2014年の春、私はこの立教英国学院の大家族の一員となった。これから始まる新しい生活に胸を弾ませていた。初めの一週間はこの環境に慣れるので精一杯でとても大変だった。
中一は鮒田、石橋、小池、森岡、大石、新貝、わたしの七人でスタートした。初めの頃は女子が三人しかおらず、まだどう接したらいいのかわからなくて、一学期に一回は絶交していた。
立教に来て、はじめての行事は球技大会だった。私はドッチボールを選んだ。まだ新しい生活についていけず、戸惑いを隠しきれなかったが、たくさんの先輩達が優しく接してくれて、球技大会当日はもちろん、練習の時もとても楽しむことができた。
二学期になって、中澤が新入生として加わった。自分よりも新しい人が来て、もう自分は新入生ではないのだと実感した。
初めてのオープンディでは経験者が一人しかおらず、模型の作り方も模造紙の書き方も、裏紙の貼り方も何もかもが初めてで何から手をつけていいのかすらわからなかった。
テーマはさるかに合戦。作業期間中、放課後一度ドミトリーにシャワーを浴びに帰ったら教室に戻らないでドミトリーで汗だくになりながら鬼ごっこをしていた。当時副担任だった齊藤先生を何度も呼びに来させた。今思えば放課後に作業をしないなんて考えられない。
三学期の合唱コンクールは旅立ちの日に、を歌った。伴奏などすべて高一の先輩たちに任せっきりで、ただ言われたように歌って、指摘されたところを直すだけだった。その時は高一の先輩たちがとても大きくて大人に見えた。
中二になって山本が来た。今では考えられないくらい静かで、話しかけても「おう」というばかりだった。そして、どの行事にも二回目の、という文字がつくようになった。
中二のオープンデイのテーマは「ゆるキャラ」だった。一度経験したからか、去年よりはみんなのやる気が上がった気がした。先輩たちの作品を参考にしながら黙々と作業を進めていった。実をいうと当時の中三の去年のアイディアを少し頂戴した。私と同じくらいの大きさのふなっしーの模型を作ったり、写真が撮れる場所を作ったり、中一の時に比べたらだいぶ完成度があがった。でもやっぱり九人では限界があった。背景には絵を描かずまっ黄色でぬりつぶした。その代わりにたくさんの工夫をした。結果はなんと、総合三位!想像以上の成績にみんながとても喜んだ。これが今年のオープンディへのやる気へと繋がったのかもしれない。
三学期の合唱コンクールではアンパンマンマーチを歌った。練習も本番もとても楽しくて、これもいい思い出になった。
中二の三学期で新貝君が立教を離れることになった。二年間ではじめて経験する別れでこの時、仲間は入ってくるだけじゃなくて、いなくなることもあるのだと思った。新貝君のお別れ会をした。みんなで歌って踊って、騒いで、一人ずつメッセージを言った。その夜はドミトリーでみんなで号泣した。
中三になった。帰宅帰寮名簿を書くときにあ然とした。星野、小泉、栗原、髙濵、鶴岡が入ってきた。続いてドミトリー表をみてまたあ然とした。新入生2人と私だけ。二年間この学校で生活して来たはずなのに、全く新しい世界に来たようだった。何を話したらいい?どう接したらいい?これからこの人たちとうまくやっていけるか?はじめは、一気に倍以上にも増えた女子の数にただ圧倒されるだけで、怖かった。そんな自分にもイライラしていた。元メンと新入生で完全に固まってしまっていた。正直、中二の頃に戻りたい、中二のメンバーのままで中三に上がりたいと心から思っていた。
しかし、その思いは、球技大会、アウティング、ウィンブルドン、ホームスティなど数々の行事を通じて徐々に薄れていった。特に、オープンディは元メンと新入生との壁をなくす最大のきっかけだった。
三度目になるオープンディは、二学期からはいってきた速水、呉、大川を新入生として迎え計十六人で作業に取り掛かった。夏休み前に決めていたテーマを二学期になってからいきなりポケモンに変えた。放課後に当番制で作る裏紙が去年よりずっと早いスピードで溜まっていった。体育館班と教室班に分ける時もこんなに人数がいたのか、と驚いた。去年のふなっしーの何倍もの大きさのリザードンを作り、背景にはそれぞれちゃんとたくさんお店の絵を描いた。話し合いの時に、ほんとにこんなに沢山の模型ができるのか?こんなに沢山の背景が描けるのか?と不安になったことが嘘みたいだった。みんながみんな、自分たちの作品に手応えを感じていた。そして、結果は堂々の総合第一位!とても嬉しかった。みんなで舞台に上がってくす玉を割ったことはきっとこの先も、大切ないい思い出として残るだろう。
三学期には、遠藤、途中から来た草野、鴨志田をあわせて十九人になった。
今年の合唱コンクールで私は伴奏をすることになった。ピアノが弾けなくて、放課後の練習の時に何回も伴奏が止まってしまってもちゃんと練習にきてくれて、とても嬉しかった。ありがとう。コンクール前日の夜、小池とコンクールのことでケンカをして泣きそうになった。「そんな文句があるならもう出なくてもいいよ。」本当にそう思っていた。でも、当日出番が終わってみると、やっぱり全員で歌えてよかったな、と思うことができた。
そして、今日は中学生でいられる最後の日。私たちの中学校生活はまだ、スタートしたばかりだと思っていた。楽しかった。本当にあっという間だった。こんなことを思えるのは、優しくしてくれた先輩達や、いつも支えてくれた副担任だった齊藤先生、齋藤先生、金子先生や他の先生方のおかげだ。でも一番は小川先生がいたからだろう。
小川先生は、自習中に紙飛行機を飛ばした時も、密菓子がばれたときも、椅子を投げて壊して窓から破片を投げ捨てたときも、下級生のドミトリーにドミ侵してベットを折った時も、いつもちゃんと怒ってくれた。いつも、私たちのくだらない冗談につきあってくれた。クラスのことに一生懸命になってくれた。中一のとき期末のあと、近くの森や丘に散歩につれていってくれた。期末期間中に質問したいと言えば、文句を言いながらも十二時までつきあってくれた。オープンディで模型の作り方を教えてくれたのも、合唱コンクールでアンパンマンのマーチを歌おうと言い出したのも小川先生だった。
中一から中二に、中二から中三に上がるたびに、「担任、また先生なのか」といっているけれど、みんな内心は「先生で良かった、高校生になってもずっと先生が担任がいい。」と思っているのだ。恥ずかしくて普段はちゃんと言えないけれど、先生がいないところでみんなそう言っている。私の人生の中で一度しかない中学校生活の中で担任の先生は一人しかいない。それが小川先生で良かったと思う。来年になれば、新しい仲間がたくさん増えて、もしかしたらクラスがわかれてしまうかもしれない。わかれて欲しくない。このクラスの一員になれてよかった。私はなんだかんだいって、このクラスが好きだ。そして、小川先生が大好きだ。
来学期から私たちは高校生になる。高校生は、中学生と比べたら勉強量は多いし、期末の教科数も多くなる。後輩よりも先輩とよばれるほうが多くなる。そして、次第に学校を引っ張っていく存在になる。また、たくさん入ってくる新しい仲間とうまく付き合っていかなければならない。そんな中で私はこの、中学三年間で学んだことや、経験したことを活かしながら、これから先の高校三年間をより充実したものにしていきたいと思う。
三年間ありがとうございました。そして、こんな私たちですが、これからもよろしくお願いします。

