このコンクールは文字通り、因数分解の正答率を競い合うものです。学年によっては、まだ学習していませんが、意欲的に自ら学び、このコンクールに参加します。今年もM1(中学1年)、M2(中学2年)から参加した生徒がおり、さらには、優秀者一覧に掲載された生徒もいました。

一方、高校生はこのコンクールが近づくと、本校オリジナルの演習冊子を解きはじめたり、昨年の経験を踏まえ、意見を交わし合ったりします。この類の問題をもっと効率よく解くことはできないか、またどのような順序で進めていくのが効果的か…もちろん高得点をとるためにです。出題の傾向をよく分析し、対策を練ることはこの先の資格試験や入学試験においても重要であり、必要です。因数分解の正答率を向上させることも含め、一つのことから複数のことを学ぶ視点も大切にしてもらいたいものです。

今学期2回目の英語科フィールドワーク。 Horshamという大きな町に中学1年生・2年生合わせて24名で訪れた。今回の目的も前回と同様オープンデイ(文化祭)のビラ配りだったが、もう一つミッションを加えて更に高度なことにも挑戦した。チラシよりもっと立派なカラーポスターをお店に貼ってもらうというミッションだ。

「チェーン店は難しいかも知れませんから個人経営の小さなお店が狙い目ですよ。」
先生からアドバイスをもらって早速お店巡りを始めたが、イギリスは「チェーン店の国」、ポスターを快く貼ってくれるお店を探すのは難しい。

「マネージャーと相談しなきゃダメだって言われました…」
「お店には貼れないけど、中のスタッフルームならいいって言われました!」

様々な報告がある。そして「証拠」として、貼ってもらったポスターとお店の人と一緒に写真を撮ってくる、というタスクもある。教科書で英語を習い始めてまだ数ヶ月の中学1年生達には少しタフではあったが、習った英語と単語を駆使すれば何とかなる、大切なのは勇気と笑顔! これまで何度も行って来たフィールドワークで彼らが実感していることだ。
その甲斐あって今回もかなり善戦した。そして良い写真を何枚も撮ってきた。

小雨が降りしきる生憎の天気だったので「今日はお店を中心に回るといいですよ。」
とアドバイスをしたつもりだったが、前回のリベンジ!と道行く人に片っ端から声をかけている班もあった。

オープンデイのチラシを手渡して日時や内容を簡単に紹介してから最後に自分の英語についてコメントを書いてもらうというタスク。
正味30分のフィールドワークだが、表裏の用紙に全部コメントを書いてもらった女子生徒もいた。全部で16人分あるので、コメントを書いてくれなかった人も合わせると、きっと20人以上の人達に声をかけたに違いない。

もちろんあまりコメントをもらえなかった生徒もいた。一枚もポスターを貼ってもらえなかった班もあった。でも教訓はいつもある。今度はもっと積極的に話しかけよう。笑顔で話そう。勇気を出して話しかけてみよう。

フィールドワークの目的は着実に達せられつつあると思った。

夏休みが終わる直前、僕は模試を受けた。夏やってきたことを全て出すべき場であった。だから、僕は相当な気合いを入れていた。しかし結果は最悪。

僕は夏、もし勉強していたかと聞かれたら、した、と十分答えられるくらい勉強した。僕には夏の勉強に関すること全てを記録したノートがある。きちんと計算したことはないが、一日の平均勉強時間は13時間。少なくとも、夏休みの約50日間、毎日10時間以上は机にかじりついていた。ご飯を食べている時でも、塾に通う時でも勉強していた。息抜きをした日は3日あった。それでも10時間は勉強していた。毎朝5時50分に起きて、12時過ぎに寝る。規則正しい生活もきちんとしていた。これでも、死ぬほどやったつもりではないが、十分やったとは言えると思う。それなのに、だ。

模試は、受けている最中でも感触は悪かった。今まで、受験勉強を始めてから、模試の成績も、ましてや判定なんてものも気にしたこともなかったが、この模試に関しては悔しくてしょうがなかった。
昨年の12月から僕の成績は上がっていた。特に国語なんて著しい変化を遂げた。英数も成長が見受けられる。社会だって基礎も前より身についていると実感できる。
受験勉強を始めてから初めての挫折だった。模試が終わって、自己採点を終えて会場を出た時、夏のすべての時間が無駄にさえ思えた。
涙が出ていた。台風が近づいていて、大雨だったのは幸いだった。

