日本より少し肌寒い。空港から学校に着きバスから降りると、先に着いた生徒が夕食を食べている。そして周りを見渡すと、自然豊かな美しい緑が広がっている。こんな環境の中での「大家族」生活も、高校3年生にとっては今学期で最後だ。そう思うと、立教での生活は、とても早く感じた。

立教では、オープンデイや、球技大会など様々な行事が行われるが、ふと気がつくと終わっていたりする。思い出何かあったかな。そう思いつつ、教室を眺めていた。席に皆座っている。僕は一人一人見ていった。すると、他の学校では絶対に感じることのできない気持ちがあった。それは、クラスメイト一人一人との思い出であった。
普通の学校であれば、クラス行事の思い出ぐらいであろう。しかし、「大家族」で生活している僕らは、一人一人に対して思い出があるのだ。そして「大家族」であるからこそ、一人一人の良さ、悪さを理解し合い、協調性を持って生活する。そんな学校は、どこを探しても見つからないだろう。

休み明け、毎回空港からバスに乗り、学校に着く。先に着いた生徒は食事をしている。美しい緑がある。そんな美しい環境の中で一番輝いているものがあった。
かけがえのない大切な仲間。
(高等部3年生 男子)

iPhoneを使えない。恋愛禁止に近い妙なルールがある。外出の機会はほとんどなく、ロンドンに行くことが出来るのは学期に一度だけ。先生と四六時中過ごさなければならないし、プライベートとは無縁に近い…
時折こうして立教英国学院のことを日本の友達に話す。皆初めは普通とかけ離れたこの学校に興味を示すが、最後には決まってこう言う。
「何で辞めないの?」

自覚はなかったのだが、どうやら私は悪いところしか伝えていなかったようだ。しかし訂正を入れておく。私はこの学校に嫌気がさしたことはあっても、嫌いだと思ったことは一度もない。だから辞めたいと思ったことも勿論ないのだ。

高校2年までは休みが大好きだった。遊んで遊んで遊びまくって、また何ヶ月も学校に行くことを考えると、休みの終わりはとても憂鬱だった。しかし高校3年の夏休み、私は早く休みが終わることを心から望んでいた。受験生の夏に楽しみなどなくて、毎日が不安と恐怖の連続だった。皆に会いたくて会いたくて涙が出るくらい、精神的にまいっていたのだ。

私は、学校に行けば大丈夫だとわかっていた。皆と会えたら落ち着くことを確信していた。だって、帰れば皆がいる。「おかえり」と声をかけてくれる仲間や先生方がいる。相談にのってくれる友達がいて、時には自分が相談にのる。支えて、そして支えられて、一方通行でない存在意義が温かい居場所をくれる。先生だって例外ではない。四六時中共に過ごすから一人一人を見てくれる。沢山話して親しくなって、だからこそ大好きになる。いつも独りではないと思えるから安心する。皆がいるから、人と関わる喜びを知る。そんな中で不安なんて感じる暇がないのだ。

つまるところ、私は私が思っている以上にこの学校が好きなようなのだ。だから私は立教英国学院に帰る。私を必要としてくれる居場所に帰る。帰るべき場所に帰るだけなのだ。
(高等部3年生 女子)

2016t2saigsessay私がすでに日本に帰る頃には夏休み、残り1ヶ月。空港についた瞬間に日本の夏特有のあの熱気が私の頰を撫でた。みんな勉強してるし、私もやらなきゃなぁ、なんて思いながらも自分の家に帰った喜びで、つい色々な誘惑に負けそうになる。それに日本の夏は暑いったらありゃしない。こんなんで集中できるか、と何とかして勉強ができない理由を探していた。

そんな中、両親に「話がある。」と呼ばれた。私はその母の真剣そうな顔を見てすぐに気づいた。高校3年生と言えばそう、進路のことだ。私は今まで何だか恥ずかしくてあまりその話を両親としたことがなかった。ついにこの時が来たかと思った。両親は最後まで黙って私の話を聞いていた。そして母が発した一言は、「お母さんたちは、いつでも鈴奈の味方だから。」、父は、「父さんもできる限りのことをするから頑張れよ。」と。2人からの言葉を聞いて私は驚いた。こんなこと、初めて言われたからだ。同時にすごく照れくさくなって、「うん。」なんて素っ気ない返事をしてしまったけれど、本当はすごく嬉しかった。