「立教に入ってみる?」
これが一番最初に母に言われた言葉です。そのとき、僕は、気安く
「別にいいよ」
と言ってしまいました。しかし、あとから寮生活だと気づいて、びっくりしました。家族から離れるなんて少し厳しいと思いましたが、やめようと思ってももう手遅れでした。
入学試験の日がやってきました。緊張しましたが、結構、受かる自信がありました。試験が終わってすぐ友達ができました。こんなに早くできるとは思ってもみませんでした。今も友達です。
いよいよイギリスへ旅立つ日がきました。ぴしっとしたワイシャツとズボン、そしてネクタイを身につけての出発でした。
着くと、先輩方がたくさんいて、僕は一番の年下でした。後輩がいないのが少し残念でした。僕のドミトリーは日本と違って、レンガだらけでした。結構新しく作られたと思ったら、1980年代と言われ、びっくりしました。
僕のドミトリーのメンバーは、小五と中一でした。アンパッキングが終わり、昼食の時間になりました。家で、ナイフとフォークの練習をしてきたので、その成果を見せてやろうと思ったのに、食べ物が切れなかったり、床に落としそうになったりして、大変でした。今は大丈夫です。
食事が終わり、入学式が始まりました。母は後ろで座っており、ずっと僕のことを見つめていました。僕は、聖歌を歌ったり、校長先生から、バッジをもらったりしました。特別な学校だなあと感じました。
授業が始まり、普通の生活も始まり、だんだんと慣れてきました。やがて、部活にも入り、たくさん仲の良い先輩ができました。もちろん、全てがうまくいったわけではなく、問題も起きました。例えば、先輩に生意気なことをしてしまったり、言うことを聞かなかったり、テーブルマナーがきちんとしていなかったりして、注意されたこともありました。
今もそうです。でも大丈夫です。中学生になったら、成長します。見ていてください。
僕は、この二年間で、勉強の仕方、人と一緒に暮らす力を身につけてきました。僕が立教に入ったのは、こういう力が将来に役立つと思ったからです。最初は親と離れるのはいやでしたが、先輩方と一緒に生活するのも楽しいと思いました。
今まで、僕のことを支えてくれた家族、担任の先生、先輩方、ありがとうございました。これから中学生になったら忙しくなります。期末試験もあります。勉強することが多くなるでしょう。後輩もでき、自分が先輩らしくならなければいけないので、人にあまえずに頑張りたいと思います。そして、自分の思い通りにいかなくなることも増え、わがままを捨てなければいけないと思います。それはとても難しいことだと思います。だからみなさん、僕もみなさんのことを応援しますので、僕のことも応援してください。

