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ブレザーの校章

イギリスの学校では新学年のスタートは9月。夏休みも後半になると「Back to School」という文字が文房具や洋服を売るお店のあちこちに現れます。でもなぜか、イギリスでは「入学式」というものがありません。なんとなく新しい学年が始まってしまいます。

イギリスにある立教英国学院は日本の学校と同じ4月始まり。桜の開花とともに入学式が行われ沢山の初々しい新入生たちが入寮します。遠方からわざわざ式に参列される保護者の方もたくさんいらっしゃって、皆で新しい門出を祝います。

そして、2学期。夏の高い空はどこへやら。すっかり涼しくなって秋の気配が漂うキャンパスは「入学式」とは程遠い雰囲気ですが、本校では2学期といえどもたくさんの新入生が入学します。今学期も中学部1年から高等部2年まで、計16名の生徒が本校での新たな生活をスタートさせました。

全寮制の本校に入学することは、学校や学習環境が変わることだけではなく、生活そのものが全く新しくなることを意味します。緊張の面持ちで学校の門をくぐったのは始業式前日の土曜日。ロンドンヒースロー空港から大型バス3台と数台のタクシーで、日本やヨーロッパはもちろん、世界各地からたくさんの生徒達が帰寮しました。新入生の保護者の方も心配そうな面持ちで付き添って来られますが、担任の先生と面接をしたりキャンパスを案内されたり在校生と昼食をともにしたりするうちに、本校の様子が少しずつ分かってきたようで、少し安心した様子でお帰りになりました……  そして新入生にとって初めての立教生活がスタート。ナイフとフォークを使ったテーブルマナーを教わりながら夕食をとり、持ってきた沢山の荷物を部屋で整理し、初めての夜を友達と過ごし… 長い一晩が明けて始業式となった訳です。

始業式では校長先生が新入生一人一人にブレザーの胸につける校章を手渡します。「先学期の新入生は37名でしたが、もう君たちは立派な立教生。今度は新入生に教えてあげる立場です。しっかり生活していきましょう。新入生諸君、最初の1週間は新しいことばかりで大変かもしれませんが、一つ一つしっかりやっていけば大丈夫ですよ。」校長先生からの励ましの言葉に、生徒一人一人が入学した時のことを思い出し、身を引き締めたことだと思います。

2学期は一番長い学期。学校行事のメインイベントであるオープンデイ(学校祭)もあります。それぞれがまた新しい自分の力を見出して一回りもふたまわりも大きくなれるような、そんな学期になることを期待しています。

会場内に本校ブースを設け、個別相談に対応します。詳細は各ホームページでご確認ください。

※本校の学校説明会情報はこちらから

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ウィンブルドン初日、曇り時々雨。そんな中私達は、午前4時半に起床、朝7時から列に並んでいた。自分のいる位置から見えるのは、人、人、とにかく人。ものすごい数の人が並んでいた。この並んでいる人たち全員テニス好きで、今日を楽しみに来ているのかなぁ、なんて他人事を考えながら、淡々とただ時間が過ぎるのを待った。正直、私は今井君のようにテニスが大好き!という訳でもないので、イチゴ食べに行くかーくらいにしか思っていなかった。

やっと中に入れたと思ったら、そこも人だらけ。凄まじい数だった。他の人達がウィンブルドンに興奮している中、イチゴに大喜びしていた私はどのように映っただろうか。だけどさすがに少しは試合を見よう、と皆で話して決めた。選手の名前が出ているボードを見ても誰がどんな人かもわからなかったので、近くの人のを見ることにした。その試合は衝撃だった。テニス経験が全くない私でもわかる選手の上手さ。自由自在にボールを打っていて、まるで魔法がかかってるみたいだった。そして何より、観客の熱気。最初はみんな耳鳴りがするほど静かなのに、選手が点を決めた瞬間歓声が湧き上がる。それに穴が開くほど選手を見つめ、一瞬でもボールの動きを見逃すまいとボールを追いかけ首を動かしている。とにかく圧倒的だった。これがウィンブルドンか。私は今までここに何をしに来てたんだ、と思うくらい目の前の光景は私を魅了した。試合が終わって、歩いている時もあちらこちらで歓声が聞こえてきて、ウィンブルドンの雰囲気を楽しむことができた。

最後のウィンブルドン、私なりに充実した時間を過ごせたと思う。思い出がイチゴだけでなくて本当に良かった。あんなに素敵な思いができて嬉しい。大人になって来れるか分からないけど、また来たい。朝4時半に起きる価値があった。そんな風に思わせてくれた1日だった。

高3になってまた一つ行事が終わった。少し悲しいけど、またちょっと成長できたと思うと前向きになれる。勉強はこれから大変になっていくけれど、前向きな気持ちとウィンブルドンでもらった元気で頑張っていきたい。

(高等部3年生 女子)

