3学期が始まり、ちょうど1週間経った。児童生徒もだんだんと落ち着き、いつもの光景が学校に戻ってきたように思える。毎年、そうしたタイミングで学校行事の「全校センター英語受験」が実施される。日本で本番を受験している高校3年生を除き、小学生から高校2年生までの全校生徒がセンター試験の英語問題に挑戦する。

毎年、嬉しく思うのは、小中学生の中からも、
「あの問題正解していた!」
「問○の答って△だよね?」
という会話がちらほら聞こえてくることだ。正解した喜びはもちろん、日常の授業の成果が手に取って感じられた瞬間なのだと思う。

一方で、高校生は、
「昨年に比べ○点得点が上昇した。」
「今年は△点だった。」
など現実的な話が多い。受験生としての意識が芽生え始めているのだとすると、これも喜ばしい話である。

今年の最高点は高校1年生の194点。115点を取った中学1年生もいた。日ごろ、日本の学校より「英語」に触れる機会が多い立教英国学院の生徒たち。近年、社会的にも英語の必要性が声高に叫ばれ続け、国際化を推進していく流れは益々加速している。この地で体得したツールを将来様々な場所で存分に発揮してもらいたい。

私は、今回の冬休みに東京芸術劇場へコンサートを聴きに行った。このコンサートは、私にとって初めての少年合唱団のクリスマスコンサートであった。私はクリスマスコンサートと言えば、ベートーベンの交響曲第九番とかシャンパルティエの真夜中のミサをオーケストラで演奏しているイメージを持っていたので、演奏を聴くまでは合唱と音楽が少しおとなしすぎるのではないかと思っていた。

でも、イタリアの有名な作曲家ジュリオ・ガッチーニ作のアヴェ・マリアを聞いたとき、私はさっきまでの考えを恥ずかしいと思った。なぜならば、その高声が本当に天に昇りそうなほど高く、そして美しかったからだ。そのほかにもフランスで十六世紀に作られたとされる有名な曲「荒野の果てに」や、この少年合唱団芸術監督であり、名誉オルガニストでもあるユーゴ・ギュラティエレスが編曲した「クリスマスは来たれり」などもふんわりとやさしいオルガンの音と、厚い高らかなボーイズ・ソプラノがあわさって、まさしく「芸術」であった。

そんな芸術を生みだした合唱団を少し知りたくなって家に帰って調べてみたら、なんと彼らは”パリの十字架少年合唱団”又は平和の使者と呼ばれている、世界で最もすばらしい少年合唱団なのだということが分かった。そして、80ヶ国以上を飛びまわる彼らたちとは、少しにている気分を立教では味わえる気がした。

(中学部2年生 女子)

主にイギリス在住組は昼頃から帰寮し、
日本を中心とする飛行機便は夕方に学校に到着。
久しぶりの友人や先生との再会に、どこか新鮮な空気が漂います。
しかし、新鮮なことはこれだけではありません。
高3が受験のため帰寮しないので、実質高2が最上級生となり、
学校内には新しい風が吹き、新鮮な雰囲気があります。
そんな高2の早速の仕事は、始業礼拝を執り行うアコライトの仕事。
まだ見慣れない衣装や、ぎこちない仕事ぶりが初々しさを感じます。
そして始まった始業礼拝。
立教英国学院理事長のお話があり、理事長ご自身も寮生活をした体験も交えながら
寮生活で育んだ友人は一生の付き合いになるであろうことや
立教英国学院というすばらしい環境の中で
来てよかったと思うような学校生活を送れるように日々を過ごしてほしいことをお話されました。
今学期の新入生は中1が一人、中3が一人、高1が一人の計3名が増え、
立教生の証であるバッジが手渡されました。
高3がいなくなった後、どのように新たな立教を作っていくのか。
それは高2以下後輩たちにかかっています。
短い学期でありながら、行事の多い3学期。
その3学期をどのように活躍していくのか、今後に期待が高まります。