次の日、また僕はいつも通り5時50分に起き塾に向かった。しかし、思考回路が止まっていて手が進まない。だめだ、と思い、近くの公園に行った。なんでなんだ。あれこれと原因を考えていた。思えばこんなに僕を本気にしてくれたものはなかった。今までの自分を見て、夏にあんなに同じことを繰り返すことができたのはあり得ないとまでも言えることができよう。自分は明らかに成長しているんだ。ましてや今も成長している最中なんだ。どうして結果が簡単に今出よう。そもそも、こんなに努力したことがないのにいつ成功が来ることを知っているんだ。今、やらなければいけないことはただ努力し続けるだけ。

「よし、やるか。」
僕は塾の自習室へと帰って行った。
(高等部3年生 男子)

日本より少し肌寒い。空港から学校に着きバスから降りると、先に着いた生徒が夕食を食べている。そして周りを見渡すと、自然豊かな美しい緑が広がっている。こんな環境の中での「大家族」生活も、高校3年生にとっては今学期で最後だ。そう思うと、立教での生活は、とても早く感じた。

立教では、オープンデイや、球技大会など様々な行事が行われるが、ふと気がつくと終わっていたりする。思い出何かあったかな。そう思いつつ、教室を眺めていた。席に皆座っている。僕は一人一人見ていった。すると、他の学校では絶対に感じることのできない気持ちがあった。それは、クラスメイト一人一人との思い出であった。
普通の学校であれば、クラス行事の思い出ぐらいであろう。しかし、「大家族」で生活している僕らは、一人一人に対して思い出があるのだ。そして「大家族」であるからこそ、一人一人の良さ、悪さを理解し合い、協調性を持って生活する。そんな学校は、どこを探しても見つからないだろう。

休み明け、毎回空港からバスに乗り、学校に着く。先に着いた生徒は食事をしている。美しい緑がある。そんな美しい環境の中で一番輝いているものがあった。
かけがえのない大切な仲間。
(高等部3年生 男子)

iPhoneを使えない。恋愛禁止に近い妙なルールがある。外出の機会はほとんどなく、ロンドンに行くことが出来るのは学期に一度だけ。先生と四六時中過ごさなければならないし、プライベートとは無縁に近い…
時折こうして立教英国学院のことを日本の友達に話す。皆初めは普通とかけ離れたこの学校に興味を示すが、最後には決まってこう言う。
「何で辞めないの?」

自覚はなかったのだが、どうやら私は悪いところしか伝えていなかったようだ。しかし訂正を入れておく。私はこの学校に嫌気がさしたことはあっても、嫌いだと思ったことは一度もない。だから辞めたいと思ったことも勿論ないのだ。

高校2年までは休みが大好きだった。遊んで遊んで遊びまくって、また何ヶ月も学校に行くことを考えると、休みの終わりはとても憂鬱だった。しかし高校3年の夏休み、私は早く休みが終わることを心から望んでいた。受験生の夏に楽しみなどなくて、毎日が不安と恐怖の連続だった。皆に会いたくて会いたくて涙が出るくらい、精神的にまいっていたのだ。

私は、学校に行けば大丈夫だとわかっていた。皆と会えたら落ち着くことを確信していた。だって、帰れば皆がいる。「おかえり」と声をかけてくれる仲間や先生方がいる。相談にのってくれる友達がいて、時には自分が相談にのる。支えて、そして支えられて、一方通行でない存在意義が温かい居場所をくれる。先生だって例外ではない。四六時中共に過ごすから一人一人を見てくれる。沢山話して親しくなって、だからこそ大好きになる。いつも独りではないと思えるから安心する。皆がいるから、人と関わる喜びを知る。そんな中で不安なんて感じる暇がないのだ。

つまるところ、私は私が思っている以上にこの学校が好きなようなのだ。だから私は立教英国学院に帰る。私を必要としてくれる居場所に帰る。帰るべき場所に帰るだけなのだ。
(高等部3年生 女子)

2016t2saigsessay私がすでに日本に帰る頃には夏休み、残り1ヶ月。空港についた瞬間に日本の夏特有のあの熱気が私の頰を撫でた。みんな勉強してるし、私もやらなきゃなぁ、なんて思いながらも自分の家に帰った喜びで、つい色々な誘惑に負けそうになる。それに日本の夏は暑いったらありゃしない。こんなんで集中できるか、と何とかして勉強ができない理由を探していた。