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私は学校の遠足で、ウィンブルドンへテニスを観戦しに行った。
学校に帰り、時刻は、だいたい7時半だった。食事の席に着くと、日焼けで真っ赤になっている皆の顔が見えた。隣の席に座る中学1年生の男の子に今日は楽しかったかと聞くと、楽しかったと言い、今日見た選手の名前や、どのプレーが良かったかなどを話してくれた。男の子は続けて、日本にいるテニスが大好きな友達がウィンブルドンに行くことをすごく羨ましがっていたことを教えてくれた。

日本の中学、高校生の中でこんな高級な体験ができる人は、どれくらいいるのだろう。どうして親に感謝せずにいられるだろう。私の心の中は、かけがえの無い思い出が作れたことへの満足感と親への感謝の気持ちでいっぱいになった。

就寝時間になり、先生が部屋の電気を消した。目をつむると、暗さのせいか、私はだんだん不安になってきた。自分の子供にも、私がしてもらったように、こんなに楽しませてあげられるだろうか。
この不安が、厳しい受験勉強の支えになってくれるといいなと私は思った。

(高等部3年生 男子)

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まだ、太陽も出ていない霧ががかかった早朝。私たちは、目覚めた。今日は、この高3で行ける最後のウィンブルドンだ。理想のあのテニスの聖地。ちょうど2年前、初めて行った時のことを思い出した。まだ、テニスというのも知らず、ただの気休めのイベントだと思っていた。あー、行くのがダルイ。疲れる。なんて思っていた。
しかし、あれから2年。自分たちがテニス世界一の大会に行け、数多くの有名なテニスプレーヤーに出逢える、さらには、自分たちの将来にも役立ち、とても良い経験をあたえてくれる。
私は、ウィンブルドンに行けることを、とても光栄に思っている。
そして、私は今回のウィンブルドンで1人の日本人選手を応援した。彼は、まだそこまで強くなく、初めてこの大会に出場した。相手はとても強く、彼よりも2倍の体格をしていた。
しかし、彼は諦めず、日本人全てのサポートに応えるよう、全力のプレーを見せてくれた。その姿は、真剣で、勝利に一心に向かっていた。私は、勝ちや負けというより、素直に全力でプレーする姿に心を打たれ、かっこいいと思った。
結局全敗したが、そんなの関係ないと思った。負けたが、そこからどう変わり、成功へつなげていくのかが大事だと分かった。
最後のウィンブルドン。そんな素敵な選手に出逢え、スポーツの熱さを生で感じることができ、高3のこのメンバーと最後のウィンブルドンに行け、私は最高の日をおくることができた。

(高等部3年生 女子)

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東京、大阪、名古屋で数回にわたり学校説明会を致します。イギリス本校から教員が参加し、個別相談にも対応致します。詳細につきましてはホームページをご覧下さい。

◆ 立教英国学院単独説明会

8月19日(金) 14:00 – 16:00 名古屋(名古屋会議室プライムセントラルタワー名古屋駅前店 )
8月20日(土) 15:00 – 17:00 大阪(梅田センタービル)
8月21日(日) 14:00 – 16:00 東京池袋(立教大学太刀川記念館多目的ホール)
◆ 進学フェアへの参加
8月6日(土)、7日(日) 10:00 – 16:00 首都圏進学フェア千葉:幕張メッセ

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今、高3になって2ヶ月が経とうとしている。私は2ヶ月前と何が変わった?こんな質問を自分に投げかけても即答できるものが何もない。私は2ヶ月ぼーっとして過ごしたのか?いや、球技大会は真面目にプレイした。放課後も呆けてなどいない。ちゃんと勉強していたはず…。そう「はず」という言葉がどうしても入ってしまう。断言できないのだ。
同じ2ヶ月でも今から2ヶ月後は夏休みが終わり、2学期に入る頃。今の私だったら、今までの2ヶ月よりもっと実にならない時間を過ごすだろう。学校でネットサーフィンをしない分、家に帰ってネットばかりをしてしまう。しかしそんな甘えた高3なんて日本の高校生にはいないだろう。今の頑張りで自分の人生か決まってしまう可能性が高い。そんなことは分かっている。分かっていながら甘えている自分が中にいるのだ。

昔私が奇跡を2回起こしたと親に言われる。1つは水泳だ。25メートルをクロールで泳げなかった私がわずか1週間で泳げるようになった。しかも前日までコースを仕切るためのロープを片手に泳いでいた私がだ。もう1つは富士山に登った時の話だ。5合目から登り始めたにも関わらず、6合目に着く前に顔を真っ赤にして疲れて体力が持ちそうになかった私が頂上まで自分の足で登ったことだ。

きっと私はこれが最後のチャンスという時、背水の陣を敷くんだと思う。だからこれから始まる夏休み、2学期にもう1度奇跡を起こす自分になろうと思う。これからの人生、就活、結婚…etc. たくさんの壁にぶつかるだろう。その時にも自分の知らないパワーを出して乗り越えたい。でも今は近くの壁を1つ1つ着実に登っていきたい。