7月18日、ケンブリッジ大学でのサイエンス・ワークショップ初日は、Welcome and Orientationで始まりました。まだ生徒は緊張した面持ちでしたが、昼食をきっかけに少しずつ打ち解けていくのがわかりました。夕食後には日本の生徒たちが主催で、日本語講座や学校紹介、書道体験を行いました。英語で話すことに緊張しましたが、準備の甲斐あってとても盛り上がって終わりました。

翌日から各グループに分かれての専門的なプロジェクトがスタート。活動場所はそれぞれ異なり、遠くのラボまで暑い中歩いていくグループ、タクシーで移動するグループなどさまざま。立教生はそれぞれ、航空機エンジンのブレードデザイン、放射線、ナノ粒子(金を見つける)の3つのプロジェクトに参加しました。講義はもちろん英語、作業は最新の実験装置を使うなど、終始全力で集中しなければなりません。夕方には「先生、大変です。予想以上に難しいです。グループに立教生がいないのも辛いです。」なんて弱音も聞きました。大変なのはどの生徒も一緒、弱音を吐いている場合ではありません。「自分で希望してこの場にいるのだからがんばりなさい。」と叱咤激励。

落ち込んでいても、夜の交流の時間にはあっという間に笑顔になりました。それもそのはず、ダンスにゲーム、プレゼント交換で盛り上がらないわけがありません。プロジェクトに取り組むときとは全く別の表情で和気あいあいと楽しい時間を過ごしました。

プロジェクト三日目、今日どれだけ作業できるかが成果を左右する重要な日です。どのプロジェクトも朝から気合が入っています。イギリスの夏は比較的涼しいのですが、今日の日差しは強く、東京と同じくらい暑い日でした。夕方からは運動着になって公園に出かけ、言語の壁を超えて皆笑顔でスポーツを楽しみました。

プロジェクト四日目、次第に終わりが近づいてきます。午前中はケンブリッジ大学の学生のプレゼンテーションを聞きました。明日の自分たちの発表の参考に、さらには自分の将来の参考になるように、皆、熱心に聞いていました。午後はケンブリッジの市内観光。予約していたパンティングもケンブリッジならではの体験です。楽しい時間はあっという間に過ぎて、夜にはいよいよ最終プレゼンテーションの準備の時間となりました。どのグループも予定どおりに作業が進まず、焦っています。夜中まで作業を続けるグループもありました。

そんな中迎えた発表当日は、天気にも恵まれ、明るい雰囲気と思いきや、皆、硬く険しい表情です。本番前のリハーサルではワークショップのオーガナイザーであるグレース先生のチェックが入ります。「ふらふらしない!はっきりしゃべる!画面を見ない!棒読みをしない!」次々に厳しい言葉が飛びます。立教生の一人はあまりの緊張で顔面蒼白。これが本番前のプレッシャーであり、完成度が高いものを求められるときに味わう苦労です。何度も入念に確認をして、迎えた本番ではどの生徒も堂々と発表を終えることができました。「発表後の質問にも自信を持って答えられました!」と弱音を吐いていた生徒も安心と達成感の笑顔で一杯でした。

ワークショップを締めくくるケンブリッジ最後の夜は、Clare Collegeのホールにて晩餐会です。日本の生徒たちはそのハリー・ポッターのような厳かな雰囲気に大興奮。長いテーブル、コース料理、歴史ある格調高いホール、すべてが初めての経験です。がんばった後のご馳走はより一層おいしかったのではないでしょうか。翌朝4時半出発にも関わらず、晩餐会は夜遅くまで続きました。

7月23日早朝、4時半に出発する日本の生徒たちの見送りに、英国の生徒たちも早起きをしてくれました。この一週間で国籍を問わず、たくさんの友人ができました。涙のお別れをして、ヒースロー空港に向かいます。立教生は空港で皆とお別れ。このワークショップを通して、立教生が寮生活に慣れていること、また人とのコミュニケーションに長けていること、思いやりがあることなど、良い面がたくさん見られました。もちろん英語や科学の勉強など課題もありますが、このワークショップが人としての成長の機会になったことが何よりです。今後の彼らの一層の成長に期待しています。

