高校3年生が引退し、メンバーも新しくなったバレーボール部。
今学期の対外試合は、オープンデイ終了後、立て続けに2試合がありました。

メインはBede’s Cup。全5チームがリーグ形式で戦い、順位を競います。
意気込むメンバーですが、ひとつ問題が。Bede’s Cupは男女ミックスのチームでの出場がルールです。日頃男子チーム、女子チームそれぞれが別々に練習しているバレーボール部としては、ミックスは不慣れ。加えて、3年生が抜けたことでチームの戦力は大幅ダウン。メンバーには中学生も多くいます。新メンバーでスタートしたばかりでのミックスは、練習からなかなか足並みが揃わず、男女両キャプテンは頭を抱えていました。それでも、頑張っている生徒たちをできるだけ多く出したいと、なんとか2チームを作り、参加することになりました。

午後2時、試合開始。やはり慣れていない選手たちは緊張し、足が動かず、サーブも決まらず、思うようにプレーできません。自然と声も小さくなり、試合はほとんどがシーソーゲームとなりました。しかし、キャプテンを始め、昨年からのメンバーが中心となり、穴をカバー。時には動けない選手をかばうかのように、広い範囲を縦横無尽に走り回り、ボールを拾い、攻撃につなげていきました。

結果は、見事1位と3位。新戦力の中で、結果を残せたことは大きな収穫です。しかしそれ以上に、自分たちの試合に満足していない選手たちを見ることができたのも、顧問の私にとっては収穫でした。
「自分たちのバレーをする」
試合では、必ず伝えていることです。相手に関係なく、自分たちのやってきたことを出し切ることに集中する。それがとても大切です。新メンバーで初めての試合では、それができなかった。だから、次の試合に向けてもう一度練習する。その姿勢が、バレーボール部を成長させていきます。

新生バレーボール部は、まだまだこれから。来学期はたくさん試合を組み、彼らの成長を観ていきたいとおもいます。

後輩たちの楽しそうな声が聞こえる。OPEN DAY準備期間が始まったそうだ。その光景を横目で見ながら勉強する私達。ふと昨年の思い出が蘇る。今年は、準備期間の残り3日から参加する。それを楽しみに、図書館で必死に勉強した。

OPEN DAY準備期間。私は、キッチンの係を選んだ。思った以上にハードワークで、インスタグラムの模型を作ったり、内装をしたりと忙しい日々が続いた。準備期間の思い出といえば、みんなで夜ブレイクに星を見に行ったことだ。サッカーグラウンドは、光があまりなく、数え切れないくらいの星があった。キレイだった。ふと、このような立教生活も残りわずかと考えてしまった。

OPEN DAY当日。忙しいの一言。キッチンは、ほぼ休む時間がなかった。チーズケーキ担当だった私は、ずっと笑顔で接客しなければいけなかった。そんな中でも、嬉しかったことがあった。それは、私たちが作ったチーズケーキを食べてくれた人が、「今までで一番美味しかった。」と笑顔で伝えてくれたことだ。これを言ってくれたのは、立教生だったが、外国人の方も何人も、感想をくれた。その度に、にやけが止まらなかった。

さらに、OPEN DAYの当日には、多くの英国人の友達が来た。UCLロンドン大学のプログラムや、サイエンスワークショップで出会った人達だ。数ヶ月ぶりに会ったが、夏休みの楽しい思い出が蘇った。久しぶりに会っても、緊張することなく話せて、良い友達を持ったなと思った。

こんな感じで、今年のOPEN DAYは、立教生より英国人の友達と過ごす時間が多かった。2年前、初めてのOPEN DAYを体験した時、2年後の自分の周りに英国人の友達がいるなんて考えてもなかった。立教英国学院に入って、このような貴重な体験ができて良かった。
OPEN DAYに立教生とあまり関わらなかった代わりに、あと1ヶ月は、悔いのないように、学年を問わず色々な立教生と話したい。

(高等部3年生 女子)

今年のオープンデイは特に思い出も作れず終わっていくんだろうな、と図書館で後輩のはしゃいでいる声を聞いて思っていた。去年とは違って自分には関係ないイベントに感じた。

補習期間が終わって、高校3年生がオープンデイ活動をするのはたったの2日間。しかし、この2日間はとても思い出深いものになった。正直オープンデイ準備が始まった時には、進路の事とかで、高校3年生の間に温度差が出てしまうのではないかと不安に思ったりもした。しかし、そんな不安は役職決めの時にはすっかり無くなっていた。準備が始まると、やっぱり今までのオープンデイや合唱コンクール・体育祭の時のように全員が盛り上がって積極的に行事に参加した。私はそんな高3の姿が好きだ。だから、皆の久々の楽しそうな笑顔が見れて、とても嬉しくなった。そんな笑顔で過ごした2日間もあっという間に終わり、オープンデイ当日も大成功だった。