「あなたはあなたでいいんだよ。」
この言葉は僕が4年生の時、母に言われた大切な言葉です。

そのころの僕は、テストがうまくいかなかったり、先生にしかられたりして自信をなくしていました。それに比べて、となりの席の友達は、人気者で何でもできていました。僕が
「友達のように人気者で失敗しないようになりたいな。」
と家でつぶやくと、母が言いました。
「あなたはあなたでいいんだよ。」
僕はその一言に元気をもらいました。その言葉のおかげで、それまでだるくて体が重く感じていたのが、楽になったような気がしました。もうだめだ、何もしたくないと思う気持ちが、何でも自分らしく挑戦してみようと思う気持ちにガラリと変わりました。そのあと、僕も自信をもって自分らしく、なんでも取り組んでみることにしました。すると、だんだんとテストの点は上がり、少しずつ成功することも増えていきました。

僕は今でも、この言葉に元気をもらっています。例えば5年生の時に年上の人からあまり嬉しくない事を言われて、僕が僕じゃない人だったらなぁと思ったことがありました。ですが、この言葉を思い出して、がんばろうと思うことができました。

これからも、この言葉に頼ることがあるかもしれませんが、いつかは頼らずにがんばる強さを身につけたいです。

(小学部6年生 男子)

「人は見た目で判断してはいけない。」
その言葉を聞いたとき、まるで、頭の中の僕の中の今までの考え方が一瞬にして新しくなってしまった気がしました。自分がこの一言で、大きく成長するとは思っていませんでした。それから決して忘れられない言葉になりました。

4年生の日のことでした。僕は母と一緒にスーパーに行きました。すると、怖い顔をした人がいたので、
「あの人の顔、怖くない。」
と母に言ったその時でした。
「人は見た目で判断してはいけない、心のやさしさで判断するものだよ。」
と母は今までなかったまじめな顔で言いました。