主にイギリス在住組は昼頃から帰寮し、
日本を中心とする飛行機便は夕方に学校に到着。
久しぶりの友人や先生との再会に、どこか新鮮な空気が漂います。
しかし、新鮮なことはこれだけではありません。
高3が受験のため帰寮しないので、実質高2が最上級生となり、
学校内には新しい風が吹き、新鮮な雰囲気があります。
そんな高2の早速の仕事は、始業礼拝を執り行うアコライトの仕事。
まだ見慣れない衣装や、ぎこちない仕事ぶりが初々しさを感じます。

そして始まった始業礼拝。
立教英国学院理事長のお話があり、理事長ご自身も寮生活をした体験も交えながら
寮生活で育んだ友人は一生の付き合いになるであろうことや
立教英国学院というすばらしい環境の中で
来てよかったと思うような学校生活を送れるように日々を過ごしてほしいことをお話されました。

今学期の新入生は中1が一人、中3が一人、高1が一人の計3名が増え、
立教生の証であるバッジが手渡されました。

高3がいなくなった後、どのように新たな立教を作っていくのか。
それは高2以下後輩たちにかかっています。
短い学期でありながら、行事の多い3学期。
その3学期をどのように活躍していくのか、今後に期待が高まります。

ケンブリッジ大学にて行われるサイエンス・ワークショップに、今年の夏も三名の生徒が立教英国学院を代表して参加しました。世界の最先端の科学を学び、日英の交流を深める役割を担います。日本からは京都教育大学附属高等学校、京都府立洛北高等学校、京都聖母学院高等学校、立命館守山高等学校、立命館宇治高等学校、京都大学ELCASから、それぞれ選抜された生徒が参加しました。まず最初にプレ・ワークショップを本校で行い、その後活動の拠点となるケンブリッジ大学に移動し、一週間のワークショップが始まります。

7月14日の夜、日本からの参加生徒が立教に到着、時差ぼけがある中で夕食を共にして、互いに自己紹介をしました。翌日は朝8時出発でロンドンに向かうという、日本からきた生徒にはハードスケジュールです。コーチに揺られ、ロンドン中心部へ向かいます。まずはUniversity College Londonにて大沼教授の講義を受講、午後はリンネ学会を訪問し、一般非公開の貴重な標本を見せていただきました。その後はRoyal Institutionでファラデーの自作電磁誘導コイルなどを見学、各グループで夕食をとりました。ロンドンに慣れていない日本の生徒に立教の生徒が案内を買ってでます。まだ出会ったばかりですが、夕食時には徐々に打ち解けて笑顔で会話する様子が見られました。

翌7月16日はロンドン二日目。コーチに乗って、Natural History Museumに向かいます。夏休みということもあり、入口には長蛇の列。とても大きな博物館なので、限られた時間の中でどこを回るかをよく考えなくてはなりません。館内は四つのゾーンに分かれており、地質学と鉱物のレッドゾーン、恐竜化石、動物、植物のグリーンゾーン、魚類、両生類、鯨の骨格標本、生命の多様性が展示されているブルーゾーン、そしてダーウィン・センターがあるオレンジゾーンです。各自で見て回るうちにあっという間に時間が過ぎていきました。午後はBritish Museumの見学。1759年に開館した歴史あるMuseumです。最後はTower Bridgeにて夕食を済ませ、ロンドンを満喫して帰宅の途につきました。

立教最後の7月17日の朝は、いつも通りダイニングホールで朝食を済ませ、学校を出発。まずはルイス・キャロルゆかりの地であるGuildfordへ。日本から来た生徒もこの街を気に入った様子で、各々お土産を購入し、観光を楽しみました。昼食は各自好きなレストランで腹ごしらえをしてからコーチに乗り込み、いざケンブリッジへ。この日からMurray Edward Collegeの嘉悦センターに宿泊します。ここで初めて、日本の生徒と英国の生徒が顔を合わせました。

この時にはまだ誰も、これから一週間どれだけハードで忙しくなるかということを理解していませんでした。

(後編に続く)

終業式が終わり高校3年生との別れをひとしきり惜しんだあと、生徒たちがぞくぞくと家族のもとへ帰っていくなか、中学3年の生徒たちだけが学校に残ります。高等部入学試験受験に向けた1週間の補習期間が始まったのです。

