「あなたはあなたでいいんだよ。」
この言葉は僕が4年生の時、母に言われた大切な言葉です。

そのころの僕は、テストがうまくいかなかったり、先生にしかられたりして自信をなくしていました。それに比べて、となりの席の友達は、人気者で何でもできていました。僕が
「友達のように人気者で失敗しないようになりたいな。」
と家でつぶやくと、母が言いました。
「あなたはあなたでいいんだよ。」
僕はその一言に元気をもらいました。その言葉のおかげで、それまでだるくて体が重く感じていたのが、楽になったような気がしました。もうだめだ、何もしたくないと思う気持ちが、何でも自分らしく挑戦してみようと思う気持ちにガラリと変わりました。そのあと、僕も自信をもって自分らしく、なんでも取り組んでみることにしました。すると、だんだんとテストの点は上がり、少しずつ成功することも増えていきました。

僕は今でも、この言葉に元気をもらっています。例えば5年生の時に年上の人からあまり嬉しくない事を言われて、僕が僕じゃない人だったらなぁと思ったことがありました。ですが、この言葉を思い出して、がんばろうと思うことができました。

これからも、この言葉に頼ることがあるかもしれませんが、いつかは頼らずにがんばる強さを身につけたいです。

(小学部6年生 男子)

「人は見た目で判断してはいけない。」
その言葉を聞いたとき、まるで、頭の中の僕の中の今までの考え方が一瞬にして新しくなってしまった気がしました。自分がこの一言で、大きく成長するとは思っていませんでした。それから決して忘れられない言葉になりました。

4年生の日のことでした。僕は母と一緒にスーパーに行きました。すると、怖い顔をした人がいたので、
「あの人の顔、怖くない。」
と母に言ったその時でした。
「人は見た目で判断してはいけない、心のやさしさで判断するものだよ。」
と母は今までなかったまじめな顔で言いました。

母が言った言葉の意味は、言われたときは分かりませんでした。しかし、新たな学期が始まって新しいクラスになったときのことです。いつも不機嫌そうな人がいました。怖そうな人だったのでしゃべりにくかったけれど、いざ話してみると、思っていたよりも優しい人だったのです。

このとき、母が言った言葉の本当の意味が分かりました。たしかに見た目に関係なく、その人が優しい人だったり何でも頑張る人だったりしたら、僕もその人を認めるということに気づいたからです。

それまでの僕は、人に対して失礼なことを言ってしまうことがよくありました。特に小学校ではそうでした。よく考えてみると、そのようなことを言っても自分には何もよいことはありません。もしこの言葉を知らなかったら、その後もきっと口から出てしまっていたと思います。

この母の一言のおかげで自分が大きく成長したように感じました。これからもこの言葉を忘れないようにしようと思います。

(小学部6年生 男子)

今回は、小学生最後のアウティングでした。そう思うと、悲しくなります。その前の日はすごくわくわくしていました。

最初は何と、マダムタッソーに行きました。そこに入ってみると、
「うそ、本物の有名人がいる。」
と思って、よく見てみると、実は蝋人形でした。ここは、たくさん有名な人の蝋人形が置いてある場所でした。

しかし、困ったことにほとんどの人の名前が分かりませんでした。分かるとしてもジョニーデップやボルトやアメリカ大統領のトランプさんぐらいです。その蝋人形と一緒に写真を撮りました。次のコーナーに行ってみると、シャーロックホームズの場面が出てきました。僕は、女性のお医者さんの顔が怖かったです。そして、数分後、あるシャーロックホームズに出てくる男の人にすごく怒られました。きっと遊びでやっているのだろうと思いましたが、それにしてもその怒っている顔が少し面白かったです。先へ進んでみると、乗り物がありました。急に怖い場面から、楽しそうな場面に変わったので、よかったです。その乗り物に乗ると、歴史みたいな感じで流れていきました。これで終わったと思ったら、次は、マーベルに出てくる、アイアンマンやスパイダーマンの蝋人形がありました。かっこよかったです。そこで10分ぐらいの映画を見ました。その映画は4Dでした。今まで、3Dしか見たことがなかったので、楽しみでした。実際に見てみると、飛び出してきたり、水がかかったりして面白かったです。もちろん、映画も戦い系だったので、それも面白かったです。見終わったら、スターウォーズの展示もあったのですが、時間がなかったのでゆっくり見られず、少し残念でした。