(高等部3年生 女子)

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7月4日に僕、桑原、上坂、森の4人は岡野先生に引率されてロンドンにあるリンネ学会に行った。リンネとは、世界で始めて、世界中の生き物を分類した人である。始めに、司書さんからリンネ学会の歴史について聞かされたあと、分厚い扉で厳重にガードされた地下室にはいった。

まず目に入ったのは大量の本。そして大量の引き出しだ。100以上もある引き出しの中にはリンネとその弟子が採取した大量の標本が収められていた。魚や植物、虫や貝などの大量の標本が当時のままの状態で保存されているのだ。当時のままというのは比喩でもなんでもない。そのままの意味である。当時はその羽の美しさからアクセサリーにも使われていたモルフォ蝶。いまから約300年も前の標本なのに、少しも色あせていなかった。しかし、一番重要なのは標本ではない。リンネが生き物を分類わけした本だ。人、ライオンなどの動物、魚、植物。そして、ヒドラやドラゴンなどの空想上の生き物すら、「未発見」という形で分類わけがなされていた。

ここで注目したいのは、「人」がほかの生き物と同じレベルで本の中に分類されているという点である。この本が書かれた当時はキリスト教が強い権力を持っていた時代である。キリスト教では「人間は神が創った特別なものである」という考えが当たり前のものとして考えられている。そんな時代に人間をほかの動物と同列として考える。それがどれだけ異常なことか。ガリレオは地球を中心にほかの天体が回っているという天動説を否定し、太陽を中心に地球も含めたほかの天体が回っているという地動説を唱えただけで迫害された。そんな時代にリンネがどのような非難を受けたかは想像がつくだろう。

しかし、一番すごいのはそこではない。「最初」に分類わけしたということだ。今の時代は当たり前のように分類わけされている。食べ物や服などの日常にありふれたものなんにでもなにかしらの分類わけがされている。そんなあたりまえを生み出すのがどれだけ特別ですごいことか。僕たちが当たり前だと思って使ったり考えているもの、その当たり前を最初に生み出すことの偉大さが身にしみる場所でした。

(高等部2年生 男子)

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昨日、僕は本当に貴重な体験をさせてもらった。リンネ学会へ行き司書のエレインさんからリンネ学会の歴史と成り立ち、また自然選択説を発表したダーウィンとウォラスの関係にいたるまで説明していただいた。

次に、地下にある分厚い扉で閉ざされた、古い本のたくさんある保管庫へ案内された。正直、博物館のようでつまらなそうだと思った。しかし、それは間違いだった。つまらないどころかそこにあったのは宝の山とでも言うべきものであった。とても風変わりな魚の標本、サファイアのように光る羽を持った蝶、一つ一つが素晴らしかった。だがやはり、一番の宝はリンネの作った最初の生物の分類表、システマネイチャーだろう。そこにはいくつもの驚きが詰められていた。今では当たり前となっているが、人間をホモサピエンスとしてその表に加え、ほかの生物と同じレベルで分類することは画期的な革命的な考え方であった。聖書の教えである全能の神により創造された、選ばれた人という生き物という当時の考え方に真っ向から反対する考え方に違いない。つまりこれは彼にとってひとつの挑戦だったはずだ。理論整然と分類された表には空間の部分があった。将来発見されるであろう生物のために空けられた空間だ。表の真ん中にはPARADOXと書かれた部分があった。よく見てみると、そこにはドラゴン、一角、ヒドラといった未確認生物や想像上の生き物の名前が書かれていた。分類できないと認め、さらにそれを表に入れるのもなかなかできることではないだろう。科学性と非科学性が混在したリンネの分類表。リンネはやはり天才だったのだろう。

最後は図書室で庄司先生が次のようなお話をしてくれた。リンネが提唱した分類表、その分類表に従って、世界に存在するすべての生き物がその提唱されたシステムによって分類された。この分類表に時間の経過による自然選択の考えを吹き込んだのがダーウィンではないかとのことだ。その話は僕がこれから先、物事を考えていく上で、とても重要なことを教えてくれるものとなった。それは、リンネがグラフで言うならⅩ軸とY軸の平面で分類し、ダーウィンがそこにZ軸つまり時間軸で分類し、それは今も、科学現象を考えていく上での考え方の基本となっているのだということだった。僕の勝手な解釈かもしれない。けれども僕はこのとき長い世代にわたって積み上げられた知識という言葉の意味が分かった気がした。つまりⅩとYからなる平面的な考えをZ方向に積み重ねることによって立体的な考えを構築して知識を作り上げる。これは三次元的考え方とでも言うべきもので、これからの僕の考え方に大きな変化をもたらすものになるだろう。

(高等部2年生 男子)

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