皿並べが終わって、New Hallから出た瞬間、ぶるりと体を震わせた。寒い。風は微かながらも冷たく頬を撫でた。こんなに寒かったっけ。そう思いながら白板を見ると11月と書いてある。えっ、もうあと1ヶ月なのか。この学校から居なくなるまで。

2年前。高校1年生だった私。髪が短く、ネクタイも結ぶことが出来なかった頃。初めての事だらけでまごまごしていた。その時の自分を見る事が出来たのなら、きっと吹き出してしまうだろう。当時の、未来の事なんて微塵も考えていなかった、青い私だったから。

1年前。高校2年生だった私。髪は伸び、ネクタイも時間はかかるけれどなんとか結べるようになった頃。1年の差で思い出せることはかなり多くなる不思議。真ん中(高校生の中で)というのはひどく気が楽だ。慣れた私はいろんなことをした。楽しいことは今でも口元が緩んで、心が明るくなるし、愚かなことはナイフで切られたような感じがして、顔をしかめる。実に生々しく、私の中で生きている。いつでもほんのり熱を帯びていた私だった。

そして、今。髪は長く、他学年とは違う色のネクタイをしっかり締めている現在(いま)。本当に早かった。ほんとうに。大きい机でこれを書きながら、痛感する。これも最後、あれも最後。この作文だってそうなのだ。私は思う。こうやって書いているから思い出すことだって沢山あるけれど、これから先思い出すのだろうか… いや、きっとふとした、本当に何気ない瞬間に思い出すのだ。切ないような、安心したようなそんな心の中。

これから、したいこと。皆で星を見に行きたい。去年とても感動したのを思い出す。今回はまた違うように見えるのかな。きらきら光る星達の中で、今までの思い出、記憶達はより一層あざやかに、煌々と輝くだろう。そして時が経って、私が青くなくなったってそれは常に心で輝き続けることだろう。
そんな風に思いながら、冷たい頬に手を当てた。手はもう冷たくなくて、ほんのりと温かくなっていた。

(高等部3年生 女子)

ハロウィンも終わり11月も後半となりました。イギリスの街並みは早くもクリスマス一色。夜ともなればライトアップされたお店やイルミネーションで一層華やぎます。

立教のフラワーアレンジメント部ではクリスマスに向けてチャペル前に飾るリースを作りました。日本では毎年使える造花のリースをよく見かけますが、ヨーロッパではその年毎に生のリースを飾るのが一般的。中でも乾燥させたオレンジやシナモンなどのChristmas scentsを使ったリースは、爽やかな香りが広がりクリスマスの雰囲気を更に盛り上げてくれます。

チャペルにリースが飾られた日の朝、礼拝でチャプレンがリースの持つ意味をお話ししてくれました。リースは赤、緑、白を用いて作られることが多いのですが、それらの色は「キリストの血」「生命力」「純潔」をそれぞれ表しているのだそうです。またクリスマスの一か月前になると、教会では水平に置いたリースの上に、ろうそくを4本立て、毎週1本ずつ灯りをともしていきます。これをアドベント・クランツといいます。1本1本ろうそくに灯をともしながら心穏やかにクリスマスを待ち望む。生徒の作ったリースが、立教のクリスマスに素敵な彩を与えてくれることでしょう。

一学期の終業式が終わって、皆が日本やイギリスその他の国の、それぞれの自宅へ帰る頃、私を含む四人は、ホームステイ先の人の到着を今か今かと待っていた。しかし、今回の一番の目的は、ホームステイをするためではない。現地校へ「一週間の短期留学」をするためだった。今回の短期留学は、いつもの短期留学と違って、一人ずつバディーがつくわけではない。だから、正直英語を話すことができるか、友人をつくることができるか、とても不安だった。

学校に行く日、私の不安は的中した。実は、最初の二日間は、九月から入学してくる新入生のためのオリエンテーションだったので、「大学に行くために必要となるGCSEという試験のAレベルを取るにはどうしたらいいか」、そんな内容が大半で、英語を話したり、友人を作ったりできるような雰囲気ではなかった。