補習期間中は中3にとって初めてのことでいっぱいです。朝の当直も、体操も、行進のためのパーカッションも、礼拝のオルガン演奏も自分たちでやります。食事の時間を知らせる鐘も鳴らさなければいけません。全て、今まで先輩たちがやってくれていたことです。今までは先輩たちの指示通りにただ動いていればよかった。それが、補習期間中は自分たちで指示出しを行い、周りを動かしていかなければいけません。

この補習期間は入試に向けて勉強面での準備をしっかり行う期間であると同時に、これから高校生になるに向けて、自分たちが先輩として周りを引っ張っていくことができるよう心の準備をする期間でもあります。この補習期間が終わったとき、勉強面でも精神面でも大きく成長した皆の姿が見られることを期待しています。

聖歌の歌声と共に今学期の終業礼拝が始まる。高校三年生にとっては、ここでの学校生活を締めくくる節目の式だ。礼拝ではチャプレンの説教、表彰式、そして、今年度高校三年担任の倉品先生と渡邊先生による式辞が行われる。これが担任の先生から贈られる最後の言葉になるのだろう。彼らの中には、前々からこのスピーチを気にかけ、楽しみにしているものもいた。

「式辞、高校三年一組担任倉品衛」、その言葉で、倉品先生がスピーチ台に立ち、彼らとの三年間の思い出と担任としての思いを静かに語り始める。懐かしい過去をそれぞれが思い出し、くすりと笑う場面もあれば、その懐かしさにしんみりする場面もある。スピーチの終盤では涙を耐えきれず、漏らす声がチャペルに広がった。

渡邊先生のスピーチは、現在の高校三年生の生徒たちが中学生だったころに遡って始まった。忘れかけていた出来事が鮮やかに脳裏に蘇り、まるで中学時代のアルバムをめくっているようだった。球技大会、文化祭、カルタ大会、合唱コンクール、アウティングなどの沢山のイベントと共に当時の自分たちの様子や感情までも次々と湧き上がる。きっと全てが楽しいことばかりであったわけではない。しかし、それでも、ここで仲間や先生と共に過ごした生活は、彼らにとって掛け替えのないものになるのだろう。

式辞が終わった。涙を押し殺すことのできない声は大きくなっていく。彼らはもう、この立教英国学院で生活することはない。担任をはじめとする先生達、同級生の仲間、後輩たちの思いを背負って立教を巣立っていくのだ。仲間たちとの別れを惜しむ彼らの背中には、それでも新しい生活と未来に進んでいく逞しさを感じた。
三学期には高校二年生の生徒たちが新たなリーダーとなり、新しい立教英国学院が始まる。

12月2日、終業礼拝の前日、毎年恒例のキャロリングが行われた。この行事は、学校の近くにある高齢者向け居住施設、Elmbridge Villedgeに住む方々に、クリスマスソングや聖歌の歌声をプレゼントするものである。全校生徒がバスで移動し、舞台の上から観客の方々に十数曲にわたる曲目を披露する。年に一度のこのイベントをとても楽しみにして下さっているElmbridge Villedgeの方々も沢山いるということで、いい歌声を聴かせたいと今年も聖歌指導を中心に歌の練習を頑張ってきた。

聖歌指導というのは本校の礼拝を支える重要な役職である。ソプラノ、アルト、テノール、バスの4人からなり、高校2年生の3学期からキャロリングの日まで働いてもらう。彼らは毎週日曜日の主日礼拝の後に「こんにちは、聖歌指導です。」という挨拶から始まって、その週に歌う新しい聖歌、少し難しい聖歌の練習の指導をする。毎日の礼拝の歌声の善し悪しは彼らの手にかかっているのである。

今年の聖歌指導は元気いっぱいの4人だった。毎週の挨拶も、「こんにちは、聖歌指導です!!」と、「!」マークが2つはついているような元気の良さだった。そんな彼らがキャロリングに新しく選んだ曲は、『雪だるまつくろう』。ディズニーのアニメ映画、『アナと雪の女王』で歌われる楽しい曲である。楽しい曲を、楽しく指導。そんな雰囲気の中で、キャロリングの練習は行われていた。