母が言った言葉の意味は、言われたときは分かりませんでした。しかし、新たな学期が始まって新しいクラスになったときのことです。いつも不機嫌そうな人がいました。怖そうな人だったのでしゃべりにくかったけれど、いざ話してみると、思っていたよりも優しい人だったのです。

このとき、母が言った言葉の本当の意味が分かりました。たしかに見た目に関係なく、その人が優しい人だったり何でも頑張る人だったりしたら、僕もその人を認めるということに気づいたからです。

それまでの僕は、人に対して失礼なことを言ってしまうことがよくありました。特に小学校ではそうでした。よく考えてみると、そのようなことを言っても自分には何もよいことはありません。もしこの言葉を知らなかったら、その後もきっと口から出てしまっていたと思います。

この母の一言のおかげで自分が大きく成長したように感じました。これからもこの言葉を忘れないようにしようと思います。

(小学部6年生 男子)

今回は、小学生最後のアウティングでした。そう思うと、悲しくなります。その前の日はすごくわくわくしていました。

最初は何と、マダムタッソーに行きました。そこに入ってみると、
「うそ、本物の有名人がいる。」
と思って、よく見てみると、実は蝋人形でした。ここは、たくさん有名な人の蝋人形が置いてある場所でした。

しかし、困ったことにほとんどの人の名前が分かりませんでした。分かるとしてもジョニーデップやボルトやアメリカ大統領のトランプさんぐらいです。その蝋人形と一緒に写真を撮りました。次のコーナーに行ってみると、シャーロックホームズの場面が出てきました。僕は、女性のお医者さんの顔が怖かったです。そして、数分後、あるシャーロックホームズに出てくる男の人にすごく怒られました。きっと遊びでやっているのだろうと思いましたが、それにしてもその怒っている顔が少し面白かったです。先へ進んでみると、乗り物がありました。急に怖い場面から、楽しそうな場面に変わったので、よかったです。その乗り物に乗ると、歴史みたいな感じで流れていきました。これで終わったと思ったら、次は、マーベルに出てくる、アイアンマンやスパイダーマンの蝋人形がありました。かっこよかったです。そこで10分ぐらいの映画を見ました。その映画は4Dでした。今まで、3Dしか見たことがなかったので、楽しみでした。実際に見てみると、飛び出してきたり、水がかかったりして面白かったです。もちろん、映画も戦い系だったので、それも面白かったです。見終わったら、スターウォーズの展示もあったのですが、時間がなかったのでゆっくり見られず、少し残念でした。

いよいよ、次の場所へ出発します。行き先は、ピカデリーサーカスです。そこに着くと、まるで新宿みたいでした。でも、本当の目的の場所は、大英博物館です。そこは無料なので、とてもお得だと思いました。僕たちが見たのはエジプトのミイラや有名なロゼッタストーンです。本物が見られるからすごいと思いました。(もしかしたら、僕が書いた日記が千年後ぐらいに見つかるかもしれません。いや絶対に見つかります。)他にも日本についての展示場所に行きました。そこには縄文時代から、だいたい現代までのものが並んでいました。一番驚いたのは、縄文土器です。なぜかというと、全く割れていなかったからです。少し疑ってしまいました。面白いと思ったのは、零円のお札の絵があったことです。僕にはなぜ描いたのか少し疑問でしたが、本物が発見されて、それが展示してあるなんてすごいなあと思いました。もちろん、無料で見せることもです。

その後、夕食でした。何を食べたかというと、ハンバーガーです。もちろん専門店です。僕なりの考えでは、町でよく見かけるお店のものとは比べものになりません。すごく美味しかったです。具体的に言うと、ベーコンとバーベキューソースが特に美味しかったです。ちなみに、昼食もそうでした。お昼のお店の名前は、Patty&Bun、夜に食べたお店は、Big Fernandでした。