二日間経って、私はこのままだとだめだと思った。私に残された数少ない日数をどうやって過ごすか、寝る前に考えたりもした。頑張ろうと自分を奮い立たせて迎えた三日目、一日目に少しだけ会話をしたことがある女の子がいて、「これはチャンスだ」と思って、思い切って話しかけてみた。その子も私のことを覚えていてくれたようで、私はホッとしたと同時に、勇気を振り絞って声をかけてみてよかったと思った。その日はその子以外にも友達ができ、その時に出来た友人とは今も連絡を取り合っている。

最初は、自分でこのプログラムに参加すると決めたはいいものの、いざ学校に行くと、もう帰りたいと思ったりもし、全然友人なんてつくれないと、ただただ焦っていた。だけどそんなことを考えるのはちっとも意味なくて、本当に英語を話したいとか、友人を作りたいって思うなら、自分から話しかけに行けるような積極性や、勇気をふりしぼることが重要だと再確認することができたと思う。そして、大学生になったら海外に留学したいと考えているので、それに向けての大きな第一歩となる経験を積むことができて、本当にためになったと思っている。

(高等部3年生 女子)

私のドミトリー(生徒が住んでいるところ)には、そこそこ大きな、角ばっていない三角形の池がある。その池は、決して綺麗とはいえないが、英国のお屋敷に居るような雰囲気を味わえるから、私は好きだ。

私は、よくその池の横の道を散歩する。特に用は無いけれど散歩する。それはその池にずっと前から住んでいるカモの家族が見たいからだ。
カモは、気ままに泳いだり、巣で寝たり、時にはどこかに遠出するときもあった。でも、私の中で一番思い出に残っているカモの出来事は、母ガモが卵を産み、それをかえして、家族が増えたことだった。

何年かに一度、カモはこの池の近くで繁殖し、のんびりと暮らすのだそうだ。
私はあと2ヶ月でこの学校を去る。そしてきっと大学に入って、社会人になって、老後を過ごすのだろうけれども、いつか、ドミトリーの横の池のことを思い出す日が来るだろうか。カモは子孫を絶やさずにまだパタパタと足を動かして泳いでいるのだろうか、と気になる日がいつか来るのだろうか。

今の私には見当はつかないけれど、きっとそういう日は来ると思う。だとしたら、この学校にある物や場所、そしてルールや出会った人たちでさえも、私には全て意味のある「モノ」になって来るような気がする。
そんな大切な場所とお別れするのは、とてもさみしいし、嫌だ。心が成長すればするほど「別れ」というものが痛いものに変わってくる。
だから私は、この先一生、精神的に大人にならないと決めた。

(高等部3年生 男子)

私の青春はきっとあの日から始まっていた。この学校に入学する時、父と一緒にロシア経由で来た。そこで事件が起きた。私と父がロシアに到着した時、既にロシアからイギリスへの飛行機は離陸した後だった。入学式の前日はイギリスの高級ホテルに一泊する予定だったが、そのホテルの予約を取り消した。父は近くにいたCAの人に英語で聞き、偶然私達と同じ予定だった日本人のサラリーマンの人にもいろいろ聞いていた。

その時私はまだ英語を習ったことがなかったので、近くの椅子に座り、頑張っている父を見ながら明日の入学式に間に合うのか不安に駆られていた。何時間か経ち交渉の結果、空港の近くのホテルに泊まる事になった。もともとは高級ホテルだったにもかかわらず、結局ビジネスホテルになってしまった。私はものすごく不機嫌そうにしていたと思う。しかしそれと同時に、臨機応変に動きその場を何とか乗り切った父の姿に憧れを持ったのも事実だ。きっと一人で入学式に行く事になっていたら、ただ一人で泣いていただけだろう。

そんな最悪の始まりだったが、学校に着いたらキラキラした先輩方が私を迎え入れてくれた。同じドミトリーの子ともすぐに仲良くなり、立教生活は楽しかった。

中学1年の3学期、私は学校を休んでいた。手術を受けていたからだ。私が病院で一人でいる時も、友達はずっと私とメールをしてくれた。その時どれだけ心が救われたことか、今でも忘れられない。そして中学2年になり私は学校に戻って来た。私は不安だった。少しの間でも離れていたら、自分のことを忘れてしまうかもしれないと思ったからだ。だがその不安はすぐに吹き飛んだ。友達も先輩もみんな笑顔で話しかけてくれた。自分のことを忘れていた人は一人もいなかったと思う。3学期に入って来た知らない人までも私の事を知っているぐらいだった。私はものすごく幸せな環境にいるのだと実感した。