そして迎えた本番。『神にはさかえ』『Frosty the snowman』『White Christmas』『もろびとこぞりて』『サンタが町にやってくる』『Happy Christmas』『みつかいの主なるおおきみ』『Carol of the Bells』『荒野のはてに』…そして『雪だるまつくろう』。この1年、礼拝でオルガニストをつとめた高校3年生による軽やかな伴奏、低学年の可愛らしい声、そして高学年の安定した声。全校生徒それぞれの力が合わさって作り上げられた素晴らしいパフォーマンスだった。途中かけ声が入ったり、舌を鳴らしたり。様々な工夫に富んでいて、観客の方々もとても楽しそうに聴いていた。最後に2曲、『Last Christmas』『Twelve Days of Christmas』を歌ってキャロリングは終了。キャロリング中、楽しげに口ずさむ観客の方々も沢山みられた。

終了後、Elmbridge Villedgeの方が「先生たちはこのような素晴らしい子供たちを誇りに思っていることでしょう。」とコメントして下さった。そのようなコメントをいただけてとても嬉しく思う。そして「もちろん、その通り。」と思った。みんなが楽しい気持ちになれるキャロリング。歌を一生懸命に歌った児童生徒、オルガニスト、そして聖歌指導の4人、楽しい時間をどうもありがとう。

みなさんは、11月のガイ・フォークス・デーという日を知っていますか。
日本のお盆や桜まつりのように、イギリスでは毎年晩秋の恒例行事になっているものです。今年は幸運なことに、この伝統的なおまつりに行くチャンスがおとずれましたので、小学6年生と中学1年生が遊びに行ってきました。

ガイ・フォークスは、16世紀に国会議事堂を爆破しようとして逮捕された人物です。この爆破未遂事件の背後にはイギリスの複雑な宗教事情が横たわっており、ガイ・フォークスを単純に悪者と言ってしまうのは難しいのです。が、未遂によってたくさんの人の命が助かったことを記念して、Guy Fawkes Dayという日が生まれました。11月の最初の週末には、村々で焚き火をたいてお祭りをするならわしです。ついでにガイ・フォークスの人形をつくって燃やしてしまいます。事前にクラスで、かんたんにガイ・フォークス・デーの勉強をすると、「逮捕された人を焚き火にくべて、お祭りにしちゃうの?」子どもたちはびっくりしていました。…そうですよね、21世紀とは思えぬ行事かもしれません…

小6と中1がおとずれたのは、地元CRANLEIGH村のGuy Fawkes Bonfireのお祭りでした。霜月を迎えて吐く息はまっしろ、大気に切られるような冷えきった夜。「さむいさむい」「凍っちゃうよ〜」とトントン足踏みをしながら、屋台で夕食を食べるのもまた楽しい。村の中央から、松明を持った人々がガイ・フォークスのパレードを始めると、一緒に歩いて村はずれに作られた枯れ木を積み上げた場所へ。見上げるような枯れ木の小山にあちこちから松明が投げかけられて、ポッポッと火がつき、みるみるうちに夜空に炎が燃え立ちました。炎の背後には、真っ暗な夜空に浮かんだ月。美しくて、なんとありがたい火なのでしょう。「暑い熱い」「まる焼きになっちゃうよ!」とわいわいしながら村の人達と焚き火にあたっているうちに、心までぽっかぽかになり、折よく夜空 に打ちあがった花火に興じました。日本では花火といえば夏の催しですが、夏は22時ぐらいまで明るいイギリス、花火は冬だからこその楽しみなのです。

国家をゆるがすガイ・フォークス事件をお祭りにするなんてびっくりですが、焚き火にあたって温まってくるうちにだんだん分かってきました。11月は農閑期。小麦の刈り取りが終わって、羊たちの放牧だけになって、枯れ木ばかりが目立つ寂しい風景と身を切られるような寒さの毎日が続きます。そんなきびしい季節の中で、村の人々が集って楽しむ恰好の理由になったのでしょう。晩秋のちょっとした村の楽しみだったような気がします。きっと昔は、焚き火のまわりで踊ったり、お酒を飲んだり、しゃべったりしたのでしょうね。

ページ
TOP