夏休み、私が勉強が嫌になった時に両親は私を怒らないで優しく励ましてくれた。辛くなった時に、そばにいて応援してくれた。何度も彼らは助けてくれた。それらが今思い出しても泣きたくなるくらい嬉しかった。それに両親の言葉を思い出すと、自然とやる気が出た。

高校3年、最後の学期。日本で応援してくれている彼らに顔向けできるような私になって帰りたいと思う。両親の言葉を忘れずに、それが自分の力になると信じてこれから頑張っていきたい。

(高等部3年生 女子)

2016t2htressay夏。28度、いや、それ以上かも分からない。とにかく暑い。イギリスなのに。そんな愚痴を吐く。朝からしていた勉強も集中が切れてしまった。一休みと団扇片手に空を眺めた。ふと気付く。そういえばイギリスで過ごす夏はこれが最後なのだと。あぁ、もう4年目になっていたのか。

特に立教の3年間は早かった。高校1年の頃先輩の赤ネクタイがひどく遠いものに見えたのに。高校2年の頃、来年から自分たちが最高学年と騒いでいたのに。2学期で終わるのか、早いもんだ。次は大学か。唾を飲む。一気に不安になる。私はやりたいことを実現できるのか。しっかり大学でもやっていけるだろうか。そもそも大学にちゃんといけるのだろうか。次々と浮かぶ。なんだか暗い気持ちになってきてしまった。机に目を戻す。すると目に入ったのは、3学期に撮った高校2年の時のみんなの写真だった。青ネクタイを締めて、笑っていた。あ。そうだ。私、皆で笑って卒業したい。皆一人一人辛い事は個人個人であるけれど、助け合って、乗り越えて。良い思い出だねって笑い合いたい。強く、強くそう思った。

不安は完全には消えない。けれどもう大丈夫。そう思える。さぁ、勉強をしよう。先生が言っていた。本気で勉強するのってもう高校3年生しかないよと。私だってやらなくちゃ。机へ戻る。涼しい風が吹いてきた。頑張れって言ってくれているような、そんな気がした。

(高等部3年生 女子)

ふと目線を上げ、見慣れた白い文字盤をぼんやりとした意識の中確認する。時刻は午後11時40分。いつからだろうか、一日が終わる度に、「あぁ、また終わってしまう。」と感じるようになったのは。

この頃、誰もが知識としては持っているであろうごくごく普通のことに、実感とともに気付きつつある。自らを取り囲むほとんど全てのものに「限り」がある、ということに。
分かり易いものを挙げるなら、時間など良い例ではないかと思う。決して等しくはないが、世界中の、一つの例外もなく全ての人が持つ、限りあるものの一つだ。
自分の成績に大きく影響するかもしれないような大切なテストの前日に、気合を入れて臨んだ最後の仕上げ。それが終わらなかった時など、特に僕の学校のように寮での就寝時間が決まっているような環境下では、そんな自力ではどうしようもなく、抗いようがない「限界」を目の当たりにする。

先に述べたのは日常の中での小さな気付きの一つだが、数ヶ月前、イギリスでの滞在中に日本の両親から知らされた、祖父の死。あれもまた、一つの気付きだったのだろう。それまで血の繋がった家族の死というものを経験したことがなかった僕は、何も考えずに大好きだった祖父が他界したことへの悲しみに暮れるばかりだったが、今思い返すとあの知らせを聞いた時、僕は人に与えられる時間には終わりがあるという当然の事実を、強烈に、且つ明確に思い知ったのだと思う。

そんな、この世の中で生きる限り自分に付きまとってくる、限界や終わり。それらのことを良く知り、しっかりと向かい合って生きていく必要がある。そうでないとひどい勘違いをした僕らは、時間はまだまだあると日々を無為に過ごし続けるだろう。
僕の両親は限りある時間とその身を削り僕を育て、作り上げた限りある財産を、僕の未来のために惜しみなく注ぎ込んでくれる。