いよいよ、次の場所へ出発します。行き先は、ピカデリーサーカスです。そこに着くと、まるで新宿みたいでした。でも、本当の目的の場所は、大英博物館です。そこは無料なので、とてもお得だと思いました。僕たちが見たのはエジプトのミイラや有名なロゼッタストーンです。本物が見られるからすごいと思いました。(もしかしたら、僕が書いた日記が千年後ぐらいに見つかるかもしれません。いや絶対に見つかります。)他にも日本についての展示場所に行きました。そこには縄文時代から、だいたい現代までのものが並んでいました。一番驚いたのは、縄文土器です。なぜかというと、全く割れていなかったからです。少し疑ってしまいました。面白いと思ったのは、零円のお札の絵があったことです。僕にはなぜ描いたのか少し疑問でしたが、本物が発見されて、それが展示してあるなんてすごいなあと思いました。もちろん、無料で見せることもです。

その後、夕食でした。何を食べたかというと、ハンバーガーです。もちろん専門店です。僕なりの考えでは、町でよく見かけるお店のものとは比べものになりません。すごく美味しかったです。具体的に言うと、ベーコンとバーベキューソースが特に美味しかったです。ちなみに、昼食もそうでした。お昼のお店の名前は、Patty&Bun、夜に食べたお店は、Big Fernandでした。

今回は、小学生最後のアウティングでしたが、前よりももっとよい思い出になりました。特に面白かったところは、大英博物館の日本のコーナーです。動画などでは見たことがあったのですが、実物で見たことはあまりなかったのでそう思いました。中学生になってもアウティングを楽しみたいと思います。今回は本当に楽しかったです。やはり立教に入って正解だと思いました。

(小学部6年生 男子)

3月4日(土)、2016年度卒業終業礼拝が執り行われました。小学部2名、中学部19名、高等部50名、計71名の門出です。高等部3年生の生徒の多くは大学受験のため日本に帰国していますが、卒業式に参列するために18名の生徒が帰寮しました。

礼拝が始まりました。初めに聖歌、式文の唱和、そして中学部3年の卒業生による聖書朗読。礼拝の流れはいつもと大きく変わらぬ進行ですが、卒業式としての独特で厳粛な空気の中で式は進んでいきます。

卒業証書授与に先立ち、校長先生から当日のチャペルに飾ってあるひな人形についての話があります。第1回卒業生のうち2名が、日本にいて卒業式に参列出来ない友達を代表してはるばるイギリスの地に運んでくれたそうです。以来、毎年その場所から静かに式を見守っていてくれます。普通の学校だったら、皆が集まるはずの卒業式。しかし異国の地にある本校では、受験生全員が再び集まることはできません。ひな人形は、そんな受験帰国生の思いを乗せる、そして卒業式に臨む生徒達が日本で頑張る仲間のことを思う、そんな大切な役割をもって飾られているのです。

元気な声で答える小学6年生、義務教育を終え、すっかり頼もしくなった中学3年生、そして名実ともに大人になった高校3年生。順番に名前がよばれ、証書を受け取っていきます。3つの学校の卒業式が一度に行われるのは本校ならでは、そしてそれを誰もが心の底から祝えるほど関係が密になっているのも本校ならではです。彼らが皆大家族として生活してきた集大成が、この式に表されていると感じました。

式の終盤には各卒業生代表によるスピーチもあります。小学6年生は得意の英語で立教で成長したことを語ってくれました。中学3年生は思春期の大切な3年間をずっと支えてくれた担任の先生について語ってくれました。高校3年生は2名。英語と日本語によるスピーチでこの学校でしかできない経験を自分の一生の力としたこと、この学校だからできたかけがえのない友への思いを語ってくれました。彼らのスピーチを聞いていると、先生達もつい顔がほころび、また涙がこみ上げて来ます。生徒たち、卒業生たちもまた同じです。共有している時間が長いからこそだと思います。立教の大家族の元から巣立っていく卒業生達と、後を任された先生と生徒達の間に絆を感じることができた卒業礼拝でした。

三学期が始まって最上級生になった。全然実感がなかった。少ないときには後輩が二人しかいなかった私が、いつの間にか先輩を持たない学年にまでなって、アコライトにまで任命され、同学年の子がテーブルマスターをしている。三学期になって何もかもに違和感があり少し戸惑っていた。でも新鮮でもあった。

例年通り三学期は合唱コンクールから始まる。ああまたか、どうせ男子は来ないだろう、1位は高校1年生かなとか、私にとってこの行事はプラスに考えることはできないものだった。高校2年生は最初、誰も何の曲を歌うかすらはっきり知らなくて、「コスモス」に決まったもののすぐに曲を変えて、「愛唄」で再スタート。指揮者の練習も始まってきちんとできると思いきや、パートごとに歌にばらつきがあったりだとか、とにかく本番までぐだぐだが続いた。もめることもいっぱいあった。