中学3年の頃は、高校になって新入生に来て欲しくないとみんなで言っていた。中3は男女共に仲が良く、とてもいいクラスだった。だからその雰囲気を変えて欲しくなかった。高校1年になり最初は戸惑いもあったが、今ではすっかり消えている。むしろこの学年で良かったとしょっちゅうみんなで話している。

私の青春はここ立教英国学院で過ごした6年間だ。思い出を思い出そうとしたらこの紙に収まらないくらいたくさん出てくる。中学・高校の6年間の内、半分くらいは親元を離れ寮生活を送って来た。もちろん辛いことも悲しいこともたくさんあった。しかしその分、嬉しいこと楽しいこと、そしてたくさんの学びもあった。この学校に行くと決めたのは誰でもない、私だ。6年間たった今、後悔はしていない。そんな学校で私の青春を過ごせたことに感謝している。

お父さん、お母さん、先生方、先輩、友達、後輩も、みんなありがとう。残り1ヶ月で私の青春は幕を閉じるが、ハッピーエンドで終わりそうだ。

(高等部3年生 女子)

小学6年生は、週に4回のEC(英会話)の授業とは別に、週に3回英語の授業をしています。今学期はイギリスの作家ロアルド・ダールの作品を読んでいます。
ちょうどGuildfordで、ロアルド・ダールの作品を劇にしたものが上演されていましたので、皆で観劇にいってきました。
その感想を英語で書き、プレゼンテーションも行いました。
生徒の感想を紹介します。

☆My Film Review – The BFG -☆

What I like is the way he speaks. He makes a lot of mistakes when he speaks.
I learnt that BFG is a nice giant and he doesn’t care when he makes a lot of mistakes while he is speaking. So I want to be like BFG but I don’t want to make mistakes.
My favourite part is that the queen and servants drank frobscottle and did a very enormous fart. They even flied little!!!!

(小学部6年 男子)

今日は曇りで朝からずっと寒かった。こんな作文を書くのにふさわしい天気じゃない気もするが、そうでない気もする。2学期の終業礼拝まであと1ヶ月と1日の今日、勉強をしなければならないという気持ちと残りの時間を大切に過ごしたいという気持ちが交差して、形容しがたい何かがこの胸でうごめいている。

僕は成長しただろうか。この問いには一点の曇りもない答えを持っている。成長した。
この学校に来て5年目、それだけの苦労をしたと思っている。それをただの言葉として書き連ねるだけなら自分以外の誰でもできるだろう。しかし自分が体験して手に入れたたくさんの経験という名の財産は、他人が簡単に想像できるような代物じゃない。
そしてその財産は僕だけでなく、この文章を読んでいる名前も知らないあなたにも、形は違えど必ずあるものだ。なぜなら人は必ず何かを経験するからだ。何もしないことも一つの経験だ。

そして僕は思う。成長とはこの財産を手にすることによって起こることだと。
だから忘れないでほしい。テストで悪い点を取ったり、スポーツや芸術の技術が伸び悩んだりしていても、それは必ず僕たちの財産になる。向上のために悩んだり、工夫したり、様々なことを考えると思う。時には諦めだって必要だ。全てが僕たちを成長させる要素になる。焦らなくていい。みんなが持っているから。

しかし、だからと言って僕の財産が宝物になるかといえばそうではない。宝物にするには少し増えすぎてしまった。しかしはっきり言えることが一つある。この僕の経験は僕が死ぬ時に文字通り「一生の宝物」になるだろう。
やっぱり晴れの方が良かったかも知れない。

(高等部3年生 男子)

「何を書こう。」最後の作文と聞いた時に真っ先に思ったことだ。無難に、高校生活を振り返ってみようかなと考えたが、最近学んだ事について書くことにした。

私は、2週間前に受験の為日本に帰った。帰るということは書類審査が通ったという事なので嬉しくて、頭がいっぱいになり浮かれていた。なぜなら既に一校落ちて、AO入試の厳しさを痛感していたからだ。