さて、こんな事を考えていると、いても立ってもいられなくはならないか。どうしてダラダラと作文など書いていられよう。
僕がすべきなのは、あらゆることへの感謝を忘れず、一秒一秒を後悔のないように生きること。それだけだ。

(高等部3年生 男子)

9月17日と18日に、summer workshopに参加した生徒からの報告会が行われました。

まず9月17日には、7年目となるCambridge大学で行われたScience workshopに参加した3名の生徒が発表しました。世界トップの大学で行われた特別なプログラムに参加して、英国人高校生、日本から参加した優秀な高校生、そして各分野で最先端の研究をしている大学教授や講師の先生方から、多くのことを学ぶことができたようです。

Cambridge大学では各ラボごとの発表を英語でこなしてきたからこそ、今回の日本語での発表は問題ないかと思いきや、全校生徒を前にして緊張の面持ちです。大学レベルの研究を背景知識がない人に、工夫をして発表しなくてはなりません。そして今回はグループではなく個人での発表です。それでも、いざ始まると時間が足りなくなるくらいの情報を自分の言葉で発表することができたようです。先生方からの鋭い質問に、焦ってしまう場面もありましたが、発表が終わってほっとした表情を浮かべていました。

翌日はUCLロンドン大学のGrand Challenges workshopに参加した生徒の発表が行われました。Cambridgeのworkshopが理系とするならば、UCLのプラグラムは文系と言えるのではないでしょうか。昨年から始まったこのプログラムには立教から7名の高校生が参加しました。イギリスで活躍している日本人の方が主体となって始まったこのプログラムは去年よりさらにパワーアップして、充実した内容であったと参加した生徒は語ります。昨年のワークショップで、うまく自分を表現できず、今年はリベンジと決めて再挑戦した高校3年生もいました。

「去年はディスカッションや発言の機会があっても、しり込みをして英語で発言をすることができなかったので、今年はどんな機会も無駄にせず、積極的に英語を話して充実した日々が送れました。」
堂々と話す上級生の姿に、いつかは自分もworkshopに参加するぞと思った下級生も少なくなかったのではないでしょうか。

また今年初めて名古屋大学で行われた女性のためのworkshopに参加した生徒も、よき学びがあったと興味深い講義内容を紹介してくれました。
2日間に渡って行われたworkshop報告会でしたが、来年この場に立つのは誰でしょうか。誰にでも可能性はあります。今後の生徒の活躍に期待です。

虚無感。僕の高校最後の、高校3年生としての夏休みを振り返るなら、この一言に尽きる。

受験生の夏休みは天王山と呼ばれている。もちろん僕は夏休みの間、天王山を登っていた。いや、登っていたつもりだったかもしれない。なぜならいくら登っても登ってもまったく山頂が見えてこなかったのだ。そうして時間が過ぎていき、夏休みが終わった。そこで夏休みに登った分の標高を山頂として考えてみたら、実は高尾山ぐらいの高さを登っただけだったかも知れないと思ったのだ。確かに勉強はコツコツと進めていったはずだった。しかし自分の実力が自分の思っていたよりずっと伸びなかったためにこんな思いをしているのだろう。

しかし、学校や塾の先生たちは大丈夫だと、これからちゃんと伸びてくると言う。受験生初心者の僕にとってこれから先はずっと真っ暗だ。ゆっくりと、ちゃんと道があるかどうかを確かめながら前に進みたい僕に彼らはこう言い放つ。

「信じて真っ直ぐ走れ。道が途中で断たれていたなら、その時にまた考えればいい。」
正直なところそんな言葉は信用できない。だが彼らが今までたくさんの受験生に対してその言葉をかけ、実際にその通りにしてゴールへたどり着いた受験生がいるのは確かだ。であれば、それを信じるしかない。実際に成果が出ているのだから。