そんな中、両親に「話がある。」と呼ばれた。私はその母の真剣そうな顔を見てすぐに気づいた。高校3年生と言えばそう、進路のことだ。私は今まで何だか恥ずかしくてあまりその話を両親としたことがなかった。ついにこの時が来たかと思った。両親は最後まで黙って私の話を聞いていた。そして母が発した一言は、「お母さんたちは、いつでも鈴奈の味方だから。」、父は、「父さんもできる限りのことをするから頑張れよ。」と。2人からの言葉を聞いて私は驚いた。こんなこと、初めて言われたからだ。同時にすごく照れくさくなって、「うん。」なんて素っ気ない返事をしてしまったけれど、本当はすごく嬉しかった。

夏休み、私が勉強が嫌になった時に両親は私を怒らないで優しく励ましてくれた。辛くなった時に、そばにいて応援してくれた。何度も彼らは助けてくれた。それらが今思い出しても泣きたくなるくらい嬉しかった。それに両親の言葉を思い出すと、自然とやる気が出た。

高校3年、最後の学期。日本で応援してくれている彼らに顔向けできるような私になって帰りたいと思う。両親の言葉を忘れずに、それが自分の力になると信じてこれから頑張っていきたい。

(高等部3年生 女子)

2016t2htressay夏。28度、いや、それ以上かも分からない。とにかく暑い。イギリスなのに。そんな愚痴を吐く。朝からしていた勉強も集中が切れてしまった。一休みと団扇片手に空を眺めた。ふと気付く。そういえばイギリスで過ごす夏はこれが最後なのだと。あぁ、もう4年目になっていたのか。

特に立教の3年間は早かった。高校1年の頃先輩の赤ネクタイがひどく遠いものに見えたのに。高校2年の頃、来年から自分たちが最高学年と騒いでいたのに。2学期で終わるのか、早いもんだ。次は大学か。唾を飲む。一気に不安になる。私はやりたいことを実現できるのか。しっかり大学でもやっていけるだろうか。そもそも大学にちゃんといけるのだろうか。次々と浮かぶ。なんだか暗い気持ちになってきてしまった。机に目を戻す。すると目に入ったのは、3学期に撮った高校2年の時のみんなの写真だった。青ネクタイを締めて、笑っていた。あ。そうだ。私、皆で笑って卒業したい。皆一人一人辛い事は個人個人であるけれど、助け合って、乗り越えて。良い思い出だねって笑い合いたい。強く、強くそう思った。

不安は完全には消えない。けれどもう大丈夫。そう思える。さぁ、勉強をしよう。先生が言っていた。本気で勉強するのってもう高校3年生しかないよと。私だってやらなくちゃ。机へ戻る。涼しい風が吹いてきた。頑張れって言ってくれているような、そんな気がした。

(高等部3年生 女子)

ふと目線を上げ、見慣れた白い文字盤をぼんやりとした意識の中確認する。時刻は午後11時40分。いつからだろうか、一日が終わる度に、「あぁ、また終わってしまう。」と感じるようになったのは。

この頃、誰もが知識としては持っているであろうごくごく普通のことに、実感とともに気付きつつある。自らを取り囲むほとんど全てのものに「限り」がある、ということに。
分かり易いものを挙げるなら、時間など良い例ではないかと思う。決して等しくはないが、世界中の、一つの例外もなく全ての人が持つ、限りあるものの一つだ。
自分の成績に大きく影響するかもしれないような大切なテストの前日に、気合を入れて臨んだ最後の仕上げ。それが終わらなかった時など、特に僕の学校のように寮での就寝時間が決まっているような環境下では、そんな自力ではどうしようもなく、抗いようがない「限界」を目の当たりにする。

先に述べたのは日常の中での小さな気付きの一つだが、数ヶ月前、イギリスでの滞在中に日本の両親から知らされた、祖父の死。あれもまた、一つの気付きだったのだろう。それまで血の繋がった家族の死というものを経験したことがなかった僕は、何も考えずに大好きだった祖父が他界したことへの悲しみに暮れるばかりだったが、今思い返すとあの知らせを聞いた時、僕は人に与えられる時間には終わりがあるという当然の事実を、強烈に、且つ明確に思い知ったのだと思う。