きっと今回のオープンデイ準備期間中、受験の不安いっぱいで作業している人もいたと思う。そんな中、こんなにも良い思い出を作ってくれた高3全員に感謝している。
また、この補習期間やオープンデイ準備では、普段よりも人の頑張りをたくさん知った気がする。よく考えたら、24時間、毎日、人の頑張っている姿を見れるこの学校で、自分は良い刺激をもらえたと思う。

人が頑張っている姿を見て、自分も頑張ろうと思える。そんな環境が自然とできるこの学校は、素敵な学校だと思った。

(高等部3年生 女子)

両手にタレの付いた軍手。背中には青地に「祭」と書かれた赤の文字。耳からは僕が好きなRADWIMPSの曲が聴こえる。目の前には銀の金網にのった串刺しの肉とネギ。さらに顔を上げると、こっちを見てくる人、横を見れば自分と同じような青い職人。

思った以上に忙しかった。職人を離れられたのはラッフル(福引)に行った時と、先生にドラヤキをおごってもらいに行った時くらい。ラッフルは5年間やってもB賞すら取れない。人におごってもらったからか、ここで食べるのが最後だからか知らないが、そのドラヤキは妙に美味しかった。食券のパンや和菓子や飲物は全部人に頼んで買ってきてもらった。これもまた頼んだ女の子が可愛かったからか、ここで食べるのが最後だからか知らないが、どれも妙に美味しく感じた。大好きな「彩しらべ」を大嫌いな「抹茶せんべい」と間違えられたのはさすがに頭にきたが…

思った以上に、いや予想通りだったかもしれないが、楽しかった。焼くと、「今年は美味しい」、「ベリーナイス」、「ネギ美味しい」などの声が聞こえる。素直に嬉しかった。また、そんな風に思われる職人になったことも楽しかった。でも、この職人になれることが今回で最初で最後と思うと悲しい気持ちもした。

「職人」。良い響きだ。僕らには肉を焼く職人、ハケでタレを塗る職人、肉をお客さんに配る職人がいた。どれも良い職人。まさに縁の下の力持ちという職人だ。お客さんの為に、千本売り切るためにという皆の思いは、大きな団結力を生んだ。それは僕が久しく目にしていないものだったからか、眩しいものだった。

結局、僕たち職人はヤキトリを全部売り切った。しばらくして、経緯は忘れたが僕は手に唐揚げ棒を持って、白いテントの下の椅子に座っていた。さっきまで賑やかだった中庭も人が減った。もうこんな団結力を感じたり、オープンデイを経験したり、この賑やかだった中庭に人がいなくなって空虚な思いをしたりすることはない。何よりこんな風にヤキトリを焼くことはないし、この学年で何かをすることはない。唐揚げを一口食べた。美味しくなかった。少し冷めていたからか、少し水で濡れていたからか、美味しくなかった。こんなものいくらでも日本で食べられるのになぁ。もうこれからこの職人になることはない、僕はそう思っていた。

(高等部3年生 男子)

中学部1年の女子生徒は地元のガールガイズの活動に参加しています。さまざまな活動を通して、回数を重ねるごとに地元の子たちとの英語でのコミュニケーションも増えています。今回はガールガイズの友だちが出演するミュージカル「Annie」を見に外出しました。

シアターへ行くまでの車の中では、アニーのあらすじを読む、内容を知っている子の話を聞く、「最近あの子はガールガイズを休んでいるからミュージカルの練習を頑張っているのだと思う」という話をしたり、アニーの「tomorrow」を歌ったり、ミュージカル鑑賞の準備は万端です。ミュージカルが始まるとすぐに友だちの姿を舞台に見つけました。いつもとは違う友だちの姿に感動すると同時に、良い刺激を受けることができたことでしょう。英語でのミュージカル鑑賞は中学部1年生には難しすぎるのではないかと心配もありましたが、普段の英語学習や予習のお陰か、内容を理解しミュージカルを楽しむことができました。

公演は地元のアマチュア団体によるものでしたが、歌やダンス、セット、音楽などは、流石は演劇の本場イギリス、プロさながらのものでした。生徒たちは2時間以上の英語でのミュージカルに最後まで集中していました。イギリスでのミュージカル鑑賞はとても良い経験になったことでしょう。今後も英国の文化や社会に直接触れ合う機会を大切にしていきたいと思います。

皿並べが終わって、New Hallから出た瞬間、ぶるりと体を震わせた。寒い。風は微かながらも冷たく頬を撫でた。こんなに寒かったっけ。そう思いながら白板を見ると11月と書いてある。えっ、もうあと1ヶ月なのか。この学校から居なくなるまで。