とても怖い。当たり前だ。役に立つかもわからない道具を持って何も見えない暗い道を疾走しようというのだ。怖くない人がいるだろうか。
しかし、想像してしまうのだ。何万、何十万という受験生に打ち勝ち、見事志望校に合格する自分の姿を。

(高等部3年生 男子)

2学期が始まって一週間が経ち、雨雲が去って爽やかな秋晴れとなった日曜日の午後、小学生はBrightonへ出かけました。
立教から南へ約1時間、イギリス屈指の海辺のリゾートBrighton、お目当ては、今年の夏休みにオープンしたばかりの展望タワー、i360です。

「24枚のイタリア製のガラスで作られた乗り物は、UFOにも見えました。タワーは、オランダで作られた短い筒を、100mの巨大クレーンで積み重ねて作ったそうです。組み立てるのが大変だっただろうなと思いました。乗ってみて僕がとてもびっくりしたのは、ゆれずに、音も立てずに上に上がったことです。Brightonの街並みが180°、海が180°見えました。」

「この乗り物は地上から約138mの高さまで上がります。この日はとてもよく晴れていたので、町中の建物はもちろん、去年行ったSeven Sistersの白いがけまで見えました。とてもよく見えたので感動しました。そして、海が太陽に照らされて光っていました。それが一番心に残りました。」

名前にある数字、”360″の意味がよく分かった今回の外出、また思い出が一つ増えました。
今学期も、英国の自然や景色、町や人々の生活に触れることができるような機会をたくさん作っていきたいと思います。

夏休みが終わって9月も中旬を迎えるが、イギリスでは珍しく暖かな日が続く。この日も快晴、少し汗ばむくらいの陽気の中、中学部1年生と2年生は英語科フィールドワークに出かけた。

目的地はGodalmingという町。1学期から定期的に何度もフィールドワークを行っているが、ここは今回が初めて。タイタニック号から最後のSOS信号を送り続けたというJohn George Phillipsの出生地。映画の撮影にも使われたという古い町並みが残る。が、何も知らなければ片田舎にあるのんびりとした平和な町である。
駐車場に2台のミニバスで到着すると早速先生方から諸注意があり、入念な打ち合わせが終わるとグループごとに町に繰り出していった。

本日の活動は10月末に開かれる本校の文化祭「OPEN DAY」のビラ配り。道行く人にチラシを渡すのだが、勿論、街頭でただただチラシやポケットティシューを配るのとは訳が違う。チラシを手渡すのはあくまで「きっかけ」。そこから何とか会話を始めるのが今回のミッションだ。

中1の生徒がまだ英語を習いたての先学期は沢山のイギリス人の中を歩き回るだけでも緊張していたのに、彼らも既に英語で「話しかける」ことには慣れてきた。先学期末はお店の中に入って簡単な質問を英語でしてみたが、今回は歩いている人に立ち止まってもらって話しかけることにも挑戦。ハードルを一つ高くしてみた。

前の授業で習った文章をノートに書き留め、目的地に到着するまでミニバスの中でもお経を唱えるように一生懸命練習した。この英語がどこまで通じるか… 緊張で始まったフィールドワークだったが、5分、10分と経つうちにしっかりと楽しめるようになっていた。

ポカポカと暖かな日。気持ちのいい陽気も手伝って、話しかける方も、話しかけられる方もいい気分でいられたのかも知れない。
「先生、この町の人って、みんなすごく親切!」
「あっ!あの人さっきインタビューした人!先生、あの女の人!」
恥ずかしいくらいの大声で嬉しそうに言う女子生徒の指差す方を見ると、ご年配の女性が微笑み返してくれた。

ガラス張りの不動産屋のお店に果敢に乗り込む中1男子、ちょっと怖そうなパンク風の若い女性たちに話しかける女子の班、車椅子のご老人に優しく声をかけた男子生徒もいた。町のあちこちで本校の中学生が地元の人たちと話をする風景を見るのはまた格別であった。

その話の内容はと言えば…
「とっても楽しいオープンデーがあるから是非来てください!ラジウィックという村の近くにある日本人学校です。私たち英語の練習をしているのですが、私の英語はどうですか?できればここにコメントを書いてください!」
そう言って、用意しておいたコメント記入用紙を渡して書いてもらう。これが先生に見せる「話した証拠」になるわけだ。
1つコメントをもらえれば1ポイント。制限時間内にどれだけコメントをもらえるか競いましょう! ポイントをたくさん稼いだ人たちにはご褒美がありますよ!