落ちたショックで沈んでいた時に、私がとても信頼していた人に言われた言葉が響いた。
「次することは何?」
私は当然慰められると思っていた。だが、この言葉のお蔭で早く立ち直ることができた。

受験の日はとても緊張した。上がり症ではないのだが、終始震えていた。そんな中、大きなミスを面接でしてしまった。帰り道、やり切ることが出来なかった悔しさから言葉も出なかった。
立教に戻りみんなと会い「どうだった?」と聞かれるたびに笑い話をしてごまかした。しかし結果発表日が近づくにつれてドキドキするくらい笑えなかった。

発表当日になり、親から連絡がこないという事で結果を察した。あの言葉を思い出し立ち直ろうと頑張った。正直、落ちたことの悲しさより、受験を支えてくれる両親へ何も結果を出せない自分の不甲斐なさを実感した。

次の日、母親から電話が来た。まずはお礼を言おうと思っていた。言葉が詰まりなかなか言い出せないでいたとき言われた。
「合格おめでとう。」
聞き間違いではなかった。嬉しいよりも驚きだった。

以前、先生から言われたことがある。「AO入試は水モノだ。」確かにそう思う。受かるか落ちるか紙一重の試験で得た事がある。それは素直になることだ。このことがなかったら私は両親に恥ずかしくて感謝の気持ちを直接伝えられなかったと思う。
これから私は「次しないといけないこと」の為に集中していきたい。

(高等部3年生 女子)

小学部と中学部2年生が地元のユースクラブを訪問しました。
ユースクラブの子供たちは毎週教会のホールに集まりさまざまな活動をしているそうです。
今回は本校の児童・生徒が折り紙とお茶についてのワークショップを行いました。

折り紙では、グループごとに工夫をして折り方を教えることができました。「英語で何て言うの?」と友だちに聞いたり、自分の知っている単語をつかったりして、折り紙についてはもちろん、学校生活のことなどの会話をしながら作品を作り上げました。中には、地元の子に日本語を上手に教え、「こんにちは」「こんにちは」「わたしのなまえは」「わたしのなまえは」と、まるで英語の授業の先生と子供たちのように繰り返し言い、ホールに日本語を響き渡らせるグループもありました。

折り紙の後には、先日のオープンデイで「日本茶」についての展示を行った小学生が、日本茶の入れ方についてのワークショップを行いました。真剣に日本茶の説明をする子と実際にお茶の入れ方を見せる子の息はぴったりです。地元の子供たちも彼らの説明に興味津津です。入れ方を見せた後は、試飲タイム。”too hot”と気をつかいながらお茶を配る子、おかわりをすすめたらと先生に言われると、” Would you like more? “と自然に言う子供たちの姿には感心しました。

恥ずかしがらずに普段学んでいる英語をつかおうとする子供たちに、逞しさと同時にフィールドワークや普段の学びからの大きな成長を感じました。今後もこのような活動に積極的に参加していきたいと思います。

ゆっくりと自分とクラスメイト達を乗せて上昇していくカプセルの中で、僕はぼんやりとロンドンの街並みを眺めていた。
実はイギリスに来てから、ロンドン・アイに乗ったのはそれが初めてではなかった。最初にあの巨大な観覧車に乗ったのは、2年半ほど前、入学式より数日早くイギリスを訪れ、母とロンドン観光をしていた時のことだ。

あの時の僕には、目に映るもの全てが新鮮で、素晴らしいものに思えた。排気ガスで淀んだ空も、道端に転がるたくさんのゴミも、路傍で手を差し伸べる老いた物乞いも、キラキラした風景に覆い隠されていた。あるいは、「理想のロンドン」にそぐわないと判断されたそれらが、僕の意識の外に追いやられていただけなのかも知れない。

それから月日は経ち、未だに僅かな高揚感は覚えるものの、幾分か冷静にその街を歩けるようになった僕は、2年半前とは少し違った見方で、ヨーロッパにおける経済や流通の中心である大都市を眺められるようになった。

次にそこを訪れる時、僕はおそらく一留学生としてそこにいるだろう。そうなった場合見えてくるであろう、今とはまた少し違った立場から見たロンドンの街並みは、どのような色を帯びて僕に魅せてくれるのだろうか。

(高等部3年生 男子)

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