2年前。高校1年生だった私。髪が短く、ネクタイも結ぶことが出来なかった頃。初めての事だらけでまごまごしていた。その時の自分を見る事が出来たのなら、きっと吹き出してしまうだろう。当時の、未来の事なんて微塵も考えていなかった、青い私だったから。

1年前。高校2年生だった私。髪は伸び、ネクタイも時間はかかるけれどなんとか結べるようになった頃。1年の差で思い出せることはかなり多くなる不思議。真ん中(高校生の中で)というのはひどく気が楽だ。慣れた私はいろんなことをした。楽しいことは今でも口元が緩んで、心が明るくなるし、愚かなことはナイフで切られたような感じがして、顔をしかめる。実に生々しく、私の中で生きている。いつでもほんのり熱を帯びていた私だった。

そして、今。髪は長く、他学年とは違う色のネクタイをしっかり締めている現在(いま)。本当に早かった。ほんとうに。大きい机でこれを書きながら、痛感する。これも最後、あれも最後。この作文だってそうなのだ。私は思う。こうやって書いているから思い出すことだって沢山あるけれど、これから先思い出すのだろうか… いや、きっとふとした、本当に何気ない瞬間に思い出すのだ。切ないような、安心したようなそんな心の中。

これから、したいこと。皆で星を見に行きたい。去年とても感動したのを思い出す。今回はまた違うように見えるのかな。きらきら光る星達の中で、今までの思い出、記憶達はより一層あざやかに、煌々と輝くだろう。そして時が経って、私が青くなくなったってそれは常に心で輝き続けることだろう。
そんな風に思いながら、冷たい頬に手を当てた。手はもう冷たくなくて、ほんのりと温かくなっていた。

(高等部3年生 女子)

ハロウィンも終わり11月も後半となりました。イギリスの街並みは早くもクリスマス一色。夜ともなればライトアップされたお店やイルミネーションで一層華やぎます。

立教のフラワーアレンジメント部ではクリスマスに向けてチャペル前に飾るリースを作りました。日本では毎年使える造花のリースをよく見かけますが、ヨーロッパではその年毎に生のリースを飾るのが一般的。中でも乾燥させたオレンジやシナモンなどのChristmas scentsを使ったリースは、爽やかな香りが広がりクリスマスの雰囲気を更に盛り上げてくれます。

チャペルにリースが飾られた日の朝、礼拝でチャプレンがリースの持つ意味をお話ししてくれました。リースは赤、緑、白を用いて作られることが多いのですが、それらの色は「キリストの血」「生命力」「純潔」をそれぞれ表しているのだそうです。またクリスマスの一か月前になると、教会では水平に置いたリースの上に、ろうそくを4本立て、毎週1本ずつ灯りをともしていきます。これをアドベント・クランツといいます。1本1本ろうそくに灯をともしながら心穏やかにクリスマスを待ち望む。生徒の作ったリースが、立教のクリスマスに素敵な彩を与えてくれることでしょう。

一学期の終業式が終わって、皆が日本やイギリスその他の国の、それぞれの自宅へ帰る頃、私を含む四人は、ホームステイ先の人の到着を今か今かと待っていた。しかし、今回の一番の目的は、ホームステイをするためではない。現地校へ「一週間の短期留学」をするためだった。今回の短期留学は、いつもの短期留学と違って、一人ずつバディーがつくわけではない。だから、正直英語を話すことができるか、友人をつくることができるか、とても不安だった。

学校に行く日、私の不安は的中した。実は、最初の二日間は、九月から入学してくる新入生のためのオリエンテーションだったので、「大学に行くために必要となるGCSEという試験のAレベルを取るにはどうしたらいいか」、そんな内容が大半で、英語を話したり、友人を作ったりできるような雰囲気ではなかった。

二日間経って、私はこのままだとだめだと思った。私に残された数少ない日数をどうやって過ごすか、寝る前に考えたりもした。頑張ろうと自分を奮い立たせて迎えた三日目、一日目に少しだけ会話をしたことがある女の子がいて、「これはチャンスだ」と思って、思い切って話しかけてみた。その子も私のことを覚えていてくれたようで、私はホッとしたと同時に、勇気を振り絞って声をかけてみてよかったと思った。その日はその子以外にも友達ができ、その時に出来た友人とは今も連絡を取り合っている。

最初は、自分でこのプログラムに参加すると決めたはいいものの、いざ学校に行くと、もう帰りたいと思ったりもし、全然友人なんてつくれないと、ただただ焦っていた。だけどそんなことを考えるのはちっとも意味なくて、本当に英語を話したいとか、友人を作りたいって思うなら、自分から話しかけに行けるような積極性や、勇気をふりしぼることが重要だと再確認することができたと思う。そして、大学生になったら海外に留学したいと考えているので、それに向けての大きな第一歩となる経験を積むことができて、本当にためになったと思っている。