今回は、小学生最後のアウティングでしたが、前よりももっとよい思い出になりました。特に面白かったところは、大英博物館の日本のコーナーです。動画などでは見たことがあったのですが、実物で見たことはあまりなかったのでそう思いました。中学生になってもアウティングを楽しみたいと思います。今回は本当に楽しかったです。やはり立教に入って正解だと思いました。

(小学部6年生 男子)

3月4日(土)、2016年度卒業終業礼拝が執り行われました。小学部2名、中学部19名、高等部50名、計71名の門出です。高等部3年生の生徒の多くは大学受験のため日本に帰国していますが、卒業式に参列するために18名の生徒が帰寮しました。

礼拝が始まりました。初めに聖歌、式文の唱和、そして中学部3年の卒業生による聖書朗読。礼拝の流れはいつもと大きく変わらぬ進行ですが、卒業式としての独特で厳粛な空気の中で式は進んでいきます。

卒業証書授与に先立ち、校長先生から当日のチャペルに飾ってあるひな人形についての話があります。第1回卒業生のうち2名が、日本にいて卒業式に参列出来ない友達を代表してはるばるイギリスの地に運んでくれたそうです。以来、毎年その場所から静かに式を見守っていてくれます。普通の学校だったら、皆が集まるはずの卒業式。しかし異国の地にある本校では、受験生全員が再び集まることはできません。ひな人形は、そんな受験帰国生の思いを乗せる、そして卒業式に臨む生徒達が日本で頑張る仲間のことを思う、そんな大切な役割をもって飾られているのです。

元気な声で答える小学6年生、義務教育を終え、すっかり頼もしくなった中学3年生、そして名実ともに大人になった高校3年生。順番に名前がよばれ、証書を受け取っていきます。3つの学校の卒業式が一度に行われるのは本校ならでは、そしてそれを誰もが心の底から祝えるほど関係が密になっているのも本校ならではです。彼らが皆大家族として生活してきた集大成が、この式に表されていると感じました。

式の終盤には各卒業生代表によるスピーチもあります。小学6年生は得意の英語で立教で成長したことを語ってくれました。中学3年生は思春期の大切な3年間をずっと支えてくれた担任の先生について語ってくれました。高校3年生は2名。英語と日本語によるスピーチでこの学校でしかできない経験を自分の一生の力としたこと、この学校だからできたかけがえのない友への思いを語ってくれました。彼らのスピーチを聞いていると、先生達もつい顔がほころび、また涙がこみ上げて来ます。生徒たち、卒業生たちもまた同じです。共有している時間が長いからこそだと思います。立教の大家族の元から巣立っていく卒業生達と、後を任された先生と生徒達の間に絆を感じることができた卒業礼拝でした。

三学期が始まって最上級生になった。全然実感がなかった。少ないときには後輩が二人しかいなかった私が、いつの間にか先輩を持たない学年にまでなって、アコライトにまで任命され、同学年の子がテーブルマスターをしている。三学期になって何もかもに違和感があり少し戸惑っていた。でも新鮮でもあった。

例年通り三学期は合唱コンクールから始まる。ああまたか、どうせ男子は来ないだろう、1位は高校1年生かなとか、私にとってこの行事はプラスに考えることはできないものだった。高校2年生は最初、誰も何の曲を歌うかすらはっきり知らなくて、「コスモス」に決まったもののすぐに曲を変えて、「愛唄」で再スタート。指揮者の練習も始まってきちんとできると思いきや、パートごとに歌にばらつきがあったりだとか、とにかく本番までぐだぐだが続いた。もめることもいっぱいあった。

こういうことがあった中で、迎えた本番。よく考えてみると今回の合唱コンクールで最後なのかと本番を目の前にして実感し、驚いた。もう立教生活での”最後”というカウントダウンが始まってしまったのか。寒さのせいか緊張のせいか、震えがとまらなくなった。今までなんとなく歌っていたこの曲の歌詞と今の自分の状況を合わせてみると、この歌を通して立教生みんなに感謝の気持ちを伝えたいと思った。震えてもこの歌で、私の声で伝えたい。

