、椅子を投げて壊して窓から破片を投げ捨てたときも、下級生のドミトリーにドミ侵してベットを折った時も、いつもちゃんと怒ってくれた。いつも、私たちのくだらない冗談につきあってくれた。クラスのことに一生懸命になってくれた。中一のとき期末のあと、近くの森や丘に散歩につれていってくれた。期末期間中に質問したいと言えば、文句を言いながらも十二時までつきあってくれた。オープンディで模型の作り方を教えてくれたのも、合唱コンクールでアンパンマンのマーチを歌おうと言い出したのも小川先生だった。
中一から中二に、中二から中三に上がるたびに、「担任、また先生なのか」といっているけれど、みんな内心は「先生で良かった、高校生になってもずっと先生が担任がいい。」と思っているのだ。恥ずかしくて普段はちゃんと言えないけれど、先生がいないところでみんなそう言っている。私の人生の中で一度しかない中学校生活の中で担任の先生は一人しかいない。それが小川先生で良かったと思う。来年になれば、新しい仲間がたくさん増えて、もしかしたらクラスがわかれてしまうかもしれない。わかれて欲しくない。このクラスの一員になれてよかった。私はなんだかんだいって、このクラスが好きだ。そして、小川先生が大好きだ。
来学期から私たちは高校生になる。高校生は、中学生と比べたら勉強量は多いし、期末の教科数も多くなる。後輩よりも先輩とよばれるほうが多くなる。そして、次第に学校を引っ張っていく存在になる。また、たくさん入ってくる新しい仲間とうまく付き合っていかなければならない。そんな中で私はこの、中学三年間で学んだことや、経験したことを活かしながら、これから先の高校三年間をより充実したものにしていきたいと思う。
三年間ありがとうございました。そして、こんな私たちですが、これからもよろしくお願いします。

「立教に入ってみる?」
これが一番最初に母に言われた言葉です。そのとき、僕は、気安く
「別にいいよ」
と言ってしまいました。しかし、あとから寮生活だと気づいて、びっくりしました。家族から離れるなんて少し厳しいと思いましたが、やめようと思ってももう手遅れでした。
入学試験の日がやってきました。緊張しましたが、結構、受かる自信がありました。試験が終わってすぐ友達ができました。こんなに早くできるとは思ってもみませんでした。今も友達です。
いよいよイギリスへ旅立つ日がきました。ぴしっとしたワイシャツとズボン、そしてネクタイを身につけての出発でした。
着くと、先輩方がたくさんいて、僕は一番の年下でした。後輩がいないのが少し残念でした。僕のドミトリーは日本と違って、レンガだらけでした。結構新しく作られたと思ったら、1980年代と言われ、びっくりしました。
僕のドミトリーのメンバーは、小五と中一でした。アンパッキングが終わり、昼食の時間になりました。家で、ナイフとフォークの練習をしてきたので、その成果を見せてやろうと思ったのに、食べ物が切れなかったり、床に落としそうになったりして、大変でした。今は大丈夫です。
食事が終わり、入学式が始まりました。母は後ろで座っており、ずっと僕のことを見つめていました。僕は、聖歌を歌ったり、校長先生から、バッジをもらったりしました。特別な学校だなあと感じました。
授業が始まり、普通の生活も始まり、だんだんと慣れてきました。やがて、部活にも入り、たくさん仲の良い先輩ができました。もちろん、全てがうまくいったわけではなく、問題も起きました。例えば、先輩に生意気なことをしてしまったり、言うことを聞かなかったり、テーブルマナーがきちんとしていなかったりして、注意されたこともありました。
今もそうです。でも大丈夫です。中学生になったら、成長します。見ていてください。
僕は、この二年間で、勉強の仕方、人と一緒に暮らす力を身につけてきました。僕が立教に入ったのは、こういう力が将来に役立つと思ったからです。最初は親と離れるのはいやでしたが、先輩方と一緒に生活するのも楽しいと思いました。
今まで、僕のことを支えてくれた家族、担任の先生、先輩方、ありがとうございました。これから中学生になったら忙しくなります。期末試験もあります。勉強することが多くなるでしょう。後輩もでき、自分が先輩らしくならなければいけないので、人にあまえずに頑張りたいと思います。そして、自分の思い通りにいかなくなることも増え、わがままを捨てなければいけないと思います。それはとても難しいことだと思います。だからみなさん、僕もみなさんのことを応援しますので、僕のことも応援してください。

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