残り約10分。ご褒美目当てで始めたインタビューは、いつの間にか別の目的で続けられていた。
「さぁ、そろそろ時間ですから集合場所に戻り始めてくださいね。」
「もう終わりですか? もうちょっと聞いていいですか? 今度は僕の番! インタビュー用紙かして!」
「いや、今度は僕だよ。あと一人、先生、いい?!」
こんなことになるならインタビュー用紙は一人ひとり分けて用意しておけばよかった。他の班でも用紙の取り合いが…
困ってしまったが、これだけ積極的に話しかけられるようになったのは嬉しい限り… もはや彼らは「ご褒美」のためではなく、「英語を使える面白さ」のために躍起になって道行く人を探していた。

「ごめんね、また今度の機会に頑張りましょう。とりあえずミニバスの方に戻りますよ!」
人数を確認しながらふと通りの向こうに目をやると、10分以上も前に車椅子の人に話しかけた中1の男子がまだおじさんとお話をしていた。これには少しビックリ。まだ英語がおぼつかない中学校1年生がこんなに長い間お話をすることができるなんて…
「Hi, Sorry, but we should leave now… 」
車椅子の男性に声をかけると、大きなジェスチャーで嬉しそうに答えてくれた。
「Your student? He’s very good! very polite! Good boy!!!」

そこにさっき女子グループがインタビューをしたおばさんが通りかかった。
「先生!あの人、さっきインタビューした人!」
軽く挨拶をすると、こちらにやってきて、
「あなたの学校の生徒達? みんないい子ね。立教でしょ? 私、何十年も前に実はあなたの学校の制服を作っていたの!」
こんな会話をしている間にいつの間にか中1の生徒達が集まってきたのでみんなで記念撮影をすることにした。
「いいですかー!One two, and three!」

いい天気、いい笑顔、いい写真が撮れました。

サイエンスワークショップに参加する私を含めた四人は、リンネ学会、王立研究所、梶田先生の特別講演に訪れるべくロンドンに外出しました。
リンネ学会とは、スウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネに由来し、現存する世界で最も古い博物学の協会です。「自然選択説による進化論」は、リンネ協会の会合で初めて公表されました。

そんな、世界を180度回転させた所に入ってみると、中は神秘的な雰囲気に包まれており、人がいるにも関わらず人気を感じさせない所でした。
奥にある部屋でお話を聞きました。ここには昔、昭和天皇が訪れており、昭和天皇が座った席と同じ席に座った私たちは興奮していました。その後、私たちは地下に連れて行ってもらいました。

地下には、銀行にあるような厳重な扉で閉ざされた部屋があり、金庫のように見えました。中に入ってみると、小さな図書館のようで、たくさんのお宝が敷き詰められ、入っていました。お宝とは、大量の古い書籍と多くの標本のことです。本は見るからに古そうで、その中の一冊を見せてもらうことができました。その本はSYSTEMA NATURAE の原本で、リンネによって書かれた本です。この本によって、自然選択説による進化論が生まれて、天地創造説を否定しました。

私は人類が神によって創られたということはあまり考えたことはないのですが、この本を出版した時代、天地創造説が本当だと思われていたので、この時代にこの本を出版するという事は世界を敵にまわすということであり、そこから死んでしまうかもしれないけれど本当に伝えたというリンネやダーウィンの思いを感じ、リンネとダーウィンのすごさを改めて実感しました。

世界を180度回転させるような発見があるということは、自分の今生きているこの世界にも、本当だと信じられているものが本当ではない可能性を秘めているんだなと思いました。

「無知というのは、しばしば知識よりも確信に満ちている。科学によってこれやあれやの問題を解決することは絶対にできないと主張するのはきまって知識がない人である。」
BY チャールズ・ダーウィン

(高等部2年生 女子)

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