「ただ泣いて笑って過ごす日々に、隣に立っていれることで、僕が生きる意味になって」
この曲は恋愛の曲だけれど、このサビの部分は立教にぴったりだと思った。歌っていて、終わってほしくなかった。楽しくて、早くて、感動して泣きそうにもなった。いつかこの曲を聴いたとき、今を良い思い出として思い出すだろう。カウントダウンを一つ一つ良い思い出になるように残りの立教生活を過ごしていきたい。

(高等部2年生 女子)

今日のフラワーアレンジメント部の活動では、少しいつもと違う空気が流れていました。高校2年生の部員にとって、今日が最後の活動日、引退の日だからです。

フラワーアレンジメント部は毎週金曜日に活動をしています。入部したその時から、金曜日は美術室に行って作品を創り続けてきた部員たち。特に部長は中学1年生のころから5年間、その生活を続けてきました。毎年3学期のこの時期に先輩を見送ってきた自分が、今度は見送られる側になる。今日まで長かったように思えて、実はとてもあっという間だったのではないでしょうか。今週の学校は、高校2年生の部員たちの様々な思いが込められた最後の作品たちによって、より一層華やかに彩られることでしょう。

私は英語が好きです。そして英語を使って海外の方々とコミュニケーションをとることが好きです。決して英語が得意というわけではありませんが、英語を話すことに抵抗はありません。それは幼いころから海外の方々と交流することが多かったからではないかと思います。

英語が好きということは小学校の頃から変わりませんが、英語に対する考え方は学年が上がっていくたびに変わってきています。特に印象に残っているのは、中学3年生の夏に参加したカナダ語学研修です。親の付き添いなしで海外に行くことは初めてで、今まで何回も通ったことのある税関で緊張したことを今でも覚えています。カナダでの生活は初めてのことばかりで新鮮でとても楽しく過ごせました。後悔する場面は何回もありました。思ったことをすぐ言葉にしてレスポンスすることができませんでした。話したい話題が頭の中に何個も浮かんでいるのに、相手が何を話しているのか理解できているのに、自分のボキャブラリー不足で話が途切れ、後悔したことが何度もありました。それで、英語が得意でなくても英会話ができればよいという考え方に変わりました。せっかく海外の方と話す機会があるのに、自分の言葉が詰まって話が途切れてしまうのはもったいないと思ったのです。それから、こういう時は英語で何というのかなとよく考えるようになりました。

この学校に来てから英語に触れる機会が増えたことで、英検2級やKET、PETに合格することができました。そしてなによりもそれが自信につながっています。今年はそれをもっと活かして、英検準1級などにも挑戦したいと思います。

(高等部2年生 女子)

私にとって最後のアウティングとしてロンドンのマダムタッソーとミュージカルを観に行きました。

最初に行ったマダムタッソーは、日本のお台場にもある人形館で、ずっと行きたいと思っていたのに、まさか本家に先に行けるとは思っていなかったので、行く前から昂奮していました。中に入ると、別世界のようにキラキラした空間に圧倒されました。人形は本当に細かく作られていて、止まっている人と人形と区別がつかないほどでした。私はそこで、マリリン・モンローやワンダイレクション、ビートルズ、そして今話題のドナルド・トランプなど数々の著名人と馴れ馴れしく写真を撮ってきました。最後には、シャーロック・ホームズのアトラクションがあり、死体のクオリティーや、セットの細かさに感心しました。

夜は、ミュージカルを観に行きました。今回観たのはディズニーのアラジンです。どうやってジーニーやしゃべる鳥などを表すのかと思っていたけれど、すべて人でやっているにも関わらず、むしろディズニーのアニメより高い完成度で、さすがイギリスだなと思いました。歌やダンスも、キラキラしていて、初めてミュージカルをみた私にとって衝撃でした。

ラストのアウティングは私にとって最高の思い出となりました。この感動をずっと忘れたくない、と思います。

(中学部3年生 女子)

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