こういうことがあった中で、迎えた本番。よく考えてみると今回の合唱コンクールで最後なのかと本番を目の前にして実感し、驚いた。もう立教生活での”最後”というカウントダウンが始まってしまったのか。寒さのせいか緊張のせいか、震えがとまらなくなった。今までなんとなく歌っていたこの曲の歌詞と今の自分の状況を合わせてみると、この歌を通して立教生みんなに感謝の気持ちを伝えたいと思った。震えてもこの歌で、私の声で伝えたい。

「ただ泣いて笑って過ごす日々に、隣に立っていれることで、僕が生きる意味になって」
この曲は恋愛の曲だけれど、このサビの部分は立教にぴったりだと思った。歌っていて、終わってほしくなかった。楽しくて、早くて、感動して泣きそうにもなった。いつかこの曲を聴いたとき、今を良い思い出として思い出すだろう。カウントダウンを一つ一つ良い思い出になるように残りの立教生活を過ごしていきたい。

(高等部2年生 女子)

今日のフラワーアレンジメント部の活動では、少しいつもと違う空気が流れていました。高校2年生の部員にとって、今日が最後の活動日、引退の日だからです。

フラワーアレンジメント部は毎週金曜日に活動をしています。入部したその時から、金曜日は美術室に行って作品を創り続けてきた部員たち。特に部長は中学1年生のころから5年間、その生活を続けてきました。毎年3学期のこの時期に先輩を見送ってきた自分が、今度は見送られる側になる。今日まで長かったように思えて、実はとてもあっという間だったのではないでしょうか。今週の学校は、高校2年生の部員たちの様々な思いが込められた最後の作品たちによって、より一層華やかに彩られることでしょう。

私は英語が好きです。そして英語を使って海外の方々とコミュニケーションをとることが好きです。決して英語が得意というわけではありませんが、英語を話すことに抵抗はありません。それは幼いころから海外の方々と交流することが多かったからではないかと思います。

英語が好きということは小学校の頃から変わりませんが、英語に対する考え方は学年が上がっていくたびに変わってきています。特に印象に残っているのは、中学3年生の夏に参加したカナダ語学研修です。親の付き添いなしで海外に行くことは初めてで、今まで何回も通ったことのある税関で緊張したことを今でも覚えています。カナダでの生活は初めてのことばかりで新鮮でとても楽しく過ごせました。後悔する場面は何回もありました。思ったことをすぐ言葉にしてレスポンスすることができませんでした。話したい話題が頭の中に何個も浮かんでいるのに、相手が何を話しているのか理解できているのに、自分のボキャブラリー不足で話が途切れ、後悔したことが何度もありました。それで、英語が得意でなくても英会話ができればよいという考え方に変わりました。せっかく海外の方と話す機会があるのに、自分の言葉が詰まって話が途切れてしまうのはもったいないと思ったのです。それから、こういう時は英語で何というのかなとよく考えるようになりました。

この学校に来てから英語に触れる機会が増えたことで、英検2級やKET、PETに合格することができました。そしてなによりもそれが自信につながっています。今年はそれをもっと活かして、英検準1級などにも挑戦したいと思います。

(高等部2年生 女子)

私にとって最後のアウティングとしてロンドンのマダムタッソーとミュージカルを観に行きました。

最初に行ったマダムタッソーは、日本のお台場にもある人形館で、ずっと行きたいと思っていたのに、まさか本家に先に行けるとは思っていなかったので、行く前から昂奮していました。中に入ると、別世界のようにキラキラした空間に圧倒されました。人形は本当に細かく作られていて、止まっている人と人形と区別がつかないほどでした。私はそこで、マリリン・モンローやワンダイレクション、ビートルズ、そして今話題のドナルド・トランプなど数々の著名人と馴れ馴れしく写真を撮ってきました。最後には、シャーロック・ホームズのアトラクションがあり、死体のクオリティーや、セットの細かさに感心しました。

夜は、ミュージカルを観に行きました。今回観たのはディズニーのアラジンです。どうやってジーニーやしゃべる鳥などを表すのかと思っていたけれど、すべて人でやっているにも関わらず、むしろディズニーのアニメより高い完成度で、さすがイギリスだなと思いました。歌やダンスも、キラキラしていて、初めてミュージカルをみた私にとって衝撃でした。