(高等部3年生 女子)

私のドミトリー(生徒が住んでいるところ)には、そこそこ大きな、角ばっていない三角形の池がある。その池は、決して綺麗とはいえないが、英国のお屋敷に居るような雰囲気を味わえるから、私は好きだ。

私は、よくその池の横の道を散歩する。特に用は無いけれど散歩する。それはその池にずっと前から住んでいるカモの家族が見たいからだ。
カモは、気ままに泳いだり、巣で寝たり、時にはどこかに遠出するときもあった。でも、私の中で一番思い出に残っているカモの出来事は、母ガモが卵を産み、それをかえして、家族が増えたことだった。

何年かに一度、カモはこの池の近くで繁殖し、のんびりと暮らすのだそうだ。
私はあと2ヶ月でこの学校を去る。そしてきっと大学に入って、社会人になって、老後を過ごすのだろうけれども、いつか、ドミトリーの横の池のことを思い出す日が来るだろうか。カモは子孫を絶やさずにまだパタパタと足を動かして泳いでいるのだろうか、と気になる日がいつか来るのだろうか。

今の私には見当はつかないけれど、きっとそういう日は来ると思う。だとしたら、この学校にある物や場所、そしてルールや出会った人たちでさえも、私には全て意味のある「モノ」になって来るような気がする。
そんな大切な場所とお別れするのは、とてもさみしいし、嫌だ。心が成長すればするほど「別れ」というものが痛いものに変わってくる。
だから私は、この先一生、精神的に大人にならないと決めた。

(高等部3年生 男子)

私の青春はきっとあの日から始まっていた。この学校に入学する時、父と一緒にロシア経由で来た。そこで事件が起きた。私と父がロシアに到着した時、既にロシアからイギリスへの飛行機は離陸した後だった。入学式の前日はイギリスの高級ホテルに一泊する予定だったが、そのホテルの予約を取り消した。父は近くにいたCAの人に英語で聞き、偶然私達と同じ予定だった日本人のサラリーマンの人にもいろいろ聞いていた。

その時私はまだ英語を習ったことがなかったので、近くの椅子に座り、頑張っている父を見ながら明日の入学式に間に合うのか不安に駆られていた。何時間か経ち交渉の結果、空港の近くのホテルに泊まる事になった。もともとは高級ホテルだったにもかかわらず、結局ビジネスホテルになってしまった。私はものすごく不機嫌そうにしていたと思う。しかしそれと同時に、臨機応変に動きその場を何とか乗り切った父の姿に憧れを持ったのも事実だ。きっと一人で入学式に行く事になっていたら、ただ一人で泣いていただけだろう。

そんな最悪の始まりだったが、学校に着いたらキラキラした先輩方が私を迎え入れてくれた。同じドミトリーの子ともすぐに仲良くなり、立教生活は楽しかった。

中学1年の3学期、私は学校を休んでいた。手術を受けていたからだ。私が病院で一人でいる時も、友達はずっと私とメールをしてくれた。その時どれだけ心が救われたことか、今でも忘れられない。そして中学2年になり私は学校に戻って来た。私は不安だった。少しの間でも離れていたら、自分のことを忘れてしまうかもしれないと思ったからだ。だがその不安はすぐに吹き飛んだ。友達も先輩もみんな笑顔で話しかけてくれた。自分のことを忘れていた人は一人もいなかったと思う。3学期に入って来た知らない人までも私の事を知っているぐらいだった。私はものすごく幸せな環境にいるのだと実感した。

中学3年の頃は、高校になって新入生に来て欲しくないとみんなで言っていた。中3は男女共に仲が良く、とてもいいクラスだった。だからその雰囲気を変えて欲しくなかった。高校1年になり最初は戸惑いもあったが、今ではすっかり消えている。むしろこの学年で良かったとしょっちゅうみんなで話している。

私の青春はここ立教英国学院で過ごした6年間だ。思い出を思い出そうとしたらこの紙に収まらないくらいたくさん出てくる。中学・高校の6年間の内、半分くらいは親元を離れ寮生活を送って来た。もちろん辛いことも悲しいこともたくさんあった。しかしその分、嬉しいこと楽しいこと、そしてたくさんの学びもあった。この学校に行くと決めたのは誰でもない、私だ。6年間たった今、後悔はしていない。そんな学校で私の青春を過ごせたことに感謝している。

お父さん、お母さん、先生方、先輩、友達、後輩も、みんなありがとう。残り1ヶ月で私の青春は幕を閉じるが、ハッピーエンドで終わりそうだ。

(高等部3年生 女子)

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