そんな、この世の中で生きる限り自分に付きまとってくる、限界や終わり。それらのことを良く知り、しっかりと向かい合って生きていく必要がある。そうでないとひどい勘違いをした僕らは、時間はまだまだあると日々を無為に過ごし続けるだろう。
僕の両親は限りある時間とその身を削り僕を育て、作り上げた限りある財産を、僕の未来のために惜しみなく注ぎ込んでくれる。

さて、こんな事を考えていると、いても立ってもいられなくはならないか。どうしてダラダラと作文など書いていられよう。
僕がすべきなのは、あらゆることへの感謝を忘れず、一秒一秒を後悔のないように生きること。それだけだ。

(高等部3年生 男子)

9月17日と18日に、summer workshopに参加した生徒からの報告会が行われました。

まず9月17日には、7年目となるCambridge大学で行われたScience workshopに参加した3名の生徒が発表しました。世界トップの大学で行われた特別なプログラムに参加して、英国人高校生、日本から参加した優秀な高校生、そして各分野で最先端の研究をしている大学教授や講師の先生方から、多くのことを学ぶことができたようです。

Cambridge大学では各ラボごとの発表を英語でこなしてきたからこそ、今回の日本語での発表は問題ないかと思いきや、全校生徒を前にして緊張の面持ちです。大学レベルの研究を背景知識がない人に、工夫をして発表しなくてはなりません。そして今回はグループではなく個人での発表です。それでも、いざ始まると時間が足りなくなるくらいの情報を自分の言葉で発表することができたようです。先生方からの鋭い質問に、焦ってしまう場面もありましたが、発表が終わってほっとした表情を浮かべていました。

翌日はUCLロンドン大学のGrand Challenges workshopに参加した生徒の発表が行われました。Cambridgeのworkshopが理系とするならば、UCLのプラグラムは文系と言えるのではないでしょうか。昨年から始まったこのプログラムには立教から7名の高校生が参加しました。イギリスで活躍している日本人の方が主体となって始まったこのプログラムは去年よりさらにパワーアップして、充実した内容であったと参加した生徒は語ります。昨年のワークショップで、うまく自分を表現できず、今年はリベンジと決めて再挑戦した高校3年生もいました。

「去年はディスカッションや発言の機会があっても、しり込みをして英語で発言をすることができなかったので、今年はどんな機会も無駄にせず、積極的に英語を話して充実した日々が送れました。」
堂々と話す上級生の姿に、いつかは自分もworkshopに参加するぞと思った下級生も少なくなかったのではないでしょうか。

また今年初めて名古屋大学で行われた女性のためのworkshopに参加した生徒も、よき学びがあったと興味深い講義内容を紹介してくれました。
2日間に渡って行われたworkshop報告会でしたが、来年この場に立つのは誰でしょうか。誰にでも可能性はあります。今後の生徒の活躍に期待です。

虚無感。僕の高校最後の、高校3年生としての夏休みを振り返るなら、この一言に尽きる。

受験生の夏休みは天王山と呼ばれている。もちろん僕は夏休みの間、天王山を登っていた。いや、登っていたつもりだったかもしれない。なぜならいくら登っても登ってもまったく山頂が見えてこなかったのだ。そうして時間が過ぎていき、夏休みが終わった。そこで夏休みに登った分の標高を山頂として考えてみたら、実は高尾山ぐらいの高さを登っただけだったかも知れないと思ったのだ。確かに勉強はコツコツと進めていったはずだった。しかし自分の実力が自分の思っていたよりずっと伸びなかったためにこんな思いをしているのだろう。

しかし、学校や塾の先生たちは大丈夫だと、これからちゃんと伸びてくると言う。受験生初心者の僕にとってこれから先はずっと真っ暗だ。ゆっくりと、ちゃんと道があるかどうかを確かめながら前に進みたい僕に彼らはこう言い放つ。

「信じて真っ直ぐ走れ。道が途中で断たれていたなら、その時にまた考えればいい。」
正直なところそんな言葉は信用できない。だが彼らが今までたくさんの受験生に対してその言葉をかけ、実際にその通りにしてゴールへたどり着いた受験生がいるのは確かだ。であれば、それを信じるしかない。実際に成果が出ているのだから。

とても怖い。当たり前だ。役に立つかもわからない道具を持って何も見えない暗い道を疾走しようというのだ。怖くない人がいるだろうか。
しかし、想像してしまうのだ。何万、何十万という受験生に打ち勝ち、見事志望校に合格する自分の姿を。

(高等部3年生 男子)

ページ
TOP