ラストのアウティングは私にとって最高の思い出となりました。この感動をずっと忘れたくない、と思います。

(中学部3年生 女子)

高校3年生が学校にいないとこんなにも静かになるのかと思うくらい、しんと静まり返った立教。最高学年という実感もあまりわかないまま、とうとう高2の3学期が始まってしまった。私たちが立教生として行う行事も今学期からは一つ一つがラストになる。

そんな3学期が始まって1週間経った週末、カルタ大会に続いて合唱コンクールがラストを迎えた。結果は金賞。やっと最高学年らしい結果を出せた。当たり前だ。見ていた人はきっとそう思っただろう。しかし、少なくとも私は、そんな気持ちではなかった。

高1の3学期、合唱コンクールリハーサルの日。歌詞は見ないとわからない。15分しかないリハーサルでふざけている。生徒会には、こんなんじゃ本番に出したくないと言われた。状態が状態だったから、私の頭には言い返す言葉も、お願いだから出させてほしいという思いも全く生まれなかった。結局は本番に出させてもらえたものの、当時の高2のクオリティーの高さや、皆の団結力に圧倒されて終わった。賞は一つも取れなかった。

そして高2になり、合唱コンクールの練習が始まった。練習初日、昨年練習に集まらなかった人達がちゃんと集まっていた。それだけで感動した。しかし、そんな感動もつかの間、問題は起こった。約1週間しかない練習期間の内2日が過ぎた日の夜、男子の目論見によって歌う曲が変わった。女子が少ないこの学年では、いくら女子が反論しても多数決を取れば負ける。そんなことはみんな分かっていることだったから、女子は文句ひとつ言わない。というより言えなかった。練習の空気が重たかった。

それでも、少ない練習期間で、曲は着実に完成へと向かっていった。途中ヴァイオリンを入れたり、ラップ部分は聖歌指導の4人のソロにしたり、曲がしっかり私たちの学年のものになっていくのを感じた。

だから、私たちの金賞は、高2だから、最高学年だから、と当たり前に取った賞ではない。オープンデーで逃した総合優勝のように、後輩達に追い越される可能性が十分にあった私たちが取った金賞であったから、その紙一枚の賞状がとても嬉しかったのだ。そしてもし時間が戻せるなら、あの、笑顔が自然とこぼれるくらい楽しかった本番をもう一度したい、もう一度歌いたいと、そう思う。

私たちのラストの始まりは、いかにも私達らしくあったが、しっかりとラストにふさわしいものになったと強く感じた。

(高等部2年生 女子)

立教英国学院に入学して、初めてのアウティングに行った。行く前は、どこに行くのかもうっすらとしか聞けなくて、色々心配だった。しかし、当日になってみんながワクワクしている様子を見て、私も楽しみに思った。

バスに乗って、ロンドンに着いた。バスを降りると、おしゃれで明るい町の雰囲気を感じた。班の友達と美味しそうなピザ屋さんに入り、食事を楽しんだ。お金を出すのに慣れなくて苦労したが、店員さんが助けてくださった。焼きたてのピザは本当に美味しくて、幸せに感じた。

次に行った「マダムタッソー」というところでは有名な役者さん、スポーツ選手、政治家や偉人たちのろう人形と写真を撮った。びっくりするほど人形はリアルで、作った人の技術に感心した。その後、シャーロック・ホームズのゲームを楽しんだり、4Dのアトラクションを楽しんだ。最近の進んだ技術をたっぷり経験できて、心から「来て良かったなあ」と思えた。

その後、少し買い物やお茶をして、次に行ったのはアラジンのミュージカルだ。ミュージカルを観るのは初めてだったし、とても良い席だったのですごくワクワクした。観て思ったことは、スケールが違いすぎる!ということ。音楽の美しさ、役者さんたちの声量や演技力、ダンスのキレやダンサーさんたちの優雅な舞、そして部隊セットの大がかりさ。全てがとっても美しかった。特に私が一番好きなシーンはアラジンとジャスミンが空飛ぶじゅうたんに乗って「ホール・ニュー・ワールド」を歌うところだ。うっとりするほど、歌声も設備もきれいだった。英語が早口で分からなかったところもあるが、出演者たちのはじける笑顔やダンスを見て、見ている側まで笑顔になり、幸せな気分になれた。私もアラジンやジャスミンのように人への思いやりを忘れずに、笑顔で明るく、ユーモアを持って美しく生きようと思った。

(中学部3年生 女子)

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